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空襲葬送曲 - 海野 十三 ( うんの じゅうざ )

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   父の誕生日瓦斯(ガス)マスクの贈物 「やあ、くたびれた、くたびれた」家中(いえじゅう)に響(ひび)きわたるような大声をあげて、大旦那の長造(ちょうぞう)が帰って来た。 「おかえりなさいまし」お内儀(かみ)のお妻(つま)は、夫の手から、印鑑(いんかん)や書付(かきつけ)の入った小さい折鞄(おりかばん)をうけとると、仏壇(ぶつだん)の前へ載せ、それから着換(きが)えの羽織衣桁(いこう)から取って、長造の背後からフワリと着せてやった。「すこし時間がおかかりなすったようね」
「ウン。――」長造は、言おうか言うまいかと、鳥渡(ちょっと)考えたのち「こう世間不景気で萎(しな)びちゃっちゃあ、何もかもお終(しま)いだナ」
「また、いい日が廻ってきますよ、あなた」お妻は、夫の商談がうまく行かなかったらしいのを察して、慰(なぐさ)め顔(がお)に云った。
「……」長造は、無言で長火鉢(ながひばち)の前に胡座(あぐら)をかいた「おや、ミツ坊が来ているらしいね」
 小さい毛糸靴下が、伸した手にひっかかった――白梅(しらうめ)の入った莨入(たばこいれ)の代りに。
「いま、かアちゃんとお湯(ぶう)に入ってます。一時間ほど前に、黄一郎(きいちろう)と三人連れでやって来ました」
「ほう、そうか、この片っぽの靴下、持ってってやれ。喜代子(きよこ)に、よく云ってナ、春の風邪(かぜ)は、赤ン坊の生命(いのち)取りだてえことを」
「それが、あの児、両足をピンピン跳ねて直ぐ脱いでしまうのでね、あなた今度見て御覧なさい、そりゃ太い足ですよ、胴中(どうなか)と同じ位に太いんです」
莫迦(ばか)云いなさんな、胴中と足とが、同じ位の太さだなんて」
「お祖父(じい)さんは、見ないから嘘だと思いなさるんですよ。どれ持ってってやりましょう」
 お妻は、掌(てのひら)の上に、片っぽの短い靴下を、ブッと膨(ふく)らませて載(の)せた。それがお妻には、まるでおもちゃ軍艦の形に見えた。
「おい、あのなには……」と長造はお妻を呼び止めた。
「弦三(げんぞう)はもう帰っているかい」
「弦三は、アノまだですが、今朝よく云っときましたから、もう直ぐ帰ってくるに違いありませんよ」
「あいつ近頃、ちと帰りが遅すぎるぜ、お妻。もうそろそろ危い年頃だ」
「いえ、会社仕事が忙しいって、云ってましたよ」
会社仕事が? なーに、どうだか判ったもんじゃないよ、この不景気にゴム工場(こうば)だって同じ『ふ』の字さ。素六(そろく)なんざ、お前が散々(さんざん)甘やかせていなさるようだが、今の中学生時代からしっかりしつけをして置かねえと、あとで後悔(こうかい)するよ」
「まア、今日はお小言(こごと)デーなのね、おじいさん。ちと外(ほか)のことでも言いなすったらどう? 貴郎(あなた)の五十回目のお誕生日じゃありませんか」
五十回目じゃないよ、四十九回目だよ」
五十回目ですよ。おじいさん五十になるとお年齢(とし)忘れですか、ホホホホ」
「てめえの頭脳(あたま)の悪いのを棚(たな)にあげて笑ってやがる。いいかいおぎゃあと、生れた日にはお誕生祝はしないじゃないか、だから、五十から引く一で、四十九回さ」
「なるほど、そう云えば……」
「そう云わなくても四十九回、始終(しじゅう)苦界(くがい)さ。そこでこの機会に於て、遺言(ゆいごん)代りに、子沢山の子供の上を案じてやってるんだあナ」
「まあ、およしなさいよ、遺言なんて、縁起(えんぎ)でもない、鶴亀鶴亀(つるかめつるかめ)」
「お前は実によく産んだね、オイばあさん。ちょいと六人だ。六人と云やあ半打(はんダース)だ。これがモルモットだって六匹函の中へ入れてみろ、騒ぎだぜ」
「やあ、お父さん、お帰りなさい」長男の黄一郎(きいちろう)が入ってきた。
モルモットをどうするとかてえのは、一体なんです」
 長造とお妻とが顔を見合わせて、ぷッと吹きだした。
お父さんは、お前たちのことをモルモットだって云ってなさるよ。よくお前は六匹も生んだねえ、なんて」お妻はおどけて嗾(け)しかけるように云った。
「私達がモルモットなら、お父さんは親モルモットになりますね、ミツ坊は孫モルモットで……」
「そうそう、ミツ坊に、この靴下を持ってってやらなきゃあ。おじいさんは、靴下を早く持って行けと云っときながら、あたしのことを掴(つかま)えてモルモットの話なんだからねえ」
 お妻は、いい機嫌で室を出て行った。
お父さん今日はお芽出(めで)とう御座(ござ)います」
「うん、ありがとう
「きょうは、店を頼んで、三人一緒に、早く出てきました」
「おお、そうかい」
「久しぶりに、モルモットが皆集まって賑(にぎや)かに、御馳走になります」
「うん、――」
 長造は何か別のことを考えている様子だった。黄一郎には、直ぐそれが判ったのだった。
「もっとも清二はいませんけれど……彼奴(あいつ)なにか便(たよ)りを寄越(よこ)しましたか」
 清二(せいじ)は、黄一郎の直ぐの弟だった。その下が、ゴム工場へ勤めている弦三(げんぞう)で今年が徴兵(ちょうへい)適齢(てきれい)。その下に、みどりと紅子(べにこ)という姉妹があって、末(すえ)の素六(そろく)は、やっと十五歳の中学三年生だった。
「清二のやつ、一週間ほど前に珍らしく横須賀軍港(よこすかぐんこう)から、手紙なんぞよこしやがった」
「ほう、そりゃ感心だな。どうです、元気はいい様(よう)でしたか」
「別に心配はないようだ。今度、演習(えんしゅう)に出かけると云った。ばあさんには、なんだか、軍艦のついた帛紗(ふくさ)をよこし、皆で喰えと云って、錨(いかり)せんべいの、でかい缶を送って来たので驚いたよ。いずれ後で出してくるだろう」
「そりゃいよいよ感心ですね」
「うちのばあさんは、これは清二にしちゃ変だと云って泪(なみだ)ぐむし、みどりはみどりで、どうも気味がわるくて喰べられないというしサ、わしゃ、呶鳴(どな)りつけてやった。折角(せっかく)買ってよこしたのに喜んでもやらねえと云ってナ」
「なるほど、多少変ですかね」
「尤(もっと)も、紅子と素六とは、清(せい)兄さんも話せるようになった、だがこれは日頃の罪滅(つみほろ)ぼしの心算(つもり)なんだろう、なんて減(へ)らず口(ぐち)を叩きながら、盛んにポリポリやってたようだ」
「清二は乱暴なところがあるが、根はやさしい男ですよ」
そうかな、お前もそう思うかい。だが潜水艦乗りを志願するようなところは、無茶じゃないかい。後で聞くと、飛行機乗りと潜水艦乗りとは、お嫁の来手(きて)がない両大関(りょうおおぜき)で、このごろは飛行機乗りは安全だという評判で大分いいそうだが、潜水艦のほうは、ますます悪いという話だよ」
「それほどでも無いでしょう。ことに清二の乗っているのは、潜水艦の中でも最新式の伊号(いごう)一〇一というやつで、太平洋を二回往復ができるそうだから、心配はいりませんよ」
「だが、水の中に潜っていることは、同じだろう。危いことも同じだよ」
 そこへ廊下をバタバタ駈けてくる跫音(あしおと)が聞こえてきた。ヒョックリ真ンまるい顔を出したのは中学生の素六だった。
「お父様も、兄ちゃんも、あっちへ来て下さいって、御膳(おぜん)ができたからサ」
「そうか、じゃお父様、参りましょう」黄一郎は、腰を起して、父親を促(うなが)した。
「うン、――よっこらしょい」と長造は煙管(きせる)をポンと一つ、長火鉢の角(かど)で叩くと、立ち上った。「今日下町をぐるッと廻って大変だったよ。品物が動かんね、お前の方の店はどうだい」
駄目ですね。新宿が近いのですが、よくありませんね。寧(むし)ろ甲府(こうふ)方面へ出ます。この鼻緒商売(はなおしょうばい)も、不景気知らずの昔とは、大分違って来たようですね」
第一、この辺(へん)に問屋が多すぎるよ」
 長造は頤(あご)を左右(さゆう)にしゃくって、表通に鼻緒問屋(はなおどんや)の多いのを指摘(してき)した。この浅草大河端(おおかわばた)の一角を占める花川戸(はなかわど)は、古くから下駄(げた)の鼻緒と爪革(つまかわ)の手工業を以て、日本全国に知られていた。


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