私たちの建設 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )
封建の世界
言葉に云いつくされないほどの犠牲を通して、日本に初めて、人民が自分の幸福の建設のために、自分達で判断し行動することの出来る時代が到達した。そして全人民の半数を占める日本の婦人も、過去の重い軛(くびき)から解放されて、明るい希望のある社会建設のために、これまでかくされていた自分たちの力を発揮することの出来る時代になって来た。それにつけても、今日私達が残念に思うことは、わたしたちが勇気をもって明日へ歩み出すために是非必要な日本の社会の歴史及びその歴史の中で、女性が負うていた役割について、事実を語っている歴史がほとんどないことである。これまでの歴史がどんなに歪められ、真実を蔽われていたかということは周知のとおりである。日本の社会を自分達の勤労によって育て上げ、その発展を担って来た人民である男も女も、自分達の祖先がどのようにして生きたか、社会はどういう筋道を辿って今日迄来たか、随(したが)って、未来はどう発展するのが合理的であるかということについての見透しは、これまでちっとも与えられなかった。
長い旅行に出発する前には、誰でも地図を調べる。それと同じように、私達が偉大な建設の道に発とうとする時、過去の歴史を正しく明瞭に理解し、自分達の実力を知ることは極めて意義深いと思う。
日本の女性の歴史は、先ず神話の中に現われている。天照大神という名は、後代の支配者たちが政治的に利用して、宗教的崇拝の中心に置いたが、現実に歴史をさぐれば、天照大神は古代日本の社会において、一人の女酋長であった。日本の石器時代の氏族社会は、まだ総ての生産手段とその収穫とを共有していた時代で、氏族の中では男も女も平等の権利を持っていた。つまり男も女も等しい選挙権と被選挙権とを持っていたし、女の酋長というものも、文献の中に多勢現われている。この時代は母系の制度が行われていた。一つの氏族内の母方の子供は、先任の酋長が男であろうと女であろうと選挙されればその地位を継承する権利を持っていた。このことは、もうその頃から女の力が、産業と毎日を生きてゆく家事との上で、どれ程大切な役目を持っていたかということを証明している。神話に、天照大神が機を織っていたらば、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が暴れ込んで、馬の生皮を投げ込んで機を滅茶滅茶にしてしまったという插話がある。女酋長である天照大神はそれを憤って、おそらくその頃の住居でもあった岩屋にとじ籠って戸をしめてしまった。神々は閉口した。そこでその岩屋の前で集会を開いて、何とかして女酋長の機嫌を直そうとした。その時に、氏族中の一人の女であった鈿女命(うずめのみこと)が頓智を出して、極めて陽気な「たたら舞」をした。それをとりまいて見物している神々が笑いどよめいた声に誘われて、好奇心を動かされた女酋長がちょいと岩戸を隙(す)かしたところを、手力男命(たじからおのみこと)が岩を取り除けて連れ出したという物語である。これは天照大神が女の酋長であったと同時に、その氏族の中では機も織り、恐らくは野に食物をあさりもした実際の働き手であったことを物語っている。鈿女命の踊りは、氏族に重大な問題が起った時に、後世のような偏見は持たれず、女がその解決のために自由な創意を働かすことが出来たという当時の社会の事実をも語っている。
こういう原始社会の生産が次第に進んで、日本民族は次第に一定の土地に一定の方法で行う耕作を憶え、鉄器が輸入され、氏族間の闘いで、より強い氏族が弱い氏族を奴隷として自分に従え、労働させるようになった。それにつれて、個人の富というものが段々増大し、固定して来た。婦人の地位というものはいつか変化して来た。太古のあどけない平等は失われ、財産の主人である男の父権が確立して女子はそれに従属するものとなりはじめた。奴隷としてつれて来られた他氏族の者の中には勿論女も交っていて、それは女奴隷として労働させられ、男の所有ともなされた。この時代から女性は男子の権力に服するものとしての、社会的な在り方が根をおろしはじめ、歴史と共に極めて多様な形で変化しながら、殆んど今日まで、なお本質は継続して来ているのである。
藤原時代(西暦十一世紀)は、日本の文化史の中で、最も女性の文化が昂揚した時代といわれている。世界に誇る日本の古典文学といえば、それがたった一つしかないようにいつもとり出されている源氏物語にしろ、枕草子、栄華物語、その他総てこの時代の婦人たちの作品である。けれども、これらの卓抜な文学的収穫を残した婦人達が、当時の社会でどういう風に生きていたかといえば、それはまことに儚(はかな)い一生であった。どんな文学史を探しても、紫式部の名前は分らない。藤原某の娘であったということが分るだけで、彼女の本名は何子であったのか、何姫であったのか、決して記録されていない。あのような天才を持っていた清少納言にしてもそれは同じである。この時代の歴史の上に父の姓とともに固有の名を記されているのは、極く少数の、藤原氏直系の娘たちだけで、いずれも皇后、妃、中宮などになった人達ばかりである。
藤原氏は、宮廷内のあらゆる隅々まで一族の権力を伸張させるために、抑々(そもそも)藤原鎌足の時代から、自分の娘たちを天皇の母親としようと努力して来た。皇后にするか、さもなければ中宮として、血をとおして一家の権力を扶植して来た。その必要から、自分の娘たちの身辺を飾り宮廷社会の陰険な競争に対してよく備え暗黙の外交的影響と文化の力で、娘の勢力を確保するために才智の優れた、性格にも特色のある婦人達を官女として集め、宮中の人気を集注し、社交的なあらゆる場面で勝利を占めようとして来た。源氏物語を読めば、当時の宮廷内の無為と遊楽と権力争いの事情が実に細かく色彩ゆたかに描写されている。そして、紫式部という官女名をもった一人の優れた真面目な心の婦人作家は、当時の社会に生きる女の一生が、どんなに頼りない気の毒なものであるかということを痛感している。藤原氏専横の当時、中流の女性が、父親の家にあって経済的な基礎もなく社会的背景も権利も無いままに、どんな不安な身のゆく末を思い煩わなければならなかったか、又そこから脱出しようとして、それぞれの才智に応じて、いろいろと進歩の機会を捉える工面をして、せめてその関係に安定のある配偶を見つけようとし、或は宮廷に入ろうと努力した姿は、源氏物語の「雨夜のしなさだめ」にも窺われる。
藤原時代は、支配階級の経済の基礎は、荘園制度であった。藤原氏は今日いう不在地主で、各地の大荘園は、その土地に住む管理者によって管理されていた。が藤原末期になるにつれて荘園の管理者が収穫をごまかしたり、農民の疲弊が甚しくなったりして財源は不確定になって来た。男子の任官というものも、全く藤原氏の権力者のお手盛りであったから、下級官吏達の生涯は、始めから終りまで不安定で、一旦藤原氏の機嫌をそこねたら、任官も覚束ない者が多かった。一年の始めに、任官発表がある毎に其々の一家の婦人達は喜び、歎きした。沢山の歌や日記の中に、そのときの思いが語られている。
荘園には、少女から老婆までの女がどっさり奴隷として働かされていた。藤原氏の貴婦人達が着ていた七重八重の唐衣、藤原氏の紳士達がたいへん温いものだと珍重して着た綿衣、それらは、皆荘園の女奴隷達の指先から生み出されたものなのであった。
藤原氏一族の貴女の生活は、そのように不安定な土台の上に絢爛と咲いていたが、当時の日本全国、或は京都の一般の庶民の女の生活というものはどんなであったのだろうか。
長い旅行に出発する前には、誰でも地図を調べる。それと同じように、私達が偉大な建設の道に発とうとする時、過去の歴史を正しく明瞭に理解し、自分達の実力を知ることは極めて意義深いと思う。
日本の女性の歴史は、先ず神話の中に現われている。天照大神という名は、後代の支配者たちが政治的に利用して、宗教的崇拝の中心に置いたが、現実に歴史をさぐれば、天照大神は古代日本の社会において、一人の女酋長であった。日本の石器時代の氏族社会は、まだ総ての生産手段とその収穫とを共有していた時代で、氏族の中では男も女も平等の権利を持っていた。つまり男も女も等しい選挙権と被選挙権とを持っていたし、女の酋長というものも、文献の中に多勢現われている。この時代は母系の制度が行われていた。一つの氏族内の母方の子供は、先任の酋長が男であろうと女であろうと選挙されればその地位を継承する権利を持っていた。このことは、もうその頃から女の力が、産業と毎日を生きてゆく家事との上で、どれ程大切な役目を持っていたかということを証明している。神話に、天照大神が機を織っていたらば、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が暴れ込んで、馬の生皮を投げ込んで機を滅茶滅茶にしてしまったという插話がある。女酋長である天照大神はそれを憤って、おそらくその頃の住居でもあった岩屋にとじ籠って戸をしめてしまった。神々は閉口した。そこでその岩屋の前で集会を開いて、何とかして女酋長の機嫌を直そうとした。その時に、氏族中の一人の女であった鈿女命(うずめのみこと)が頓智を出して、極めて陽気な「たたら舞」をした。それをとりまいて見物している神々が笑いどよめいた声に誘われて、好奇心を動かされた女酋長がちょいと岩戸を隙(す)かしたところを、手力男命(たじからおのみこと)が岩を取り除けて連れ出したという物語である。これは天照大神が女の酋長であったと同時に、その氏族の中では機も織り、恐らくは野に食物をあさりもした実際の働き手であったことを物語っている。鈿女命の踊りは、氏族に重大な問題が起った時に、後世のような偏見は持たれず、女がその解決のために自由な創意を働かすことが出来たという当時の社会の事実をも語っている。
こういう原始社会の生産が次第に進んで、日本民族は次第に一定の土地に一定の方法で行う耕作を憶え、鉄器が輸入され、氏族間の闘いで、より強い氏族が弱い氏族を奴隷として自分に従え、労働させるようになった。それにつれて、個人の富というものが段々増大し、固定して来た。婦人の地位というものはいつか変化して来た。太古のあどけない平等は失われ、財産の主人である男の父権が確立して女子はそれに従属するものとなりはじめた。奴隷としてつれて来られた他氏族の者の中には勿論女も交っていて、それは女奴隷として労働させられ、男の所有ともなされた。この時代から女性は男子の権力に服するものとしての、社会的な在り方が根をおろしはじめ、歴史と共に極めて多様な形で変化しながら、殆んど今日まで、なお本質は継続して来ているのである。
藤原時代(西暦十一世紀)は、日本の文化史の中で、最も女性の文化が昂揚した時代といわれている。世界に誇る日本の古典文学といえば、それがたった一つしかないようにいつもとり出されている源氏物語にしろ、枕草子、栄華物語、その他総てこの時代の婦人たちの作品である。けれども、これらの卓抜な文学的収穫を残した婦人達が、当時の社会でどういう風に生きていたかといえば、それはまことに儚(はかな)い一生であった。どんな文学史を探しても、紫式部の名前は分らない。藤原某の娘であったということが分るだけで、彼女の本名は何子であったのか、何姫であったのか、決して記録されていない。あのような天才を持っていた清少納言にしてもそれは同じである。この時代の歴史の上に父の姓とともに固有の名を記されているのは、極く少数の、藤原氏直系の娘たちだけで、いずれも皇后、妃、中宮などになった人達ばかりである。
藤原氏は、宮廷内のあらゆる隅々まで一族の権力を伸張させるために、抑々(そもそも)藤原鎌足の時代から、自分の娘たちを天皇の母親としようと努力して来た。皇后にするか、さもなければ中宮として、血をとおして一家の権力を扶植して来た。その必要から、自分の娘たちの身辺を飾り宮廷社会の陰険な競争に対してよく備え暗黙の外交的影響と文化の力で、娘の勢力を確保するために才智の優れた、性格にも特色のある婦人達を官女として集め、宮中の人気を集注し、社交的なあらゆる場面で勝利を占めようとして来た。源氏物語を読めば、当時の宮廷内の無為と遊楽と権力争いの事情が実に細かく色彩ゆたかに描写されている。そして、紫式部という官女名をもった一人の優れた真面目な心の婦人作家は、当時の社会に生きる女の一生が、どんなに頼りない気の毒なものであるかということを痛感している。藤原氏専横の当時、中流の女性が、父親の家にあって経済的な基礎もなく社会的背景も権利も無いままに、どんな不安な身のゆく末を思い煩わなければならなかったか、又そこから脱出しようとして、それぞれの才智に応じて、いろいろと進歩の機会を捉える工面をして、せめてその関係に安定のある配偶を見つけようとし、或は宮廷に入ろうと努力した姿は、源氏物語の「雨夜のしなさだめ」にも窺われる。
藤原時代は、支配階級の経済の基礎は、荘園制度であった。藤原氏は今日いう不在地主で、各地の大荘園は、その土地に住む管理者によって管理されていた。が藤原末期になるにつれて荘園の管理者が収穫をごまかしたり、農民の疲弊が甚しくなったりして財源は不確定になって来た。男子の任官というものも、全く藤原氏の権力者のお手盛りであったから、下級官吏達の生涯は、始めから終りまで不安定で、一旦藤原氏の機嫌をそこねたら、任官も覚束ない者が多かった。一年の始めに、任官発表がある毎に其々の一家の婦人達は喜び、歎きした。沢山の歌や日記の中に、そのときの思いが語られている。
荘園には、少女から老婆までの女がどっさり奴隷として働かされていた。藤原氏の貴婦人達が着ていた七重八重の唐衣、藤原氏の紳士達がたいへん温いものだと珍重して着た綿衣、それらは、皆荘園の女奴隷達の指先から生み出されたものなのであった。
藤原氏一族の貴女の生活は、そのように不安定な土台の上に絢爛と咲いていたが、当時の日本全国、或は京都の一般の庶民の女の生活というものはどんなであったのだろうか。
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堀 百合子(ほり ゆりこ)棘のある人京介の夫。京子と創太の母。茶髪。おっとりした性格。京介と別居していたが30「灰色の男」からまた一緒に住むようになる。働いていて家にいないことが多い。仕事 -
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