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老主の一時期 - 岡本 かの子 ( おかもと かのこ )

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  • 鮨 岡本かの子 初版 戦前 文学 小説 昭和16年
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  • 0805 日本の文学46 宇野千代・岡本かの子 昭和44年4月初版
  • 佐藤春夫 『掬水譚』 岡本かの子宛署名本 谷崎潤一郎
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「お旦那(だんな)の眼の色が、このごろめつきり鈍つて来たぞ。」  店の小僧番頭が、主人宗右衛門のこんな陰口を囁(ささや)き合ふやうになつた。宗右衛門の広大屋敷内に、いろは番号で幾十戸前の商品倉が建て連ねてある。そのひとつひとつを数人|宛(ずつ)でかためて居る番頭小僧の総数は百人以上であつた。その多人数の何処(どこ)か一角から起つたひとつの話題が、全体へ行き渡るまでには余程の時間がかゝる。そしてその話題によほどの確実性と普遍性がなければ、多くはある一角、または半数、三分の一くらゐなところで、いつも立ち消えになつてしまふ。宗右衛門のこの噂(うわさ)は、いつ、どの辺から起つたのか、どれだけの時間を経て屋敷全体に拡がつたものか判らないが、兎(と)に角(かく)今までにない確実性と普遍性とを持つてゐる。その上一同の者に、これほど直接に関係する話題はなかつた。
 山城屋宗右衛門のその一瞥(いちべつ)で、屋敷の隅々までも見透すほどの鋭い眼光は、彼が江戸大名御用商人として、一代に巨万の富をかち得た偉(すぐ)れた彼の商魂によつて磨き出されたものである。彼が次第に老齢を加へて来ても、容易に衰へなかつたその眼光が、にはかに鈍つた原因として誰も否定し得ない出来事――山城屋の家庭幸福を根こそぎ抜き散らしてしまつた悲惨な出来事が、最近突然山城屋へ現はれた。
 宗右衛門に二人の娘があつた。上のお小夜(さよ)は楓(かえで)のやうな淋(さび)しさのなかに、どこか艶(なま)めかしさを秘めてゐた。妹のお里はどこまでも派手であでやかであつた。宗右衛門の幸福は、巨万の富を一代にかち得たばかりで満足出来なくて、あの春秋を一時にあつめた美貌(びぼう)を二人まで持つたと人々は羨(うらや)んだ。その二人の娘が――お小夜は十九、お里は十七になつたばかりの今年の春、激しい急性のリヨーマチで、二人が二人とも前後して、俄跛(にわかびっこ)になつてしまつた。人々の驚き、まして宗右衛門夫婦にとつては、驚き以上の驚きであり、悲しみ以上の悲しみであつた。妻のお辻はそれがため持病心臓病を俄(にわ)かに重らして死んで行つた。お辻は宗右衛門に添つて三十年、宗右衛門の頑強と鋭才との下をくゞつて、よく忍従に生きて来た。お辻は一日に三度か、四度侍女乳母(うば)にかしづかれる愛娘達の部屋を覗(のぞ)くばかりが楽しみで、だまつて奉公人と共に働いて、別に人から好いとも悪いとも、批判されるほど目立ちもしない性分であつた。が、支へを失つた巨木のやうに、宗右衛門はがつかりとお辻の死顔の前へ座り込んでしまつたのである。俄跛の姉妹のことを呉(く)れ/″\も夫にたのんで逝(い)つたお辻の死顔の蒼(あお)ざめた萎(しな)びた頬(ほお)――お辻は五十で死んだのである。
 五月下旬の或る曇日の午後山城屋の旦那寺(だんなでら)の泰松寺でお辻の葬儀が営まれた。宗右衛門は一番々頭の清之助や親類の男達に衛(まも)られながら葬列の中ほどを練(ね)つて歩いた。
 今、お辻の寝棺が悠々と泰松寺の山門――山城屋宗右衛門の老来の虚栄心が、ひそかに一郷の聳目(そばめ)を期待して彼の富の過剰を形の上に持ち来(きた)らしめた――をくぐつて行つた。宗右衛門には久しぶりに来て見たこの仰々(ぎょぎょう)しい山門が、背景をなす寺の前庭の寂びを含んだ老松(おいまつ)の枝の古色に何となくそぐはなく見えるのであつた。いつものやうな彼のこの山門に対する誇りと満足とは、決して彼には感じられなかつた。彼はむしろ、そのけばけばしい磨き瓦(かわら)の艶(つや)が、低く垂れた曇天の雲の色に、にぶく抑圧されてゐるのに安心した。彼は腫(は)れぼつたい眼を山門から逸(そ)らして、ほつと溜息(ためいき)をついた。彼は門脇の寄進札の劈頭(へきとう)に、あだかもこの寺門保護者のやうに掲げ出されてある自分の名を、出来るだけ見まいとした。無頓着(むとんちゃく)な老師に先んじて、平常|斯(こ)うした俗事にまめな世話役某の顔を莫迦(ばか)/\しく思ひ浮べた。
 泰松寺は寺格の高い割りに貧乏であつた。新らしい堂々たる山門に較べて、本堂はほんの後れ毛のやうに古くてみすぼらしい。お辻の棺(ひつぎ)がその赤ちやけた本堂の畳敷の真中に置かれて、ます/\豊かに立派に見えた。宗右衛門は正座に据(すわ)つて自分のこの土地に於ける勢力を象徴するものゝやうに、本堂もひしめくばかり集つた大勢の会葬者の群を見廻した。そしてあらためてまたお辻の棺に眼をやつた。その中に横(よこた)はる蒼(あお)く萎(しな)びたお辻の死体……彼は、小さくても肉付きのよい顔かたちの人並すぐれてよく整つてゐた若い頃のお辻が、いつの間にか年をとつて、こんなに蒼く萎びたかと、納棺前のお辻の死体の傍で感じたことを思ひ出した。彼はそのとき、ろく/\妻の姿かたちさへ心にとめないで何十年間稼いで稼ぎ抜いた自分が、何となくあさましく思はれたのであつた。
 二人の娘を飾るための衣装費用よりほか――それだけはむしろ宗右衛門自身が進んで出したがる費用でもあつた――何一つ出費の厳しい夫にねだつたこともないお辻の為めに、最後のお辻の衣装である棺を立派にしてやらうと、宗右衛門は思ひ付いたのであつた。角厚な檜(ひのき)材の寝棺をお辻の死体が二つほども這入(はい)れるくらゐ広く造つた。家の奥座敷でお辻の死体をそれに入れる時「出し惜しみが急に気張つたのでお辻さんは風邪をひくわい」と兼々(かねがね)気まづかつた親類一人が、わざと聞えよがしの陰口をきいた。いつもの宗右衛門が、かつと怒るかはりに、成程(なるほど)と思考して死体のまはりの空所に色々なものを詰めてやつた。いつの間にかお辻が丹念に蓄へて置いた珊瑚(さんご)の根掛けや珠珍の煙草(たばこ)入れ、大切に掛け惜(おし)んでゐた縞縮緬(しまちりめん)の丹前、娘達の別れがたみの人形、宗右衛門自身が江戸の或る大名家老から頂戴(ちょうだい)した羽二重(はぶたえ)の褥(しとね)が紅白二枚、死出の旅路をひとりで辿(たど)るお辻の小さな足にも殊更(ことさら)に絹|足袋(たび)を作つて穿(は)かせ、穿きかへまでも一足添へた。宗右衛門は俄(にわ)か覚えの念仏をぶつぶつ口のなかで唱へながら、何もかにも手伝つてやつた。するとまた「お旦那(だんな)も我(が)が折れた。お嬢さん達があんなになりなさつて気が弱つたからだ。」と、どこかで奉公人達が、ひそひそ言ふけはひもしたが(俺はもう誰にも何にも言はぬぞ)観念すれば何事にも意志の強い自分であることを宗右衛門は知つてゐた。そして、それがまた何となく淋(さび)しいやうにも感じられて、棺を見つめてゐた眼をしばたゝいた。そのまゝ何もかも黙つてお辻の棺について寺へ来たのである。
 宗右衛門は軽い眩暈(めまい)を感じて眼を閉ぢた。何か哀願するやうなお辻の声が何処(どこ)かでした。


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