般若心経講義 - 高神 覚昇 ( たかがみ かくしょう )
序
いったい仏教の根本思想は何であるかということを、最も簡明に説くことは、なかなかむずかしいことではあるが、これを一言にしていえば、「空(くう)」の一字に帰するといっていいと思う。だが、その空は、仏教における一種の謎で、いわば公開せる秘密であるということができる。
何人にもわかっているようで、しかも誰にもほんとうにわかっていないのが空である。けだし、その空をば、いろいろの角度から、いろいろの立場から、いいあらわしているのが、仏教というおしえである。
ところで、その空を『心経』はどう説明しているかというに、「色即是空(しきそくぜくう)」と、「空即是色(くうそくぜしき)」の二つの方面から、これを説いているのである。すなわち、「色は即ち是れ空」とは、空のもつ否定の方面を現わし、「空は即ち是れ色」とは、空のもつ肯定の方面をいいあらわしているのである。したがって、「空」のなかには、否定と肯定、無と有との二つのものが、いわゆる弁証法的に、統一、総合されているのであって、空を理解するについて、まずわれわれのはっきり知っておかねばならぬことである。
次に空をほんとうに認識するについて、もう一つたいせつなことがある。それは「因縁」ということである。『心経』には因縁について一言も説いてはいないが、因縁を十分に理解しないと、どうしても空はわからないのであって、端的にいえば、空と因縁とは、表裏一体の関係にあるのである。申すまでもなく因縁とは、「因縁生起」ということで、世間のこといっさいみなことごとく因縁の和合によって生じ起るということである。もとよりこのことは、説明を要しない自明の理であるにもかかわらず、われわれはこの自明の理にたいして、平素あまりにも無関心でいるのである。すなわち「因」より直接に果が生ずるがごとく考えて、因縁和合の上の結果であることに気づかないのである。しかもこれがあらゆる「迷い」の根源となっているのである。すなわち凡夫の迷いとは、つまり因縁の理を如実にさとらないところにある。別言すれば、因縁の真理を知らざることが「迷い」であり、因縁の道理を明らめることが「悟り」であるといっていい。
おもうに今日、一部のめざめたる人を除き、国民大衆のほとんどすべては、いまだに虚脱と混迷の間をさまようて、あらゆる方面において、ほんとうに再出発をしていない。色即是空と見直して、空即是色と出直していない。所詮、新しい日本の建設にあたって、最もたいせつなことは、「空」観の認識と、その実践だと私は思う。このたび拙著『般若心経講義』を世に贈るゆえんも、まさしくここにあるのである。この書が、新日本文化の建設について、なんらか貢献するところあらば、著者としてはこの上もないよろこびである。
昭和二十二年春
東京 鷺宮 無窓塾
高神覚昇
第一講 真理(まこと)の智慧
般若波羅蜜多心経
(一切智に帰命し奉る)
心経の名前 ここに『般若心経(はんにゃしんぎょう)』の講義をするに当りまして、最初にはしがきとして、『心経』の経題(なまえ)すなわち『般若心経』という名前について、お話ししておきたいと思います。さてこの『般若心経』は、普通には単に、『心経』と申しておりますが、詳しくいえば、『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)』というのであります。いったい、一口にお経と申しましても、昔から八万四千の法門といわれるくらいで、仏教の聖典の中には、ずいぶんたくさんのお経があります。しかしその数あるお経の中で、この『心経』ほど、首尾の一貫した、まとまった、しかも簡単なお経は他にないのであります。『心経』は全部で、その字数はたった二百六十字しかありません。もっとも、私どもが日ごろ読誦(どくじゅ)しております『心経』には、「一切」という文字がありますから、結局二百六十二字となりますが、すでに弘法大師も、
「文(もん)は一紙に欠け、行(ぎょう)は則(すなわ)ち十四、謂(い)うべし、簡にして要、約にして深し」
といっているように、全くこんなに簡単にして明瞭なお経は決して他にないのであります。
天下第一のお経 次にまた、その名前のよく知れ渡っているという点では、あの『論語』にも匹敵するのであります。そして論語が天下第一の書といわれているように、この『心経』もまた昔から天下第一の「経典」といわれているのであります。とにかく、仏教のお経といえば『心経』、『心経』といえば仏教を聯想するというほど、このお経は、昔からわが日本人とは、きわめて縁の深いお経なのであります。
絵心経のこと 今日『絵心経(えしんぎょう)』といって、文字の代わりに、一々絵で書いた『心経』が伝わっておりますが、これは、俗に『めくら心経』、または『座頭心経(ざとうしんぎょう)』などとも申しまして、文字の読めない人々のために、特にわざわざ印刷せられたものでありますが、それによっても、古来いかに広く、この『心経』が一般民衆の間に普及し、徹底しておったかを知ることができるのであります。ところで、今回お話し申し上げようと思う『心経』のテキストは、今よりちょうど一千二百八十余年|以前(まえ)、かの三蔵法師で有名な中国の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が翻訳されたもので、今日、現に『心経』の訳本として、だいたい七種類ほどありますが、そのうちで『心経』といえば、ほとんどすべて、この玄奘三蔵の訳した経本(きょうほん)を指しているのです。ところが、前もってちょっとお断わりしておかねばならぬ事は、平生(ふだん)、私どもが読誦している『心経』には、『般若波羅蜜多心経』の上に、「摩訶(まか)」の二字があったり、さらにまた、その上に「仏説」という字があるということです。学問上からいえば、いろいろの議論もありますが、別段その意味においてはなんら異なることがありませんから、このたびは玄奘三蔵の訳した経本によって、お経の題号(なまえ)をお話ししてゆこうと存じます。
書物の題とその内容 およそ「題は一部の惣標(そうひょう)」といわれるように、書物の題、すなわちその名前というものは、その書物が示さんとする内容を、最もよく表わしているものです。もっとも今日、店頭に現われている書物のうちには、題目と内容とが相応していないどころか、まるっきり違っているものも、かなり多くありますが、お経の名前は、だいたいにおいて、よくその内容を表現しているとみてよいのです。たとえば、経典のうちでも、特に名高いお経に、『|華厳経(けごんきょう)』というお経があります。これはわが国でも、奈良朝の文化の背景となっている有名なお経なのですが、ちょうど『心経』を詳しく『般若波羅蜜多心経』というように、このお経を詳しくいえば、『大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)』というのです。さてこのお経は仏陀(ぶっだ)になられた釈尊の、その自覚(さとり)の世界を最も端的に表現しておるお経ですが、その「大方広」という語(ことば)は、真理ということを象徴した言葉であり、「華厳」とは、花によって荘厳(しょうごん)されているということで、仏陀への道を歩む人、すなわち「菩薩(ぼさつ)」の修行をば、美しい花に譬(たと)えて、いったものです。で、つまり人間の子釈尊が、菩薩の道を歩むことによってまさしく真理の世界へ到達された、そうした仏陀のさとりを、ありのままに描いたものが、すなわちこの『華厳経』なのであります。
法華経のこと ところで、この『華厳経』といつも対称的に考えられるお経は『法華経(ほけきょう)』です。平安朝の文化は、この『法華経』の文化とまでいわれているのですが、この『法華経』は、くわしくいえば『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』でこれは『華厳経』が、「仏」を表現するのに対して、「法」を現わさんとしているのです。しかもその法は、妙法といわれる甚深微妙(じんしんみみょう)なる宇宙の真理で、その真理の法はけがれた私たち人間の心のうちに埋もれておりながらも、少しも汚されていないから、これを蓮華(れんげ)に譬えていったのです。
いったい蓮華は清浄(しょうじょう)な高原の陸地には生(は)えないで、かえってどろどろした、汚(きたな)い泥田(どろた)のうちから、あの綺麗(きれい)な美しい花を開くのです。「汚水(どろみず)をくぐりて浄(きよ)き蓮の花」と、古人もいっていますが、そうした尊い深い意味を説いているのが、この『法華経』というお経です。自分の家を出て他所(よそ)へ「往(ゆ)く」その時のこころもちと、わが家へ「還る」その気もち、真理を求めて往くそのすがたと、真理を把(つか)み得て還るその姿、若々しい青年の釈尊と、円熟した晩年の釈尊、私はこの『華厳経』と『法華経』を手にするたびに、いつもそうした感じをまざまざと味わうのです。
右のようなわけで、お経の名前は、それ自身お経の内容を表現しているものですから、昔から、仏教の聖典を講義する場合には、必ず最初に「題号解釈(だいごうげしゃく)」といって、まず題号(なまえ)の解釈をする習慣(ならい)になっています。で、私も便宜上、そういう約束に従って、序論(はしがき)として、この『心経』の題号(なまえ)について、いささかお話ししておきたいと存じます。
般若ということ さていま『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)』という字の題を、私はかりに、「般若」と、「波羅蜜多」と、「心経」との、三つの語に分析して味わってゆきたいと存じます。まず第一に般若という文字ですが、この言葉は、昔から、かなり日本人にはなじみ深い語(ことば)です。
何人にもわかっているようで、しかも誰にもほんとうにわかっていないのが空である。けだし、その空をば、いろいろの角度から、いろいろの立場から、いいあらわしているのが、仏教というおしえである。
ところで、その空を『心経』はどう説明しているかというに、「色即是空(しきそくぜくう)」と、「空即是色(くうそくぜしき)」の二つの方面から、これを説いているのである。すなわち、「色は即ち是れ空」とは、空のもつ否定の方面を現わし、「空は即ち是れ色」とは、空のもつ肯定の方面をいいあらわしているのである。したがって、「空」のなかには、否定と肯定、無と有との二つのものが、いわゆる弁証法的に、統一、総合されているのであって、空を理解するについて、まずわれわれのはっきり知っておかねばならぬことである。
次に空をほんとうに認識するについて、もう一つたいせつなことがある。それは「因縁」ということである。『心経』には因縁について一言も説いてはいないが、因縁を十分に理解しないと、どうしても空はわからないのであって、端的にいえば、空と因縁とは、表裏一体の関係にあるのである。申すまでもなく因縁とは、「因縁生起」ということで、世間のこといっさいみなことごとく因縁の和合によって生じ起るということである。もとよりこのことは、説明を要しない自明の理であるにもかかわらず、われわれはこの自明の理にたいして、平素あまりにも無関心でいるのである。すなわち「因」より直接に果が生ずるがごとく考えて、因縁和合の上の結果であることに気づかないのである。しかもこれがあらゆる「迷い」の根源となっているのである。すなわち凡夫の迷いとは、つまり因縁の理を如実にさとらないところにある。別言すれば、因縁の真理を知らざることが「迷い」であり、因縁の道理を明らめることが「悟り」であるといっていい。
おもうに今日、一部のめざめたる人を除き、国民大衆のほとんどすべては、いまだに虚脱と混迷の間をさまようて、あらゆる方面において、ほんとうに再出発をしていない。色即是空と見直して、空即是色と出直していない。所詮、新しい日本の建設にあたって、最もたいせつなことは、「空」観の認識と、その実践だと私は思う。このたび拙著『般若心経講義』を世に贈るゆえんも、まさしくここにあるのである。この書が、新日本文化の建設について、なんらか貢献するところあらば、著者としてはこの上もないよろこびである。
昭和二十二年春
東京 鷺宮 無窓塾
高神覚昇
第一講 真理(まこと)の智慧
般若波羅蜜多心経
(一切智に帰命し奉る)
心経の名前 ここに『般若心経(はんにゃしんぎょう)』の講義をするに当りまして、最初にはしがきとして、『心経』の経題(なまえ)すなわち『般若心経』という名前について、お話ししておきたいと思います。さてこの『般若心経』は、普通には単に、『心経』と申しておりますが、詳しくいえば、『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)』というのであります。いったい、一口にお経と申しましても、昔から八万四千の法門といわれるくらいで、仏教の聖典の中には、ずいぶんたくさんのお経があります。しかしその数あるお経の中で、この『心経』ほど、首尾の一貫した、まとまった、しかも簡単なお経は他にないのであります。『心経』は全部で、その字数はたった二百六十字しかありません。もっとも、私どもが日ごろ読誦(どくじゅ)しております『心経』には、「一切」という文字がありますから、結局二百六十二字となりますが、すでに弘法大師も、
「文(もん)は一紙に欠け、行(ぎょう)は則(すなわ)ち十四、謂(い)うべし、簡にして要、約にして深し」
といっているように、全くこんなに簡単にして明瞭なお経は決して他にないのであります。
天下第一のお経 次にまた、その名前のよく知れ渡っているという点では、あの『論語』にも匹敵するのであります。そして論語が天下第一の書といわれているように、この『心経』もまた昔から天下第一の「経典」といわれているのであります。とにかく、仏教のお経といえば『心経』、『心経』といえば仏教を聯想するというほど、このお経は、昔からわが日本人とは、きわめて縁の深いお経なのであります。
絵心経のこと 今日『絵心経(えしんぎょう)』といって、文字の代わりに、一々絵で書いた『心経』が伝わっておりますが、これは、俗に『めくら心経』、または『座頭心経(ざとうしんぎょう)』などとも申しまして、文字の読めない人々のために、特にわざわざ印刷せられたものでありますが、それによっても、古来いかに広く、この『心経』が一般民衆の間に普及し、徹底しておったかを知ることができるのであります。ところで、今回お話し申し上げようと思う『心経』のテキストは、今よりちょうど一千二百八十余年|以前(まえ)、かの三蔵法師で有名な中国の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が翻訳されたもので、今日、現に『心経』の訳本として、だいたい七種類ほどありますが、そのうちで『心経』といえば、ほとんどすべて、この玄奘三蔵の訳した経本(きょうほん)を指しているのです。ところが、前もってちょっとお断わりしておかねばならぬ事は、平生(ふだん)、私どもが読誦している『心経』には、『般若波羅蜜多心経』の上に、「摩訶(まか)」の二字があったり、さらにまた、その上に「仏説」という字があるということです。学問上からいえば、いろいろの議論もありますが、別段その意味においてはなんら異なることがありませんから、このたびは玄奘三蔵の訳した経本によって、お経の題号(なまえ)をお話ししてゆこうと存じます。
書物の題とその内容 およそ「題は一部の惣標(そうひょう)」といわれるように、書物の題、すなわちその名前というものは、その書物が示さんとする内容を、最もよく表わしているものです。もっとも今日、店頭に現われている書物のうちには、題目と内容とが相応していないどころか、まるっきり違っているものも、かなり多くありますが、お経の名前は、だいたいにおいて、よくその内容を表現しているとみてよいのです。たとえば、経典のうちでも、特に名高いお経に、『|華厳経(けごんきょう)』というお経があります。これはわが国でも、奈良朝の文化の背景となっている有名なお経なのですが、ちょうど『心経』を詳しく『般若波羅蜜多心経』というように、このお経を詳しくいえば、『大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)』というのです。さてこのお経は仏陀(ぶっだ)になられた釈尊の、その自覚(さとり)の世界を最も端的に表現しておるお経ですが、その「大方広」という語(ことば)は、真理ということを象徴した言葉であり、「華厳」とは、花によって荘厳(しょうごん)されているということで、仏陀への道を歩む人、すなわち「菩薩(ぼさつ)」の修行をば、美しい花に譬(たと)えて、いったものです。で、つまり人間の子釈尊が、菩薩の道を歩むことによってまさしく真理の世界へ到達された、そうした仏陀のさとりを、ありのままに描いたものが、すなわちこの『華厳経』なのであります。
法華経のこと ところで、この『華厳経』といつも対称的に考えられるお経は『法華経(ほけきょう)』です。平安朝の文化は、この『法華経』の文化とまでいわれているのですが、この『法華経』は、くわしくいえば『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』でこれは『華厳経』が、「仏」を表現するのに対して、「法」を現わさんとしているのです。しかもその法は、妙法といわれる甚深微妙(じんしんみみょう)なる宇宙の真理で、その真理の法はけがれた私たち人間の心のうちに埋もれておりながらも、少しも汚されていないから、これを蓮華(れんげ)に譬えていったのです。
いったい蓮華は清浄(しょうじょう)な高原の陸地には生(は)えないで、かえってどろどろした、汚(きたな)い泥田(どろた)のうちから、あの綺麗(きれい)な美しい花を開くのです。「汚水(どろみず)をくぐりて浄(きよ)き蓮の花」と、古人もいっていますが、そうした尊い深い意味を説いているのが、この『法華経』というお経です。自分の家を出て他所(よそ)へ「往(ゆ)く」その時のこころもちと、わが家へ「還る」その気もち、真理を求めて往くそのすがたと、真理を把(つか)み得て還るその姿、若々しい青年の釈尊と、円熟した晩年の釈尊、私はこの『華厳経』と『法華経』を手にするたびに、いつもそうした感じをまざまざと味わうのです。
右のようなわけで、お経の名前は、それ自身お経の内容を表現しているものですから、昔から、仏教の聖典を講義する場合には、必ず最初に「題号解釈(だいごうげしゃく)」といって、まず題号(なまえ)の解釈をする習慣(ならい)になっています。で、私も便宜上、そういう約束に従って、序論(はしがき)として、この『心経』の題号(なまえ)について、いささかお話ししておきたいと存じます。
般若ということ さていま『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)』という字の題を、私はかりに、「般若」と、「波羅蜜多」と、「心経」との、三つの語に分析して味わってゆきたいと存じます。まず第一に般若という文字ですが、この言葉は、昔から、かなり日本人にはなじみ深い語(ことば)です。
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