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私のすきな人 - 宮城 道雄 ( みやぎ みちお )

  • Ω 宮城喜代子『箏ひとすじに ~宮城道雄の偉業をついで』
  • LP盤】宮城道雄名曲選集
  • 書籍 音に生きる 宮城道雄伝  千葉潤之介・優子著 講談社刊
 はたくさんあるので、みな書くこと出来ないが、最近倒れた印度ガンジー翁などはすきである。ラジオや新聞によると、ガンジーは、いつもヤギの乳や、ナツメの実ばかり食べて生活していたとか、それに何か願いごとがあると、よく断食をやったが、その時は、むろんこのヤギの乳も、ナツメの実も食べなかったのであろう。
 私は子供の時に気に入らないことがあると、怒って御飯を食べないことがよくあった。しまいには、みな愛想をつかして、相手になってくれなかった。ところがガンジー食事をしないと、世界中の人が注目する。これは信仰のため、世のために行われるからであるが、私は子供の時に、自分がやったつまらないことと比べて、考えてみたことがあった。
 ガンジーは、自分ピストルで射った相手をもうらまずに、助けてやるようにと言われたそうである。ガンジーお葬式の日には、何十万という民衆が、地方から集って来て、ガンジー夫人が、棺へ火をつけて、炎が燃え上った時には、人々が声をあげて、花束を投げこんだというニュースを聞いて、私は広い川のほとりの、この光景想像して、何か詩のような感じがした。私はずっと以前から、何かしらガンジー翁がすきであった。

 私のすきなお友達の中で、内田百間先生は、随筆有名な人であるが、手紙ちょっとよこしても、なんでもないことが書いてあるようでいて、それを読んでいると、どことなく面白いのである。
 百間先生は箏がすきで、中学時代に、自転車で箏を習いにいったそうである。前のころであったが、まるでスポーツでもやるような気分で、夏の暑い時など、肌ぬぎで汗を流しながら、箏をジャンジャン練習していた。そして、ロシヤ文学米川正夫先生と、箏の合奏をするのを、試合をやろうやろうと言っておった。また若いころ百間先生法政大学先生をしていたが、夜おそく、私の寝ている二階の雨戸ステッキでゴツゴツ叩くのである。私が驚いて戸を開けると、もういない。
 またある朝、家の者が起きてみると、家の前にあったごみためが、遠くの方へ持っていってあったり、私の箏を教えるという看板が、他所の所へかけてあったりした。
 百間先生が夜おそく通りがかりに、いたずらをしたことがわかったので家の者がくやしがって、今度やって来ても、何も知らぬ顔をしていようと、みなで申し合わせた。はたして先生がやって来たが、みな知らぬふりをした。あまりみなが知らなそうなので、とうとうしびれをきらして、今朝何も変わったことはなかったかとたずねたので、みながいいえ別に、と言ってしらばっくれていると、百間先生、ふしぎそうにしていた。
 百間先生は、よく私を散歩につれていったり、御馳走を食べにつれていってくれたりした。そしてその合間にドイツ語のことや、文学方面やいろいろなことを教えてくれた。
 私は目が見えないので、声を聞いてその人のすがたを感じる。
 ある時、横須賀線進駐軍の車へ乗せてもらっていると、アメリカ将校らしい人が、わざわざ私の隣りへ腰かけて、私の背中をなでながら、いたわるような声で「一週間横浜ミュジック」と言った。考えてみると一週間前に横浜進駐軍学校へ、箏をひきにいったのである。目が見える人は、進駐軍の服がよいとか、帽子がよいとか、靴がスマートだとかそのすがたを見るようであるが、私は声を聞いてやさしい親切な心を感じた。



底本:「心の調べ」河出書房新社
   2006(平成18)年8月30日初版発行
初出:「古巣の梅」雄鶏社
   1949(昭和24)年10月5日
入力:貝波明美
校正:noriko saito
2007年12月28日作成
青空文庫作成ファイル
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