花守 - 横瀬 夜雨 ( よこせ やう )
我が夜雨の詩を讀みたるは、七八年前某雜誌に載せられたる『神も佛も』といふ一長篇を以て初めとなす、當時彼の年齒猶少、その詩想、亦今より見れば穉簡を免れざる如しと雖も、我は未だ曾てかくばかり文字によりて哀苦を愬へられたることあらず、我が彼と交を訂したるは、爾後兩三年の間にあり、彼生れて羸弱、脊髓に不治の病を獲て、人生の所謂幸福、快樂なるもの、幾んど彼が身邊より遠ざかる、彼に慈母ありて愛撫※さに至り、家庭の清寧平温は、世稀に見るところにして、尠くとも彼自身はかれの如く悲觀す、彼もし哲人ならば、形骸を土芥視して、冷やかに人間と世間と、一切を嗤笑して止みしならむ、彼もし庸人ならば、無氣淪落その存在を疑はれて止みしならむ、然れども彼は情の人なり、眞の人なり、脆弱なる地皮より熱漿を吐く如く、彼が孱躯は肉を蠢にし、詩を靈にしたり、彼が詩は、實に悒然樂しまざるあまりに吐かれたる咳唾なり、尋常人に無意味なる落葉一片も、彼は清唳なくして之を看過する能はず、人生は彼に在りて憂が描ける單圈のみ、愁苦を以て※結し、詩を以て分解す、彼が從來の半生涯傳は是也、故に彼の詩の半面は險、澁、幽、暗にして、他の半面は眞、率、慘、澹、之を貫ぬくに脈々たる生血(ライフ、ブラッド)を以てす、詩豈活きざらんや。
彼は筑波山麓、槿籬周ぐれる祖先の故宅に起臥して、世と相關せず、彼の健康は農民に伍して、耒耨に從ふを許されず、庭園に灌ぎ草花を藝ゑて、僅に悶を遣る、海内の青年文人、彼の詩名を聞くもの、悦んで遠近より種子を彼に頒ち、彼の花園自然の生色を絶たず、白は誰の心、紅は誰の情、詩人の名は、最もふかく彼の詩を吟誦する青年間に高し、彼の詩集に『』を以て題したるは我等諸友人にして、主人自らは干與せざるなり、放曠概ね此類なり、その詩、字櫛句爬、分折毫毛、純乎として純なる眞人の詩也、病詩人の詩也、薄倖文人の詩也、かの西國詩人の冷飯殘羹を拾うて活くる、才子の作と同じからず、詩豈活きざらむや。
然れども彼が如く、世間と杜絶せる境遇に在るを以て、その謠ふところ、眼前咫尺、平凡常套の事にして、往々單情粗心、或は稚兒に似たる感情を洩らすことなしと言ふを得ず、げに『花守』一卷は哀詩也、この哀詩に先づ充たすべき缺陷あらば、そは壯嚴(サブライム)なる悲哀(ソルロフ)ならむ、然れども是なくして※惻の氣、猶且人に迫ること彼が如くむば、彼の詩がいかに眞人の眞情より結晶したるものなるかを窺ふに足らむ。彼自ら寡聞寡讀をいふ、左右に何等の參考書册なく、附近に彼を慰藉する友人あるなし、彼の暮夜獨坐神往して詩を作るは、猶松蟲鈴蟲の、肅殺なる秋野に興酣しておのづから吟(すだ)くがごとし、謠ふものと聽くものと、等しく恍焉忘我の境に入ると雖も、荒凉慘澹、寧ろ耳を掩ふに遑あらず、詩豈活きざらむや。
吁嗟かくばかり覊軛ある世に、詩(うた)のみぞひとり自由なりける、天は彼より一切を徴して、代ふるに最も自由なるものを以て授く、彼亦聊か安んずるところなかる可らず、彼は終始常陸の僻邑に蟄居して、識を所謂中央文壇に求めざるを以て、彼の詩或は多く世に知られざらむ、友人某、々、々等深く之を遺憾とし、其詩集を公にせむことを勸む、我亦與かる、彼曰く、我世に望むところなし、只この一小册子を、垂白の慈母に、献じ、その※容喜色を見るを得ば則ち足れりと、蓋し彼の慈母は彼の最大同情者にして、亦彼が敬愛する最初の人也、彼の詩を識ること、最愛吟誦者なる我等諸友人に讓らざればなり。
彼の詩はかくの如くして作られ、輯められ、刊行せらる、彼を江湖に紹介するものは彼自身の詩也、彼の詩を世に問ふに至りたるは我等諸友人也、即ち茲にその始末を記して、序となす。
辱知 小島烏水識
わたくしが夜雨君と始めて會つたのは卅二年の一月で、出京後間もなく常州に訪問した時です、小山から水戸線に乘りかへて、鬼怒川を渡る比は、黒ずんだ冬の空も晴れ渡り、巽の方眉を壓して白雪を戴いた秀麗な山が聳えてをりました。これが有名な筑波山で、さながら夜雨其人に面會した心持が致しました。ソレは此らが君の詩に因て、深くわれ/\の頭に染み込んでをつたからです。下館で下りて二里半の道を行くと、筑波は終始帽子の廂を離れません。平原的丘陵の幾つを越え、霜柱が崩れて黝土の泥濘を捏ね返した田舍道を大寶迄行くと、東に向て眞正面に、一叢茂つた木立の間に、白壁と藁葺が見えます。それが君の居村です。溝川の縁を幾曲り、村に入ると南に向うた門搆への家があります。最うトツプリと昏れてはをりましたが、君がいそ/\出迎へらるゝ姿は、豫て承知はしてをつたものゝ、まことにイタイケで何ともいへぬ感じが致しました。此夜はまことに面白く隔意なく語つて眠に就きましたが、翌朝母君の御たのみで君の身體を診察した時は、未だに得忘れぬ、萬感一時に胸を衝いて、耻し乍ら不覺の涙がこぼれました。母君の御咄には、五六歳の頃から病氣が起て、東京迄も連れて出て、名高いといふ醫者には誰一人診せぬものなく、隨分苦勞を致しましたが、とう/\全治はせず、小學校に通ふ頃は、徃返が難儀で、心外にも他の子供等の嘲りを受くる折もありました。自分でもソレが厭に成り、終には中途で退學して、内にばかり閉ぢ籠つて、倉の中から本を引き出しては讀んで居りました。二三年前には丸で歩行の利かぬヒドイからだに成りましたが、今ではよい方です。とても長生は出來ますまいと思ひますが、せめて身體の苦痛だけでも除いて遣りたいものです。といはれました。君の病症を並べ立てるのは、醫師の徳義上から憚りますから、略して申しませぬ。つまり身體いづれの箇所も一として故障のない所はない。さりとて世人の嫌惡する如き惡性の疾患ではありませぬ。わたくしは病氣は皆固て仕舞て今後増惡の虞なきこと、壽命は艱生次第常人の年齡に達し得べきこと抔、慰諭しましたが、之が醫者であつてこそ異まなかつたものゝふだんの人ならどの位驚いたでしよう。夜雨君自らでさへも、どうして自分が活きてをるかを不思議に思てをられた位です。しかし私の驚いたのは君の身躰(からだ)ではなかつた。身躰(からだ)ではないが、君が此|※弱(ひよわ)い形(なり)でどうしてあれだけの詩篇が出來、其詩篇が一々|椋實珠(むくろうじゆ)のやうに底光りのした鍛錬の痕を留めてをる、其精力の大さでした。君の學問は全くの獨學で、高等小學の課程すら踏まなかつた位ですから、學問で詩を作る人ではない。當時わたくしは君を以て天才の人と認めました。天才でなければこの境遇この學力で、どうしてこれだけの事業が成し遂げられたか、殆んど奇蹟といはなければなりません。其後は日々火燵に踏み込んで詩作を鬪はしました。其時に君の容貌を見て居ると、動かざること石のごとしといふのでしようか、四周の事物には一切耳目を假しません。時々低誦しては調子の鹽梅を計つてをられます。幾時間でも此の通り、別に疲勞したといふ風も見えぬ。一通り出來ると、今度は添削にかゝる、これがまた尋常でない、自分で滿足する迄は一日でも二日でも紙と筆を離さぬ。熱血を灑ぐといふのはこれだらう、こうなくちやホンとうの詩は出來ぬと、竊かに舌を捲きました。其内春が來て長閑に成りましたから、或日相携へて大寶の沼に遊びました。十町足らずの歩行に君の疲勞は非常であつたのですが、八幡宮に參詣して杉の樹立の間を湖の前に下りた頃は、寂しげな微笑(ほゝゑみ)が君の唇に上りました。これは幼い時の遠い美しい記臆が胸に浮んだからです。ソレを語りつゝ君は今の慘憺(みじめ)な境遇にくらべ、又行衞は黒い雲が横はつて何の希望(のぞみ)もなく死の一字が赤くたゞ閃いてをることを嘆かれました。實際その時には全くわたくしにはソレを慰める言葉がなかつたのです。湖水は古刀の身のやうに亂れを靜めて細長く輝いて居ります。春の雲が夢を弄ぶあたりには、鮮かな筑波の影が見られます。二人は默て仕舞ひました。あゝ汀をたどり落葉をふんだ二月の逍遙! 夜雨君の胸には永生きしますまい、私の記臆にはあり/\と殘てをる……筑波山と大寶沼(古の騰波の淡海)とは君が所有せらるゝ自然の全部であつて、此書を繙かるゝ諸賢は必ず此山水を御忘れのなきやうに願ひたい。君は其後同人と共に箱根の入浴に加名し、又客年父君に從うて親戚の方と博覽會の見物旁奈良から伊勢の方を旅行せられましたが、ソレも五六日のことで、君の自然は甚だ狹いものであります。
これからは交際も一層の親密を加へ、書面の往復も以前よりは頻繁と成り、今では全くの心友と成て了ひました。君の家に伺たことも五六度はありましよう。東京の下宿にも兩三度は來られたやうに思ひます。君の性情は醇粹の極で、生れ落ちたまゝ何の汚れにも染つてをりません。
然れども彼が如く、世間と杜絶せる境遇に在るを以て、その謠ふところ、眼前咫尺、平凡常套の事にして、往々單情粗心、或は稚兒に似たる感情を洩らすことなしと言ふを得ず、げに『花守』一卷は哀詩也、この哀詩に先づ充たすべき缺陷あらば、そは壯嚴(サブライム)なる悲哀(ソルロフ)ならむ、然れども是なくして※惻の氣、猶且人に迫ること彼が如くむば、彼の詩がいかに眞人の眞情より結晶したるものなるかを窺ふに足らむ。彼自ら寡聞寡讀をいふ、左右に何等の參考書册なく、附近に彼を慰藉する友人あるなし、彼の暮夜獨坐神往して詩を作るは、猶松蟲鈴蟲の、肅殺なる秋野に興酣しておのづから吟(すだ)くがごとし、謠ふものと聽くものと、等しく恍焉忘我の境に入ると雖も、荒凉慘澹、寧ろ耳を掩ふに遑あらず、詩豈活きざらむや。
吁嗟かくばかり覊軛ある世に、詩(うた)のみぞひとり自由なりける、天は彼より一切を徴して、代ふるに最も自由なるものを以て授く、彼亦聊か安んずるところなかる可らず、彼は終始常陸の僻邑に蟄居して、識を所謂中央文壇に求めざるを以て、彼の詩或は多く世に知られざらむ、友人某、々、々等深く之を遺憾とし、其詩集を公にせむことを勸む、我亦與かる、彼曰く、我世に望むところなし、只この一小册子を、垂白の慈母に、献じ、その※容喜色を見るを得ば則ち足れりと、蓋し彼の慈母は彼の最大同情者にして、亦彼が敬愛する最初の人也、彼の詩を識ること、最愛吟誦者なる我等諸友人に讓らざればなり。
彼の詩はかくの如くして作られ、輯められ、刊行せらる、彼を江湖に紹介するものは彼自身の詩也、彼の詩を世に問ふに至りたるは我等諸友人也、即ち茲にその始末を記して、序となす。
辱知 小島烏水識
わたくしが夜雨君と始めて會つたのは卅二年の一月で、出京後間もなく常州に訪問した時です、小山から水戸線に乘りかへて、鬼怒川を渡る比は、黒ずんだ冬の空も晴れ渡り、巽の方眉を壓して白雪を戴いた秀麗な山が聳えてをりました。これが有名な筑波山で、さながら夜雨其人に面會した心持が致しました。ソレは此らが君の詩に因て、深くわれ/\の頭に染み込んでをつたからです。下館で下りて二里半の道を行くと、筑波は終始帽子の廂を離れません。平原的丘陵の幾つを越え、霜柱が崩れて黝土の泥濘を捏ね返した田舍道を大寶迄行くと、東に向て眞正面に、一叢茂つた木立の間に、白壁と藁葺が見えます。それが君の居村です。溝川の縁を幾曲り、村に入ると南に向うた門搆への家があります。最うトツプリと昏れてはをりましたが、君がいそ/\出迎へらるゝ姿は、豫て承知はしてをつたものゝ、まことにイタイケで何ともいへぬ感じが致しました。此夜はまことに面白く隔意なく語つて眠に就きましたが、翌朝母君の御たのみで君の身體を診察した時は、未だに得忘れぬ、萬感一時に胸を衝いて、耻し乍ら不覺の涙がこぼれました。母君の御咄には、五六歳の頃から病氣が起て、東京迄も連れて出て、名高いといふ醫者には誰一人診せぬものなく、隨分苦勞を致しましたが、とう/\全治はせず、小學校に通ふ頃は、徃返が難儀で、心外にも他の子供等の嘲りを受くる折もありました。自分でもソレが厭に成り、終には中途で退學して、内にばかり閉ぢ籠つて、倉の中から本を引き出しては讀んで居りました。二三年前には丸で歩行の利かぬヒドイからだに成りましたが、今ではよい方です。とても長生は出來ますまいと思ひますが、せめて身體の苦痛だけでも除いて遣りたいものです。といはれました。君の病症を並べ立てるのは、醫師の徳義上から憚りますから、略して申しませぬ。つまり身體いづれの箇所も一として故障のない所はない。さりとて世人の嫌惡する如き惡性の疾患ではありませぬ。わたくしは病氣は皆固て仕舞て今後増惡の虞なきこと、壽命は艱生次第常人の年齡に達し得べきこと抔、慰諭しましたが、之が醫者であつてこそ異まなかつたものゝふだんの人ならどの位驚いたでしよう。夜雨君自らでさへも、どうして自分が活きてをるかを不思議に思てをられた位です。しかし私の驚いたのは君の身躰(からだ)ではなかつた。身躰(からだ)ではないが、君が此|※弱(ひよわ)い形(なり)でどうしてあれだけの詩篇が出來、其詩篇が一々|椋實珠(むくろうじゆ)のやうに底光りのした鍛錬の痕を留めてをる、其精力の大さでした。君の學問は全くの獨學で、高等小學の課程すら踏まなかつた位ですから、學問で詩を作る人ではない。當時わたくしは君を以て天才の人と認めました。天才でなければこの境遇この學力で、どうしてこれだけの事業が成し遂げられたか、殆んど奇蹟といはなければなりません。其後は日々火燵に踏み込んで詩作を鬪はしました。其時に君の容貌を見て居ると、動かざること石のごとしといふのでしようか、四周の事物には一切耳目を假しません。時々低誦しては調子の鹽梅を計つてをられます。幾時間でも此の通り、別に疲勞したといふ風も見えぬ。一通り出來ると、今度は添削にかゝる、これがまた尋常でない、自分で滿足する迄は一日でも二日でも紙と筆を離さぬ。熱血を灑ぐといふのはこれだらう、こうなくちやホンとうの詩は出來ぬと、竊かに舌を捲きました。其内春が來て長閑に成りましたから、或日相携へて大寶の沼に遊びました。十町足らずの歩行に君の疲勞は非常であつたのですが、八幡宮に參詣して杉の樹立の間を湖の前に下りた頃は、寂しげな微笑(ほゝゑみ)が君の唇に上りました。これは幼い時の遠い美しい記臆が胸に浮んだからです。ソレを語りつゝ君は今の慘憺(みじめ)な境遇にくらべ、又行衞は黒い雲が横はつて何の希望(のぞみ)もなく死の一字が赤くたゞ閃いてをることを嘆かれました。實際その時には全くわたくしにはソレを慰める言葉がなかつたのです。湖水は古刀の身のやうに亂れを靜めて細長く輝いて居ります。春の雲が夢を弄ぶあたりには、鮮かな筑波の影が見られます。二人は默て仕舞ひました。あゝ汀をたどり落葉をふんだ二月の逍遙! 夜雨君の胸には永生きしますまい、私の記臆にはあり/\と殘てをる……筑波山と大寶沼(古の騰波の淡海)とは君が所有せらるゝ自然の全部であつて、此書を繙かるゝ諸賢は必ず此山水を御忘れのなきやうに願ひたい。君は其後同人と共に箱根の入浴に加名し、又客年父君に從うて親戚の方と博覽會の見物旁奈良から伊勢の方を旅行せられましたが、ソレも五六日のことで、君の自然は甚だ狹いものであります。
これからは交際も一層の親密を加へ、書面の往復も以前よりは頻繁と成り、今では全くの心友と成て了ひました。君の家に伺たことも五六度はありましよう。東京の下宿にも兩三度は來られたやうに思ひます。君の性情は醇粹の極で、生れ落ちたまゝ何の汚れにも染つてをりません。
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