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縫子 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
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        一  二階の掃除をすませ、緩(ゆっ)くり前かけなどをとって六畳に出て見ると、お針子はもう大抵皆来ていた。口々に、ぞんざい師匠の娘であるに挨拶した。縫子は襖をしめながらちょっと上体をかがめ総体に向って、
「お早う」
と答えた。彼女自分場所と定っている地袋の前に坐った。針箱や縫いかけを入れた風呂敷づつみなど、お針子の誰かによってちゃんと座布団の前に揃えられていた。然し、直ぐに包みはとかず、縫子は傍でかんかんおこっている火鉢を引よせ、その上にこごみかかって手を焙った。窓際で車屋の娘のてふが小紋の綿入れの引き合いを見ていた。拡げられている縫物の様々な色、染の匂い場所合わせては多すぎる娘達などで明るい狭い部屋は一種柔く混雑している。
 縫子が箱火鉢の縁に手頸をのせ掃除でぬれた爪あかぎれ繃帯をほどいていると、米(よね)が箆(へら)台から頭だけ擡(もた)げ大きな声で、
先生
と隣室に声をかけた。
「はあい」
「きのうの男物、やっぱり鍵にしておきましょうか」
「それでいいでしょう」
 縫子も他の娘達も気のない顔でその問答をきいた。米は暫く一心に紺花色の裏地を裁っていると思ったらいきなり、
「ねえ、ちょっとどう思って? 千代乃さんまた来るでしょうか」
と云い出した。くるりとその声でてふが振向き、
「縫子さんどう? 昨夜の様子ったら!」
 さも堪らなそうに云った。縫子は、やはり火鉢にかぶさったまま、嘲るように口のはたを引下げて笑いながら合点する。
「何なの」
 好奇心に満ちたのは米ばかりではなかった。
千代乃さんがどうかしたの?」
 てふが、まち針を打ちながらわざと無雑作に云った。
昨日千代乃さんの御婚礼があったのよ」
「あらあ」
 何故だか一同がとてもおかしそうに吹き出した。
「本当? 本当に昨夜あったの? いやな千代乃さん、私今度会ったらうんと云ってやるわ。こないだ会った時訊いたらすまして来年よ、だなんて――」
「見たの? おてふさん」
「見たわ、ねえ」
 てふは、さも二人だけがあれを知ってるのよと合図するように得意で縫子に目交ぜをした。
「とても素敵だったわね」
 縫子はまた、大きい瞼がちっと脹れぼったいような眼を瞠(みは)って、唇を引下げながら合点する。――この意味ありげな表情を見せられた娘達はもう我慢を失なった。
「ねちょっと! 何なのよ、何があったの?」
「いじわるな人! 焦らさずにおっしゃいよ、早く! さ」
「私だって昨夜千代乃さんの御婚礼だなんて知らなかったのよちっとも。あれ何時頃だった? 八時頃? 縫子さんと二人してお湯から帰りに糸源へ廻ったのよ、丁度ほらあすこ千代乃さんちの先でしょう? こっちへ来ると千代乃さんちの前がひどい人だかりなの。何事かと思って私ドキッとしちゃったわ全く。いそいで縫子さんと行って見たら、それが、あんた千代乃さんの御婚礼なのよ」
「だって――表からどうしてそんなに見えたの?」
「わざと見えるように、お店をすっかり開けっぴろげてあるのよ。――千代乃さんのお母さんて、ほら――云っちゃ悪いけれど随分あれでしょう? だから見て貰いたくって仕様がないのよ――ああいう処を……」
 米が同情と羨望をこめて呟いた。
千代乃さんこそいい面の皮ね」
 ――皆が暫時(しばらく)沈黙した。やがて内気で年若なのぶが、
千代乃さん綺麗だって?」
と訊いた。
綺麗だったわ」
島田?」
「そうよ」
「どんな装(なり)? 模様?」
「そうだったわね、何あの模様――蓬莱じゃなかった?」
 縫子は指先に繃帯をしながら、
「……見えなかったわ」
とぶっきら棒に返事した。本当は蓬莱だったのを知っていたが、彼女はてふが得意で喋るのがだんだんいやになり出したのであった。然してふは、
「お婿さんよかずっと立派だったわよ。お婿さん、ありゃあきっと千代乃さんより小っちゃいに決ってるわ」
とがらがら云って、皆を笑わせた。
「――でも千代乃さんもこれからは今迄のように行かないわねえ、うちの姉さん見たってわかるわ」
 米がしんみり云い出したにつれて、二十前後の娘たちはてんでに嫁に行くのがいいか、養子がいいかという議論を始めた。次第に熱中し、実例を出したり、噂の又噂をしたりして盛に自分言葉を朋輩に信じさせようとする、興に乗った様子を縫子は火鉢のところからぼんやり眺めていた。縫子はよく何も手につかずぼんやりしていることの多い娘であった。左の人指し指薬指とに白金巾のきれっ端でちょいちょいと繃帯し、小さい蝶でもついているような手を大火鉢にかざし、その甲に頬ぺたをのせて皆の方を眺めている。火気の故で、彼女の薄皮で色白な顔が上気(のぼ)せうるんだようになった。それでもそうやっている。何か可哀そうっぽいところがあるので、ふと見咎めた米が、
「縫子さん、どうかして?」
と云った。
「おや、悲観してるの? 何か
 さも揶揄(からか)うように仰山なてふを睨んで縫子は徐ろに首を擡げた。彼女は、腰を反らせるとくしゃくしゃ両手で眼を擦(こす)りながらとってつけもなく、
「あああ、眠くなっちゃった
と大きな生欠伸(なまあくび)をした。それを見ると皆はひときわ高く笑いこけた。縫子がごまかそうとしたのが明かだと思うから、なおさら笑いがこみ上げて来る。縫子はあまり笑われるので自分までほんのり赧くなってしまった。
「おやめなさいってば――」
 彼女は面倒くさそうにとんび足に坐ったまま風呂敷包の方へ小柄な紡績絣を着た体をずらし、やっと仕事に取懸った。

        二

 縫子は、いつからとなくヒステリー娘だと思われていた。機嫌のいい時面と向って「縫子さん、またヒステリー起しちゃいけませんよ」などと出入りの細君が云っても、彼女はちっとも怒らなかった。万事心得た年のいった娘らしく笑って「へえ、へえ」などと冗談に紛らして答えた。自分でもヒステリーをそれなら承認しているのだろうか? 縫子は、山科さんの娘のようなのこそ本当のヒステリーだと思っていたから、自分については拘泥しなかった。山科さんというのは秋田の大金持で、東京に別宅があり、そこの借家に、縫子の親、杉村勘次郎一家が住んでいた。家賃三十四円の借家人と家主以上の関係が、母親なみが頼まれる縫物をなかだちとして生じた。


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