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続西方の人 - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

  • 芥川龍之介◆侏儒の言葉・西方の人◆続西方の人収録
  • ■即■絶版 岩波文庫■芭蕉雑記・西方の人 他七篇/芥川 龍之介/b
  • 芭蕉雑記・西方の人 他七篇/芥川竜之介/岩波文庫
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芥川龍之介      1 再びこの人を見よ  クリストは「万人の鏡」である。「万人の鏡」と云ふ意味は万人のクリストに傚(なら)へと云ふのではない。たつた一人クリストの中に万人の彼等自身を発見するからである。わたしはわたしのクリスト描き雑誌の締め切日の迫つた為にペンを抛(なげう)たなければならなかつた。今は多少の閑(ひま)のある為にもう一度わたしのクリスト描き加へたいと思つてゐる。誰もわたしの書いたものなどに、――殊(こと)にクリストを描いたものなどに興味を感ずるものはないであらう。しかしわたしは四福音書の中にまざまざとわたしに呼びかけてゐるクリストの姿を感じてゐる。わたしのクリスト描き加へるのもわたし自身にはやめることは出来ない。

     2 彼の伝記作者

 ヨハネはクリスト伝記作者中、最も彼自身に媚(こ)びてゐるものである。野蛮な美しさにかがやいたマタイやマコに比べれば、――いや、巧みにクリストの一生を話してくれるルカに比べてさへ、近代に生まれた我々には人工甘露味を味はさずには措(お)かない。しかしヨハネもクリストの一生の意味の多い事実を伝へてゐる。我々は、ヨハネのクリスト伝記に或|苛立(いらだ)たしさを感じるであらう。けれども三人の伝記作者たちに或魅力も感じられるであらう。人生失敗したクリストは独特の色彩を加へない限り、容易に「神の子」となることは出来ない。ヨハネはこの色彩を加へるのに少くとも最も当代には、up to date の手段をとつてゐる。ヨハネの伝へたクリストはマコやマタイの伝へたクリストのやうに天才飛躍を具へてゐない。が、荘厳にも優しいことは確かである。クリストの一生を伝へるのに何よりも簡古を重んじたマコは恐らく彼の伝記作者中、最もクリストを知つてゐたであらう。マコの伝へたクリスト現実主義的に生き生きしてゐる。我々はそこにクリスト握手し、クリストを抱き、――更に多少の誇張さへすれば、クリストの髯の匂を感じるであらう。しかし荘厳にも劬(いたは)りの深いヨハネのクリストも斥(しりぞ)けることは出来ない。兎(と)に角(かく)彼等の伝へたクリストに比べれば、後代の伝へたクリストは、――殊に彼をデカダンとした或ロシア人クリスト徒らに彼を傷(きずつ)けるだけである。クリストは一時代社会約束を蹂躙(じうりん)することを顧みなかつた。(売笑婦や税吏(みつぎとり)や癩(らい)病人はいつも彼の話し相手である。)しかし天国を見なかつたのではない。クリストを l'enfant に描いた画家たちはおのづからかう云ふクリストに憐みに近いものを感じてゐたであらう。(それは母胎を離れた後、「唯我独尊」の獅子吼(ししく)をした仏陀よりもはるかに手(た)よりのないものである。)けれども幼児だつたクリストに対する彼等の憐みは多少にもしろ、デカダンだつたクリストに対する彼の同情よりも勝つてゐる。クリストは如何に葡萄酒に酔つても、何か彼自身の中にあるものは天国を見せずには措(お)かなかつた。彼の悲劇はその為に、――単にその為に起つてゐる。或ロシア人は或時のクリストの如何(いか)に神に近かつたかを知つてゐない。が、四人の伝記作者たちはいづれもこの事実に注目してゐた。

     3 共産主義者

 クリストはあらゆるクリストたちのやうに共産主義精神を持つてゐる。若し共産主義者の目から見るとすれば、クリスト言葉は悉(ことごと)く共産主義的宣言に変るであらう。彼に先立つたヨハネさへ「二つの衣服(うはぎ)を持てる者は持たぬ者に分け与へよ」と叫んでゐる。しかしクリスト無政府主義者ではない。我々人間は彼の前におのづから本体を露(あらは)してゐる。(尤(もつと)も彼は我々人間操縦することは出来なかつた、――或は我々人間操縦されることは出来なかつた。それは彼のヨセフではない、聖霊子供だつた所以(ゆゑん)である。)しかしクリストの中にあつた共産主義者を論ずることはスヰツルに遠い日本では少くとも不便を伴つてゐる。少くともクリスト教徒たちの為に。

     4 無抵抗主義者

 クリストは又無抵抗主義者だつた。それは彼の同志さへ信用しなかつた為である。近代では丁度トルストイの他人の真実を疑つたやうに。――しかしクリストの無抵抗主義何か更に柔(やはら)かである。静かに眠つてゐる雪のやうに冷かではあつても柔かである。……

     5 生活

 クリストは最速度生活者である。仏陀は成道(じやうどう)する為に何年かを雪山の中に暮らした。しかしクリスト洗礼受けると、四十日の断食の後、忽(たちま)ち古代のジヤアナリストになつた。彼はみづから燃え尽きようとする一本蝋燭(らふそく)にそつくりである。


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