神棚 - 豊島 与志雄 ( とよしま よしお )
霙交りの雨が、ぽつりぽつりと落ちてくる気配だった。俺はふと足を止めて、無関心な顔付で、空を仰いでみた。薄ぼんやりした灰色の低い空から、冷い粒が二つ三つ、頬や鼻のあたりへじかに落ちかかってきて、その感じが、背筋を通って足先まで流れた。
「愈々やってきたな。」
ふふんという気持で俺は呟いたが、その気持がはたと行きづまって、一寸自分でも面喰った。――朝から金の才覚に出かけたが、或る所では断られ、或る所では主人が不在で、初めから大したものでもなかった意気込みまで、何処へか取失ってしまい、その上昼食も食いはぐしてしまってぼんやり歩いてるうちに、いつしか夕方になったのだった。蟇口は相変らず空っぽのままだし、胃袋には一片の食物も残っていないし、外套もつけていない吹き曝しの身に、雪になりそうな雨まで落ちかかってきた。だがそんなことは、まあいいや、明日という日がないじゃなし! と空嘯いてみたものの、さてこれから、どうしよう……ということより寧ろ、何処へ行こうということが、ぴたりと気持を遮ってしまった。このままぼんやり歩き続けて、銘仙の一張羅を雨に濡らしてもつまらないし、それかって一寸訪ねる家もないし、また自分の家へ帰るとすれば、お久(ひさ)の剣突か涙声か、何れ碌なことには出逢わないのだし……はて?
広い通りの十字街だった。満員の電車が幾つも幾つも通り、暖かそうな人顔の覗いてる自動車が駆けぬけ、手に買物の包みを下げてる人々が、嬉しげな気忙しなさに足を早めていた。
「なるほど世の中は忙しいや。呑気なのは俺一人かも知れない。お久の云うのも道理(もっとも)だ。だが、俺には全く何の当もないんだからな。当がないのに急げったって……。」
けれど、そんな風に考えてるうちに、俺は二足三足歩き出していた。ふらふらと我知らず電車道を横ぎると、其処の唐物屋の窓口に、クリスマスの飾物がまだ残っていた。杉の青葉に蜘蛛の糸のような銀糸が張られて、赤い帽子に赤い着物に長靴をつけた白髯の爺さんが、にこにこした顔付で立っていた。俺は長い間それを極めていた。――そうだ、俺にだって今にサンタクロースの爺さんが、素敵な幸福を持って来てくれないとは限らない! その縁起をかつぐわけではないけれど、一寸自分に自分で口実を拵えるためもあって、子供にキューピスさんの人形でも買って家に帰ろうと思った。
雨はもうぱらぱらと、俯向いてても分るくらいに降ってきた。俺は少し急ぎ出した。或る玩具屋の店先で、乏しい蟇口の底をはたいて、五銭もするセルロイドのキューピスさんを四つ買った。毎度ありがとうございますって、人を馬鹿にした空世辞も、満更嬉しくないでもなかった。
電車に飛び乗って、暫くして降りて、曲りくねった小路をつきぬけて、自分の家の門口に立った。耳を澄したがひっそりしている。はてな? と思う心に用捨なく雨が降りかかってくる。俺は思い切って、勢よく格子を開けて中にはいった。
お久が二人の子供を相手にぼんやりしていた。見ると、神棚には明々と蝋燭がともされていた。また例のことが初ったなと思いながら、俺の顔には一人でに苦笑が上ってきた。
「どうだったの?」とお久は上目使いに俺を見上げて尋ねかけた。
俺はそれには答えないで、袂からキューピスさんを二つ取出して、子供達の前に投げ出してやった。子供達は嬉し声を立ててそれを拾い取った。
「まだあるぞ。」
そして俺はまた二つ投り出してやった。
「やあ、おかしな顔をしてる!」
珍らしそうにキューピスさんを弄(いじ)くってる子供達の心より、それを見てる俺の心の方が一層喜んでいた。俺はにこにこ笑いながら、バットに火をつけて吸った。
「じゃあ。出来て……。」
お久は何と感違いしたか、もう顔の相恰をくずしかけていた。がそれも無理はなかった。俺が玩具なんかを買って来ることは滅多になかったのだから。――とは云え、折角萌しかけてきた一家の喜びに、どうきりをつけたらいいものか、俺は少なからず困った。
「出来たんでしょう……私祈ってたから……。」
その最後の言葉がなかったら、俺も何とかして、彼女の希望をもっと長引かしてやったかも知れないが、こうなると、もう待っていられなくなった。
「所が生憎……。」
「え!」
「一文も出来ねえよ。」
見る見るうちに、彼女の顔は変な風に硬ばって、眼の光がぎらぎらしてきた。それが激しい怨み小言の、或は嘆き訴えの、前兆であることを俺は知っていた。
「愈々やってきたな。」
ふふんという気持で俺は呟いたが、その気持がはたと行きづまって、一寸自分でも面喰った。――朝から金の才覚に出かけたが、或る所では断られ、或る所では主人が不在で、初めから大したものでもなかった意気込みまで、何処へか取失ってしまい、その上昼食も食いはぐしてしまってぼんやり歩いてるうちに、いつしか夕方になったのだった。蟇口は相変らず空っぽのままだし、胃袋には一片の食物も残っていないし、外套もつけていない吹き曝しの身に、雪になりそうな雨まで落ちかかってきた。だがそんなことは、まあいいや、明日という日がないじゃなし! と空嘯いてみたものの、さてこれから、どうしよう……ということより寧ろ、何処へ行こうということが、ぴたりと気持を遮ってしまった。このままぼんやり歩き続けて、銘仙の一張羅を雨に濡らしてもつまらないし、それかって一寸訪ねる家もないし、また自分の家へ帰るとすれば、お久(ひさ)の剣突か涙声か、何れ碌なことには出逢わないのだし……はて?
広い通りの十字街だった。満員の電車が幾つも幾つも通り、暖かそうな人顔の覗いてる自動車が駆けぬけ、手に買物の包みを下げてる人々が、嬉しげな気忙しなさに足を早めていた。
「なるほど世の中は忙しいや。呑気なのは俺一人かも知れない。お久の云うのも道理(もっとも)だ。だが、俺には全く何の当もないんだからな。当がないのに急げったって……。」
けれど、そんな風に考えてるうちに、俺は二足三足歩き出していた。ふらふらと我知らず電車道を横ぎると、其処の唐物屋の窓口に、クリスマスの飾物がまだ残っていた。杉の青葉に蜘蛛の糸のような銀糸が張られて、赤い帽子に赤い着物に長靴をつけた白髯の爺さんが、にこにこした顔付で立っていた。俺は長い間それを極めていた。――そうだ、俺にだって今にサンタクロースの爺さんが、素敵な幸福を持って来てくれないとは限らない! その縁起をかつぐわけではないけれど、一寸自分に自分で口実を拵えるためもあって、子供にキューピスさんの人形でも買って家に帰ろうと思った。
雨はもうぱらぱらと、俯向いてても分るくらいに降ってきた。俺は少し急ぎ出した。或る玩具屋の店先で、乏しい蟇口の底をはたいて、五銭もするセルロイドのキューピスさんを四つ買った。毎度ありがとうございますって、人を馬鹿にした空世辞も、満更嬉しくないでもなかった。
電車に飛び乗って、暫くして降りて、曲りくねった小路をつきぬけて、自分の家の門口に立った。耳を澄したがひっそりしている。はてな? と思う心に用捨なく雨が降りかかってくる。俺は思い切って、勢よく格子を開けて中にはいった。
お久が二人の子供を相手にぼんやりしていた。見ると、神棚には明々と蝋燭がともされていた。また例のことが初ったなと思いながら、俺の顔には一人でに苦笑が上ってきた。
「どうだったの?」とお久は上目使いに俺を見上げて尋ねかけた。
俺はそれには答えないで、袂からキューピスさんを二つ取出して、子供達の前に投げ出してやった。子供達は嬉し声を立ててそれを拾い取った。
「まだあるぞ。」
そして俺はまた二つ投り出してやった。
「やあ、おかしな顔をしてる!」
珍らしそうにキューピスさんを弄(いじ)くってる子供達の心より、それを見てる俺の心の方が一層喜んでいた。俺はにこにこ笑いながら、バットに火をつけて吸った。
「じゃあ。出来て……。」
お久は何と感違いしたか、もう顔の相恰をくずしかけていた。がそれも無理はなかった。俺が玩具なんかを買って来ることは滅多になかったのだから。――とは云え、折角萌しかけてきた一家の喜びに、どうきりをつけたらいいものか、俺は少なからず困った。
「出来たんでしょう……私祈ってたから……。」
その最後の言葉がなかったら、俺も何とかして、彼女の希望をもっと長引かしてやったかも知れないが、こうなると、もう待っていられなくなった。
「所が生憎……。」
「え!」
「一文も出来ねえよ。」
見る見るうちに、彼女の顔は変な風に硬ばって、眼の光がぎらぎらしてきた。それが激しい怨み小言の、或は嘆き訴えの、前兆であることを俺は知っていた。
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