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稚子法師 - 国枝 史郎 ( くにえだ しろう )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
  • 600円~ 岩波文庫【青年】森鴎外 (プチソフト1)
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・山椒大夫  他四篇」(旺文社文庫)◇◆
  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・うたかたの記  他三篇」(岩波文庫)◇◆
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 8』森鴎外 正岡子規 夏目漱石1円
  • 森鴎外 高瀬舟・高瀬舟縁起・寒山捨得・寒山捨得縁起 CD 未開封
  • 森鴎外 舞姫 雁 井上靖 訳編 明治の古典8 初版
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     一  木曽代官山村蘇門は世に謳(うた)われた学者であったが八十二才の高齢を以て文政二年に世を終った。謙恭温容の君子であったので、妻子家臣の悲嘆は殆ど言語に絶したもので、征矢野(そやの)孫兵衛村上右門、知遇を受けた此両人などは、当時の国禁を窃に破って追腹を切った程である。
 で、私の物語ろうとする『稚子法師』の怪異譚は即ち蘇門病歿の時を以て、先ず其端を発するのである。
 不時のご用を仰せ付かって、信州高島諏訪因幡守の許へ、使者に立った萩原主水は、首尾よく主命も果たしたので、白馬鞭打ち従者を連れ、木曽路洗馬(あらいうま)まで走らせて来た。
 塩尻辺で日を暮らす、此処洗馬まで来た頃には文字通り真の闇であった。先に立った足健康(あしまめ)の従者が高く振りかざす松火の光で、崎嶇(きく)たる山骨を僅に照らし、人馬物言わず真向きに走る
「殿のお命に別状無い中どうぞ福島へ行きつきたいものだ」
 この事ばかり懸命に念じ主水は益々馬側をしめ付け乗っ立って走らせるのであった。
 主水は生年十八歳、元服の時は過ぎていたが、主君の命で前髪を尚艶々しく立てていた。主君と彼との関係は、家康に於ける伊井万千代信長に対する森蘭丸と大方同じものであったが、蘇門が老年であった為め、竜陽の交わり分桃の契り全然無かったと云われている。とまれ普通の仲では無かった。
 やがて洗馬も駈け抜けた。
 其時、行手の闇を裂いて、雲か煙か三条の柱が、ぐるぐる巻き乍ら走って来た。
「主水!」――と途端に呼ぶ声がする。主水は礑(はた)と馬を止めた。と彼の前に立ったのは白衣直垂(したたれ)、白糸|縅(おどし)の鎧、白い烏帽子を後様に戴き、白柄の薙刀を抱い込んで白馬に跨がった白髪の武人――蘇門山村良由と、同じ扮装(よそお)いに出で立った孫兵衛、右門の三人であった。
「殿、何方へ参られます?」
 恐る恐る主水は訊いた。
「八万億劫地獄へ参る」
「何用あって参られます?」
閻羅(えんら)王、祐筆を求めるに依ってな――」
「私もお供致しましょう」
「今はならぬ、やがて参れ――そこでお前に頼みがある。馬を二頭送ってくれい〈山風〉と〈野風〉の二頭をな」
「かしこまりましてござります」――斯う云うと主水は頭を下げたが其時、鎧の音がした。
 眼を上げて見ると人影は無く、深い木曽川の谷の上を、ぐるぐるぐるぐるぐる廻わりながら、霧で出来たような三本の柱が、対岸を指して飛んで行ったが、それも間も無く見えなくなった。
「深い縁(えにし)があればこそ、お眼にもかかれお言葉をも賜わったのだ」
 嬉しさと悲さをコキ雑ぜた複雑の思いに浸り乍ら彼は合掌したのであった。
 翌朝館へ駆着けた時は既に納棺も済んでいた。昨夜の有様を披露した後、急いで厩舎へ走って行き、二頭の馬を索き出すと、まだ十足とは歩かない中に二頭ながら倒れて呼吸絶えた。
 神妙の殉死と云わなければならない。

     二

「今はならぬ!」と明瞭(はっき)りと先生から殉死止められた主水は、心ならず、新主に仕えた。
 誰がために見せる前髪ぞと、蘇門の百ヶ日が済んだ時、彼は惜気無く剃り落した。英落点々白芙蓉、紅も白粉も剥(ぬ)ぎすてた雅びて凛々しい男姿は又一段と立ち勝って見えた。
 蘇門ほどではなかったけれど、新主も賢明人物であった。先考の愛臣というところから自然主水へ眼をかけた。従って同僚には嫉妬された。
「稚子侍の分際で……」勿論陰では公然に、而て時々は面と向かって同僚達は嘲笑った。彼には夫れが耐えられない。
 不快の間に三年を経た。其時勘忍の緒を切らした。
 城外八沢の橋の上で日頃怨ある同僚二人を決闘の後討取ったのである。彼も数ヶ所の薄手を受け、返り血を浴びて紅斑々|髻(たぶさ)千切れた凄じい姿で目付衆の屋敷へ宣り出た、切られた二人の其一人は、家老宮地源左衛門の四男、もう一人は大脇文右衛門の二男で文右衛門は功労ある地方奉行であった。
 事は忽(ゆるがせ)には出来なかった。「先ず切腹」と定られた。併し殿は斯う云われた。「私闘の罪は許すことはならぬ。但し、主水ただ一人へ、二人同時にかかったということだ」
 助けよという意味が言外にあった。そこで主水は秩禄没収追放ということになったのである。
 情ある友に送られて、住みなれた領内を出た時には、さすがに後が返り見られた。先生の形見と懐中にしたのは清音楼集一巻である。

木曽川や藤咲く下を行く筏
卯の花を雪と見て来よ木曽の旅

 季節晩春初夏であった。老鶯も啼いていた。筏を見ては流転が思われ、旅と感じて行路難が犇々と胸に浸みるのであった。
 奈良井まで来た時友とも別れ、行雲流水一人旅となった。木の根へつく然と腰を掛け、主水は茫然と首垂れた。
 畑を鋤いている農夫でもあろう、唄うたう声が聞えて来た。それは盆踊の唄である。


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