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能とは何か - 夢野 久作 ( ゆめの きゅうさく )

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 二三年前の事、或る若いエスペランチストが私の処へ遊びに来ました序(ついで)に、瑞西(スイス)とかのエスペラント雑誌へ「能」の事を投稿したいから、話してくれないかと頼みました。ところが生憎(あいにく)、私は能というものを外国人紹介する程の頭も学問も持合わせておりません。東京で行われる一流の能さえもあまり見た事がないくらいの貧弱な一ファンに過ぎないのですから、そんな大それた話は出来ないと云ってあやまりましたら、それなら概念だけでもいいから、質問に応じてくれ。それを参考にして論文を書いて見るから……とナカナカ頑強で熱心なのです。そこで私は大胆にも承知をしまして、その青年質問に答えたのですが、その質問が又、意外に組織立っているのに些(すくな)からず驚かされた事でした。しかもその青年は私の答えを一々速記して日本文に直しておりましたので、その原稿を程経てから私の留守中に持って来て「閑な時に見てくれ」と云いおいて帰って行きました。
 ところがその青年は、それっ切りパッタリと来なくなりました。住所が分らなくなったばかりでなく、年賀状も来なくなりましたので、どうしたのかと思っておりますと、この頃の人の噂に、その青年は深刻な左傾運動関係して外国に放逐されたとの事で私は余りの事に茫然となった事でした。そうして一人の頭のいい、情熱の深い友達を失った事を心から悲しんだ事でした。
 この原稿はその青年の生き形見で、ほんの処々筆を入ただけです。その青年の頭のよさと、私の無学さとが到る処に曝露している事と思いますが、却(かえ)ってそうした点が一種の興味と共に何かの御参考になりはしまいかと思いまして編輯者のお手許に差出す事に致しました。一つにはその青年思い出を葬り去るに忍びない私の或る気持ちが、こんな決心を敢(あえ)てさしたのかも知れませぬけれども……。
 長々しい私事を前置きに致しましたことを謹んでお詫び致します。

     外人能楽ファン

「能とは何ぞや」という標題は大き過ぎて気がひける。併(しか)し外に適当な題もないようだからこの題下に話をすすめる。
 近来外国芸術家、もしくは芸術愛好者たちが日本の「能」に着眼して、色々研究をしていると聞いた。主として文学青年の噂を聞き噛(かじ)ったのであるが、主として英米独仏人だそうである。中にも米国人は、例の珍らしいもの好きから「能」に接近する傾向があるが、同じアングロサクソン人種でも英国人のはそんな単純な意味研究ではないらしい。何とかいう詩人イエーツ記憶する)は真正面から「能」を研究して批判しているし、ゴールドン・クレイグという劇通は裡面から英国の劇壇の新傾向を解剖して「劇の窮極の形の一つに仮面舞踊劇が存在する」というところから、日本の「能」の芸術存在価値裏書きしていると聞いた。又今から百年ばかり前に死んだ仮面劇の作者名前忘却)の墓石に刻み付けられた楽譜ようのものの正体が、どう研究しても分らなかったのが、この頃日本能楽研究が盛んになるに連れて、その楽譜ようのものが打楽器の音譜である事が判明した……というような話も聞いている。その他にも能楽に就て論議された言葉色々発表されているので、そんな人々の意見を綜合すると概要こんな意味になる。

 舞台という四角い、限られた枠の中に嵌(は)め込まれるべき所作的表現である以上、その所作、扮装共に現実と同じものでは調和しないのが当然である。皿の絵はあくまで皿の絵式の非現実なものでなければならぬ。丸天井の絵はどこまでも丸天井式の夢幻的な構図着想でなければならぬ。その他、壁布の絵、衣裳の模様人体の黥(いれずみ)、その他何でも、芸術作品というものは、その盛り込まれる相手の形状、用途、環境、対象等の各条件によって、それらしいノンセンス味を加味して行かれねばならぬ。そこに現実としての虚偽があると同時に芸術としての真実存在する。この意味現実の断片を、そのまま舞台にはめ込むのは芸術上の大錯誤である。
 舞台という特別な世界に嵌め込まれて、鑑賞さるべき所作芸術は、舞台という四角い箱に百パーセントまで調和する扮装と所作でなければならぬ。このために芝居に於て、俳優は、顔の化粧を強調し、動作を極度に突込み、表情を思い切り誇張する。舞台を区切る強い直線の力、フットライトの威力、音楽波動又は筋や言葉緊張度等に圧倒されまい。これを支配して、これに調和して行こうとする。そうすると、その所作は次第に非現実なものになり、その扮装は自から舞台向きの特殊なものとなって来る。
 作者も同じ苦心をする。舞台の上で進行する事件現実通りにゴチャゴチャさせたり、間延びにしたりする事は出来ない。その場面場面の印象は、出来るだけ重立った、上手役者の所作、科白(せりふ)等によって強調させるようにしなければならぬ。その脚色と名付くる非現実統制によって、初めて舞台上の出来事が、観客の頭に百パーセントの印象をあたえる事になる。
 けれども一方に、それが芝居である以上、全然現実から脱却する事は出来ない。ストーリーの面白味、背景、扮装の迫真、史実との一致なぞいう非芸術な要素を喜ぶ低級な観客や、低級な通人、批評家の勢力はいつの世にも絶えない。従て芝居は常住不断に舞台表現と、現実的な表現との中間に狭迷(さまよ)って行かねばならぬ。写実と非写実のチャンポンをやって行かねばならぬ。芝居芸術の悲哀はそこにある。
 この煩悶を一掃するものは、舞台仮面劇、もしくは舞台仮面舞踏である。そうして日本能楽はこの両者を打って一丸として渾然徹底したものでなければならぬ。舞台仮面仮面と打音楽器は、切っても切れぬ芸術因縁を以て、一如結び付いているものである。
 吾人は希臘(ギリシャ)の仮面舞踊劇を今一度、モットモット深くかえりみる必要がある……。

 ……というような考察は、英国極めて高等な芸術家たちの論議に散見しているところだそうである。
 その他仏蘭西(フランス)人は直観的に能の表現の尖鋭さを推賞し、独逸(ドイツ)人は能楽のリズムを表現する間拍子異常発達を遂げているのに驚異して、これを科学的に分析研究しているという。
 その他、曰(いわ)く何、曰く何と色々研究の話を聞いているが、外国語のわからない私には、直接に原書読む事が出来ない。又訳書も無いらしいので、畢竟(ひっきょう)、噂の噂程度の引例にしかならないのを悲しむ。しかし、それでも、その研究発表が上述の如く、能の根本義に触れている点は三嘆に価するので、日本人でもそんな風に能の根本精神に触れた考察をめぐらしているものはあまりあるまいと考えられる。


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