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聴雨 - 織田 作之助 ( おだ さくのすけ )

  • 織田作之助作品集2/織田作之助 著 大谷晃一 編・単行本
  • ■ 織田作之助短編集 /  聴雨・蛍  ■ちくま文庫■
  • ●中古図書●日本文学全集(72)織田作之助井上友一郎集集英社
  • ★「西鶴新論」織田作之助 昭22初版 天地書房★
  • ◇希少本『夫婦善哉』 織田作之助著◇M
  • 織田作之助■六白金星■昭和21年初版
  • 織田作之助全集 【全8巻】 講談社
  • レア!戦前昭和17年 「五代友厚」 織田作之助 日進社
  • 日本文学全集55/武田麟太郎・坂口安吾・織田作之助
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 午後から少し風が出て来た。床の間掛軸がコツンコツンと鳴る。襟首(えりくび)が急に寒い雨戸を閉(し)めに立つと、池の面がやや鳥肌立つて、冬の雨であつた。火鉢に火をいれさせて、左の手をその上にかざし、右の方は懐手(ふところで)のまま、すこし反(そ)り身(み)になつてゐると、
火鉢にあたるやうな暢気(のんき)な対局やおまへん。」といふ詞(ことば)をふと私は想ひ出し、にはかに坂田三吉のことがなつかしくなつて来た。
 昭和十二年の二月から三月に掛けて、読売新聞社主催で、坂田木村花田の二つの対局が行はれた。木村花田は名実ともに当代の花形棋士、当時どちらも八段であつた。坂田は公認段位は七段ではあつたけれど、名人自称してゐた。
 全盛時代名人関根金次郎をも指し負かすくらゐの実力もあり、成績も挙げてゐたのである故、まづ如何(いか)やうに天下無敵を豪語しても構はないやうなものの、けれど現に将棋家元大橋宗家(そうけ)から名人位を授けられてゐる関根といふ歴(れつき)とした名人がありながら、もうひとり横合ひから名人を名乗る者が出るといふのは、まことに不都合な話である。おまけに当の坂田に某新聞社といふ背景があつてみれば、ますます問題簡単で済まない。当然坂田名人自称問題は紛糾をきはめて、その挙句(あげく)坂田東京棋士絶縁し、やがて関東関西を問はず、一切の対局から遠ざかつてしまつた。人にも会はうとしなかつた。
 彼の棋風は、「坂田将棋」といふ名称を生んだくらゐの個性の強い、横紙破りのものであつた。それを、ひとびとは遂(つひ)に見ることが出来なくなつた。かつて大崎八段と対局した時、いきなり角頭の歩を突くといふ奇想天外の手を指したことがある。果し合ひの最中草鞋(わらぢ)の紐を結ぶやうな手である。負けるを承知にしても、なんと不逞々々(ふてぶて)しい男かと呆(あき)れるくらゐの、大胆不敵な乱暴さであつた。棋界は殆んど驚倒した。一事が万事、坂田の対局には大なり小なりこのやうな大向(おほむか)ふを唸(うな)らせる奇手が現はれた。その彼が急に永い沈黙を守つてしまつたのである。功成り遂(と)げてからといふならまだしも、坂田将棋の真価を発揮するのはこれからといふ時であつた。大衆はさびしがつた。
 けれど、坂田沈黙によつて、棋界がさびれた訳ではない。木村金子たち新進擡頭し、花田が寄せの花田の名にふさはしいあつと息を呑むやうな見事な終盤を見せだした。定跡(ぢやうせき)の研究が進み、花田金子たちは近代将棋といふ新しい将棋の型をほぼ完成した。さうして、棋界が漸(やうや)く賑(にぎ)はつたところへ、関根名人名人位引退を宣言した。名人一代の制度が廃止されて、名人位獲得のリーグ戦が全八段によつて開始された。大阪からは木見八段が参加した。神田八段も中途から加はつた。が、ただひとり坂田沈黙してゐる。坂田の実力はやがて棋界の謎となつてしまつた。隆盛期の棋界に、そこだけがぽつんとあいた穴のやうな感じであつた。
 この穴を埋めることは、棋界に残された唯一の、と言はないまでも、かなり興味深い大きな問題である。自然大新聞社は殆んど一ツ残らず、坂田の対局を復活させようと、さまざまに交渉した。新聞社同志の虚々実々の駆引(かけひ)きは勿論である。けれど、坂田東京棋士乃至将棋大成会との間にわだかまる感情問題面目問題はかなりに深刻である。大成会内部意見を纏(まと)めるのさへ、容易ではなかつた。おまけに肝腎の坂田自身がお話にならぬ難物であつた。
 たいていの新聞社はこの坂田の口説(くど)き落としだけで参つてしまつたのだ。
「銀が泣いてゐる。」といふ人である。――ああ、悪い銀を打ちました、進むに進めず、引くに引かれず、ああ、ほんまにえらい所へ打たれてしもたと銀が泣いてゐる。銀が坂田の心になつて泣いてゐるといふのだ。坂田にとつては、駒の一つ一つが自分の心であつた。さうして、将棋盤のほかには心の場所がないのだ。盤が人生のすべてであつた。将棋のほかには何物もなく、何物も考へられない人であつた。無学で、新聞も読めない、交際も出来ない。それ故、世間並の常識で向つても、駄目であつた。


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