結核症 - 斎藤 茂吉 ( さいとう もきち )
おなじ結核性の病で歿(ぼつ)した近ごろの文学者でも、やはり行き方に違ふところがあるやうに思ふ。正岡子規とか国木田独歩とかを一つの型(かた)と看做(みな)せば、高山|樗牛(ちよぎう)とか綱島梁川(つなしまりやうせん)とかは又一つの型のやうに思はれる。
総じて結核性の病に罹(かか)ると神経が雋鋭(しゆんえい)になつて来て、健康な人の目に見えないところも見えて来る。末期になると、病に平気になり、呑気(のんき)になり、将来に向つていろいろの計画などを立てるやうになるが、依然として鋭い神経を持つてゐる。それであるから、健康の人が平気でやつてゐることに強い『厭味』を感じたり、細かい『あら』が見えたりする。
正岡子規なんかは、三十六歳の若さで死んでゐるが、やはりその『厭味』といふことが強く身に答へたものらしい。現在の私はもう子規よりも十年生きのびてゐるが、いかにしても子規よりも甘いところがあり、厭味から脱することが出来ない。子規も病気になるまへには露伴(ろはん)の風流仏(ふうりうぶつ)などに傾倒したこともあり、西鶴(さいかく)ばりの文章なども書いたのであつたが、晩年の随筆では、当時、露伴が非常に骨折つて書いた「二日物語」の文章をば貶(けな)してゐる。
子規の随筆「墨汁一滴」には、『露伴の二日物語といふが出たから久しぶりで読んで見て、露伴がこんなまづい文章(趣向にあらず)を作つたかと驚いた。それを世間では明治の名文だの修辞の妙を極めて居るだのと評して居る。各人批評の標準がそんなに違ふものであらうか』。かう子規が云つてゐる。子規が写生文を創(はじ)め、細かく平淡なものを書いてゐた時であるから、「二日物語」の文章に厭味を感じたのであらうか。
子規のものは、センチメンタリズムから脱却してゐるが、感慨が露(あら)はでなく沈痛の響に乏しいのは、単に俳人としての稽古(けいこ)から来てゐるのでなく、疾病から来てゐるのである。このへんが芭蕉のものと違ふ点であつて、子規は芭蕉の句にも随分厭味と思はせぶりとを感じてゐるのである。このへんの事は私にはなかなか面白い。
独歩も、もとは甘い恋の新体詩なども作つたのであるが、それがだんだん除かれて行つた。子規ほど病牀(びやうしやう)生活で苦しまなかつただけ、呑気ではなく、鋭いところが未だ消えずにゐる。石川|啄木(たくぼく)などでもやはり同じ径路を取つてゐる。
そこに行くと樗牛とか梁川などは、趣が違ふ。「我が袖の記」から「清見潟の記」になると余程平淡になつて来てゐるが、やはり感慨が露(あら)はに出てゐる。前二者の客観的なのに較(くら)べて主観的であり、抒情(じよじやう)的である。樗牛がニイチエから日蓮に行つて、アフオリスメン風の文を書いてゐるとき、梁川は荘重で佳麗な見神(けんしん)の文章なんかを書いてゐる。是等(これら)はおなじく、神経の雋鋭(しゆんえい)になつたための一つの証候であるが、これは気稟(きひん)に本づく方嚮(はうかう)の違ひであると謂(い)つていいだらう。樗牛でも梁川でも若くて死んでゐるが、健康な人には出来ない点がやはり存じてゐる。
森鴎外が、『遺言には随分面白いのがあるもので、現に子規の自筆の墓誌|抔(など)も愛敬(あいきやう)が有つて好い。樗牛の清見潟は崇高だらうが、我々なんぞとは、趣味が違ふ』云々と云つたのは、たいへん面白い。子規の墓誌は簡明な履歴で、日本新聞社員タリ月給四十円などと書いた文章をいふので、樗牛のは、有名な『吾人はすべからく現代を超越せざるべからず』をいふのである。
若(も)し結核性の病で倒れずに、病に罹(かか)りながら五十年も文学者的活動を続けられるものならば、興味あることに私は思ふが、佳境に入れば死んでしまふし、癒(なほ)つてしまへば平凡になつてしまふからやはり駄目である。
底本:「斎藤茂吉選集 第八巻」岩波書店
1981(昭和56)年5月27日第1刷発行
初出:「随筆」
1926(大正15)年10月
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
総じて結核性の病に罹(かか)ると神経が雋鋭(しゆんえい)になつて来て、健康な人の目に見えないところも見えて来る。末期になると、病に平気になり、呑気(のんき)になり、将来に向つていろいろの計画などを立てるやうになるが、依然として鋭い神経を持つてゐる。それであるから、健康の人が平気でやつてゐることに強い『厭味』を感じたり、細かい『あら』が見えたりする。
正岡子規なんかは、三十六歳の若さで死んでゐるが、やはりその『厭味』といふことが強く身に答へたものらしい。現在の私はもう子規よりも十年生きのびてゐるが、いかにしても子規よりも甘いところがあり、厭味から脱することが出来ない。子規も病気になるまへには露伴(ろはん)の風流仏(ふうりうぶつ)などに傾倒したこともあり、西鶴(さいかく)ばりの文章なども書いたのであつたが、晩年の随筆では、当時、露伴が非常に骨折つて書いた「二日物語」の文章をば貶(けな)してゐる。
子規の随筆「墨汁一滴」には、『露伴の二日物語といふが出たから久しぶりで読んで見て、露伴がこんなまづい文章(趣向にあらず)を作つたかと驚いた。それを世間では明治の名文だの修辞の妙を極めて居るだのと評して居る。各人批評の標準がそんなに違ふものであらうか』。かう子規が云つてゐる。子規が写生文を創(はじ)め、細かく平淡なものを書いてゐた時であるから、「二日物語」の文章に厭味を感じたのであらうか。
子規のものは、センチメンタリズムから脱却してゐるが、感慨が露(あら)はでなく沈痛の響に乏しいのは、単に俳人としての稽古(けいこ)から来てゐるのでなく、疾病から来てゐるのである。このへんが芭蕉のものと違ふ点であつて、子規は芭蕉の句にも随分厭味と思はせぶりとを感じてゐるのである。このへんの事は私にはなかなか面白い。
独歩も、もとは甘い恋の新体詩なども作つたのであるが、それがだんだん除かれて行つた。子規ほど病牀(びやうしやう)生活で苦しまなかつただけ、呑気ではなく、鋭いところが未だ消えずにゐる。石川|啄木(たくぼく)などでもやはり同じ径路を取つてゐる。
そこに行くと樗牛とか梁川などは、趣が違ふ。「我が袖の記」から「清見潟の記」になると余程平淡になつて来てゐるが、やはり感慨が露(あら)はに出てゐる。前二者の客観的なのに較(くら)べて主観的であり、抒情(じよじやう)的である。樗牛がニイチエから日蓮に行つて、アフオリスメン風の文を書いてゐるとき、梁川は荘重で佳麗な見神(けんしん)の文章なんかを書いてゐる。是等(これら)はおなじく、神経の雋鋭(しゆんえい)になつたための一つの証候であるが、これは気稟(きひん)に本づく方嚮(はうかう)の違ひであると謂(い)つていいだらう。樗牛でも梁川でも若くて死んでゐるが、健康な人には出来ない点がやはり存じてゐる。
森鴎外が、『遺言には随分面白いのがあるもので、現に子規の自筆の墓誌|抔(など)も愛敬(あいきやう)が有つて好い。樗牛の清見潟は崇高だらうが、我々なんぞとは、趣味が違ふ』云々と云つたのは、たいへん面白い。子規の墓誌は簡明な履歴で、日本新聞社員タリ月給四十円などと書いた文章をいふので、樗牛のは、有名な『吾人はすべからく現代を超越せざるべからず』をいふのである。
若(も)し結核性の病で倒れずに、病に罹(かか)りながら五十年も文学者的活動を続けられるものならば、興味あることに私は思ふが、佳境に入れば死んでしまふし、癒(なほ)つてしまへば平凡になつてしまふからやはり駄目である。
底本:「斎藤茂吉選集 第八巻」岩波書店
1981(昭和56)年5月27日第1刷発行
初出:「随筆」
1926(大正15)年10月
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
斎藤 茂吉 (さいとう もきち) 以外のオススメ作品
結核症 (けっかくしょう) のリンク元
- [[goo]] 現代小説 結核
- [[Google]] 結核 文学者
- [[Yahoo]] 結核 小説
- http://azby.search.nifty.com/websearch/search?cflg=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&select=1&htmltype=2&chartype=&lang_all=1&channel=azby&q=%E7%B5%90%E6%A0%B8%E6%96%87%E5%AD%A6&filter=&stpos=20&num=10
- [[Google]] 結核小説
- [[Google]] 結核小説
- [[Google]] j@݂̂
- [[Yahoo]] 結核 文学者
- [[Google]] 結核症
- [[Yahoo]] 結核小説
「結核症-斎藤 茂吉」の関連ページ
-
茂吉 - ぐだらじ@Wiki - ぐだらじ@Wiki
このページは誰でも自由に編集が可能です。どうぞご自由に。 -
病原体 - toyo_goro @ ウィキ - toyo_goro @ ウィキ
風 ペスト・・・・・(7)ペスト パラ・・・・・・(8)パラチフス コレラ・・・・・(9)コレラ ケッ・・・・・ (10)結核症 セキ・・・・・ (11)赤痢 (ウ)ラセ -
久我山中学(日本文学)100冊 - wikiwiki2 @ ウィキ - wikiwiki2 @ ウィキ
文庫 32 黒井千次 春の道標 新潮文庫 33 幸田文 おとうと 新潮文庫 34 斎藤茂吉 斎藤茂吉随筆集 岩波文庫 35 斎藤隆介 ベロ出しチョンマ 角川文庫 36 坂口安吾 桜の森の満開の下 講談 -
鷲田小彌太 『「本の定番」ガイドブック』 東洋経済新報社 2004.6 - wikiwiki2 @ ウィキ - wikiwiki2 @ ウィキ
信 『新 折々のうた』 斎藤茂吉 『万葉秀歌』 梅棹忠夫 『知的生産の技術』 清水幾太郎 『論文の書き方』 アインシュタイン、インフェルト 『物理学はいかに創られたか』(上・下) 吉田洋一 『零の -
お土産一覧(東北地方) - 原価屋.Net(inコロニーな生活Plus)@Wiki - 原価屋.Net(inコロニーな生活Plus)@Wiki
めん/20 宮城県白石市仙台駄菓子/20 宮城県仙台市芋煮/20 山形県山形市斎藤茂吉の一筆箋/30 山形県上山市将棋の駒/20 山形県天童市- - - - - -白虎隊の木刀/40 福島 -
官僚/斎藤次郎 - 永田町一丁目情報部 - 永田町一丁目情報部
斎藤次郎をお気に入りに追加var amzn_wdgt={widgetCarousel}; amzn_wdgt.tag=politica-22;amzn_wdgt.widgetType -
斎藤さんへのクリスマスプレゼント9002 - d_studio - d_studio
レンコンマフィン -
官僚/斎藤次郎 - 永田町二丁目情報部 - 永田町二丁目情報部
斎藤次郎をお気に入りに追加 var amzn_wdgt={widgetCarousel};amzn_wdgt.tag=politica-22;amzn_wdgt.widgetType -
斎藤弥九郎 - 幕末の剣豪「斎藤弥九郎」調査研究報告です。 - 幕末の剣豪「斎藤弥九郎」調査研究報告です。
斎藤新太郎全国修行記録 (画像)・諸州修行英名録(弘化四年四月~嘉永二年三月の記録)(1/2・2/2)・修行中諸藩芳名録(嘉永二年四月~同年九月の記録)(1/2・2/2) 氷見 -
もしも著作権保護期間が70年だったなら - *99 - *99
久蔵 ふくい きゅうぞう 1867-1951宮本百合子 みやもと ゆりこ 1899-1951安藤正次 あんどう まさつぐ 1878-1952池内宏 いけうち ひろし 1878-1952斎藤茂吉 さいとう もき
