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科学上の骨董趣味と温故知新 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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 骨董(こっとう)趣味とは主として古美術品の翫賞(がんしょう)に関して現われる一種の不純な趣味であって、純粋芸術的の趣味とは自ずから区別さるべきものである。古画や器物などに「時」の手が加わって一種の「味」が生じる。あるいは時代の匂というようなものが生じる。またその品物製作者やその時代に関する歴史聯想も加わる。あるいは昔の所蔵者が有名な人であった場合にはその人に関する聯想骨董的の価値を高める事もある。あるいはまた単にその物が古いために現今稀有である、類品が少ないという考えに伴う愛着の念が主要な点になる事もある。この趣味に附帯して生ずる不純な趣味としては、かような珍品をどこからか掘出して来て人に誇るという傾向も見受けられる。この点において骨董趣味はまたいわゆる蒐集趣味共有な点がある。マッチの貼紙や切手を集めあるいはボタンを集め、達磨(だるま)を集め、甚だしきは蜜柑の皮を蒐集するがごとき、これらは必ずしも時代の新旧とは関係はないが、珍しいものを集めて自ら楽しみ人に誇るという点はやはり骨董趣味と共通である。
 科学者修得研究する知識はその本質上別にそれが新しく発見されたか旧くから知られているかによって価値を定むべきものではない。科学上の真理は常に新鮮なるべきもので骨董趣味とは没交渉であるべきように見える。しかし実際は科学上にも一種の骨董趣味は常に存在し常に流行しているのである。
 もし科学上の事実や方則は人間未生以前から存していて、ただ科学者のこれを発見し掘出すのを待っているに過ぎぬと考える者の立場から見れば、このくらい古い物はない道理である。こういう意味からすれば科学者の探求的欲望骨董狂の掘出し慾と類する点があると云われ得る。しかしまた他の半面の考え方によれば、科学者知識は「物自身」の知識ではなくて科学者頭脳から編み上げた製作物とも云われる。そう考えれば科学者欲求芸術家創作欲望と軌を一にする訳である。しかしこういう根本問題は別としてもまだ種々な科学骨董趣味存在するのである。
 一口に科学者とはいうものの、科学者の中には種々の階級がある。科学区別は別問題として、その人々の科学というものに対する見解やまたこれを修得する目的においても十人十色と云ってよいくらいに多種多様である。実際そのためにおのおの自己の立場から見た科学以外に科学はないと考えるために種々の誤解が生じる場合もある。これらの種類を列挙するのは本文の範囲以外になるから、これは他日に譲るとして、ここには専(もっぱ)ら骨董趣味という点から見て二つの極端に位する二種の科学者を対照して見ようと思う。
 科学者の中にはその専修学科発達歴史に特別の興味を有(も)っている人が多数にある。これが一歩進むとその歴史に関したあらゆる記録古文書、古器物に対して丁度骨董家が有つような愛好の念をもってこれを蒐集する人もある。これは先ず純粋骨董趣味と名づけ得られるものであろう。また少し種類が違っているが、品物を集めるのではなくて、古い書物論文を愛読してその中からその価値の如何によらず人のあまり知らぬ研究事実を掘出して自ら楽しみまた人に示すを喜ぶ趣味もある。これは多くの読書家に通有な事であるが、これも一種の骨董趣味と名づけ得られない事はない。科学の方面で云えば、例えばある方則または事実発見前幾年に誰が既にこれに類似の事を述べているといったような事を探索して楽しむのである。
 次にもう少し類を異にした骨董趣味がある。一体科学者が自己の研究発表するに当って、その当面の問題に聯関した先人の研究引用批評するのは当然の務めである事は申すまでもない。しかしこれが往々にして骨董的傾向を帯びる事がある。すなわち当面の問題に多少の関係さえあれば、これが如何に目下の研究に縁が遠くまた如何に古くまた無価値ないしは全然間違ったものでも無差別批評に列挙するという風の傾向を生じる事もある。この傾向は例えばドイツの物理学者などの中にしばしば見受ける所である。別に咎(とが)むべき事でもないと思うが、とにかく骨董趣味に類した一種の「趣味」と見ても差支えはなかろう。
 これと正反対の極端にある科学者もある。その種類の人には歴史という事は全く無意味である。古い研究などはどうでもよい。最新の知識すなわち真である。これに達した径路は問う所ではないのである。実際科学上の知識を絶対的または究極的なものと信じる立場から見ればこれも当然な事であろう。また応用という点から考えてもそれで十分らしく思われるのである。しかしこの傾向が極端になると、古いものは何物でも無価値と考え、新しきものは無差別に尊重するような傾向を生じやすいのである。
 これほど極端でないまでも、実際科学者としては日進月歩新知識を修得するだけでもかなりに忙しいので、歴史的の詮索までに手の届かぬのは普通の事である。
 しかし自分の見る所では、科学上の骨董趣味はそれほど軽視すべきものではない。この世に全く新しき何物も存在せぬという古人の言葉科学に対しても必ずしも無意義ではない。科学上の新知識、新事実、新学説といえども突然天外から落下するようなものではない。よくよく詮議すればどこかにその因(よ)って来るべき因縁系統がある。例えば現代分子説や開闢説(かいびゃくせつ)でも古い形而上学者の頭の中に彷徨(ほうこう)していた幻像に脈絡を通じている。ガス分子論の胚子はルクレチウスの夢みた所である。ニュートンの微粒子説は倒れたが、これに代るべき微粒子輻射(ふくしゃ)は近代に生れ出た。破天荒と考えられる素量説のごときも二十世紀特産物ではないようである。


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