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老狸伝 - 佐藤 垢石 ( さとう こうせき )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
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  一  大寒に入って間もない頃、越後国岩船郡村上町の友人から、野狸の肉と、月の輪熊の肉が届いた。久し振りの珍品到来に、家内同大いに喜んだのである。
 越後岩船郡新潟県東北にあり、越後山脈を中に挟んで、山形県と境を接している。友人からきた手紙によると、野狸の方は村上近在の農村へ、のこのこと遊びに出てきたのを、鉄砲で撃ち取ったのであるが、熊の方は、友人の母の里方である越後山脈の、深い雪の谷合いの穴で、専門猟師が槍(やり)で突き殺したのであるという報(しら)せである。ご馳走が、極端に払底なこの頃の世の中に、まことに難い饗饌(きょうせん)だ。
 私は上州会津、雄鹿半島紀州丹波信濃満州などの狸を食ったことはあるけれど、越後出羽境の狸の肉に見参するのは、これがはじめてだ。なんとか上手調理して、食べたいと思う。
 動物図鑑によると、狸は本州四国九州に産するとある。体長五百三十ミリ内外、尾の長さは百七十ミリ内外で、体は狐よりも小さく、前肢も後肢も短い。
 毛は概ね暗灰色で、密生している。体のところどころに黒い毛が混じっていて、両眼の下は黒褐色を呈する。吻と、眼の上部と、喉などは少し白い。そして、額は短いのである。
 山や野に穴居して夜になると這いだして残肴や昆虫、蠕虫などを漁(あさ)り、時には植物質のものを食うこともある。六、七月頃、子を産む地方により、狢ともいう。
 と、書いてある。私は、子供のころ狸と貉(むじな)は別物と思っていたが、今から四、五十年前、栃木県に狸と貉の裁判があって、その正体がはっきり分かったのである。
 日本では、狸の妊娠から分娩季を禁猟にしている。ところが、野州のある百姓が、貉を捕って殺した。それを、村の駐在巡査発見して、貉も狸も同じ動物だ。そこでつまり、貉を殺せば狸を殺したことになるというので告発した。
 この事件裁判に付せられたところ、百姓が述べるには、わしの村では昔から、狸と貉とは別物にしている。狸を殺してはいけないちうことは知っているけれど、貉を殺してはならぬちうことは知り申さぬ。と、いうのである。
 そこで、裁判では狸と貉の区別について専門家意見を求めたところ、やはり駐在巡査の主張した通り、狸と貉は同一の動物であって、ところにより呼び名が異なるだけであるという証言を得たのである。よって遂に、百姓は国法により罰せられたという新聞記事を見た。
 それ以来、私は狸と貉を同一のものと考えるようになったのだが、私の老父が私の幼い頃、私らの子供に化けものばなしをするとき、貉の化け方は、甚だ大|袈裟(げさ)で雲つくばかりの大入道となり、人間の胆を潰すのを見て喜ぶ。しかし、狸の化け方は一体に小柄で、一つ目小僧のような少年となり、時に人間に正体を見破られて逃げ出すという茶目気分がある。と、聞かせていたので、私は幼いときから両者を別ものと思ってきたわけである。
 ※(あなぐま)を指して、狢と呼ぶ地方もある。曲亭馬琴里見八犬伝では、犬山道節が足尾庚申山の、猫又を退治する条で、※をまみと称しているが、東京麻布の狸穴は、これをまみあな町と唱えている。してみると、われわれの先祖は、そそっかし屋揃いで、狸と※を兄弟か、従兄くらいにしか考えていなかったらしい。
 動物学の方からいうと、狸は犬科に属しているけれど、※は貉や獺(かわうそ)と同じに、鼬鼠(いたち)科に属している。※は、本州四国九州など至るところに棲んでいて、体の長さは尾と共に六百三十ミリ内外。毛色は夏冬によって、彩を異にし、冬毛は背中に白味が多く、腹の方は黒褐色を呈し、過眼帯は黒い。爪は長く黄白色をなし、前肢の爪は殊に長大だ。
 前段に申したように地方によっては狸と混用して、狢というが体の毛の荒いのと、前肢の爪が長いのによって、はっきりと区別することができる。低い丘の横腹などに自分で穴を掘って棲んでいて、四月頃に子を産むのである。肉は脂肪を含んでやわらかく、その風味、豚に似ていると思う。

  二

 さて、わが老妻は村上町から渡来した狸の肉を細かく刻み、これを鍋の水に入れて二、三時間|沸(たぎ)らせ、やわらかくなったところへ、そぎ牛蒡(ごぼう)、下仁田|葱(ねぎ)、焼豆腐を加えて、味噌落としたのである。そして、舌をやくほど熱いところを椀に盛り、七味を加えて味わったところ、素晴らしくおいしい。さらに、奥利根沼田から贈って貰った醇酒で小盃を傾け、わが舌に吟味を問えば、なんとも答えず、ただ舌根痙攣させるのみ。
 まことに、久し振りで狸汁の珍味酔うたのである。
 月の輪熊の方は、その翌日とろ火にかけて、小半日ばかり湯煮(ゆに)して、やわらかに煮あげ、それを里芋牛蒡、焼豆腐と共に旨煮にこしらえて賞味したところ、山谷匂い口中に漂って、風雅の趣を噛みしめた。
 総じて獣肉料理には、牛肉にも豚肉にも猪肉にも、牛蒡の味が内助の功を示すものだが、土の香の強い狸や熊には、殊に牛蒡の持つあの特有の香が、肉の味を上品にする役目は、大したものであると思う。
 数年前、報知新聞社から北海道へ熊狩隊を派遣したことがある。そのとき撃ち取った羆を友人数名と共に、小石川富坂の富士菜館へ持ち込み、南支の広州からきた料理人の手にかけて、十数種類の支那料理にこしらえ、さまざまに試食したことがあったけれど、その折りのおいしさもさることながら、老妻の手にかけた月の輪熊の醤(しょう)は格別である。
 月の輪熊は、日本特有の種類である。本州深山に棲んでいて体は肥満し、体の長さは二メートル近くにまで育つのがある。


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