若き僚友に 関連リンク

宮本 百合子 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

若き僚友に - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
  • 宮本百合子全集 補巻一 習作一 函・月報付 新日本出版社
  • 現代日本文学全集35 宮本百合子集 筑摩書房
  • (新日本出版社) 宮本百合子選集 全12冊 送料無料!!
  • 【切手OK】宮本百合子『伸子 上巻』岩波版ほるぷ図書館文庫
  • 日本文学全集22 宮本百合子 伸子/二つの庭 河出書房新社
  • ●「新版 宮本百合子全集」第10巻 定価6000円
  • 宮本百合子全集5冊セット全初版 別巻1、2 補巻1、2 別冊 
  • 宮本百合子全集 28巻セット■新日本出版社■1980/82年
次のページ
 三年前の五月学生祭の日、この講堂は、甦った青春エネルギーにみちあふれた数千の男女学生によって埋められました。  三年のちのこんにち、ふたたびここは、数千の男女学生によってみたされています。きょうここに参集した、われらの若き僚友たちは、この三年の間、自身の生活とたたかい、日本学問の自立のために、日本人民理性の擁護のために思索し、行動して、少からぬ経験によって成長した人々です。

 敗戦以来こんにちまで、日本学生が、純真な力を傾けて発言し、行動して来たどの一つをとってみても、それはポツダム宣言日本憲法が、いつわりのものでないことの証明を求める熱意のあらわれでした。大学法案に反対して、日本学問大学の自主をまもりとおした学生の意欲。日本愚民教育に反対する世論を、全日本的な発言として組織した情熱。そしていま、日本から理性存在そのものをつみ取ろうとするレッド・パージに対する反対。一つとして、われわれすべて、良心と理性あるものの要求でないものはなかった。それだからこそ学生運動の列伍の周囲には、常に労働者階級をはじめ、あらゆる人々のもっている日本善意篝火となって結集して行かずにいかなかったのであると信じます。

 支配階級は、すでにこんにち、人民理性の声にたえ得なくなって来ています。さもないならば、どうして、日本社会生活のあらゆる場面から、こんな大規模な理性狩りたてを行う必要があるでしょう。レッド・パージとそれに反対する学生の大量な処分は、全く中世的な方法であり、みせしめのためのはりつけ同然です。この演出では、観衆の錯覚がたくみに利用されている。すなわち、警官隊の野蛮な襲撃や、検挙された学生が数百名にのぼることを、さも日本学生が兇暴なものになってしまいでもしたように世界を偽瞞するための宣伝使用しています。

 われわれを、こんにち、心からいきどおらせているのは、権力機関のすべてを動員して行われているこの「作られた真実」の偽瞞性です。若いエネルギーの鬱積があふれて、彼らの教室からはみだしたとき、大衆な行動のなかには、「喧嘩両成敗」というべき事態のおこることもあるでしょう。行きすぎとか誤解とか、ことのはずみ、というものは社会生活のどこにもありがちなことです。若い世代に対する糺弾者であり、われわれ自身の老いることを欲しない良心の蹂躙者である権力に向って、わたしは心から次の質問をします。学問の自由良心の自由理性自由をまもろうという動機に立つ学生運動を、ノン・ポリティカルであるべしと宣伝する人々自体が、なぜ、現実学生動きに対しては、このようにも極度に政治的であるのか、と。こんにち、学生運動に集中されている攻撃の性質は、ことしの四月六日、菅季治氏を死なせた衆議院の特別調査委員会をホーフツさせます。

「要請」という一つの文字解釈のワナにかかって生命を絶たなければならなかった菅季治氏の悲劇を、ただ、彼の性格の弱さであると見るのは、浅薄ではないでしょうか。

 菅氏の性格は相当粘りづよくあったようだし、意志普通よりもよわかったとも思われない。彼を生き難くさせたのは、彼が理性真実とについて抱いていた観念内容構成とが、権力動員した、権謀の詭弁との格闘に堪えなかったからでありました。

 四月二十三日の週刊朝日「菅証人はなぜ自殺したか」という記事は、特別調査委員会における速記録の一部をのせて、この悲劇の核心を照し出しています。

 委員たちが、菅氏にしつこく、くい下った質問は、どれも常識をはずれたいいがかりと、威脅でした。ひとこと、ひとことが、菅氏を予定のワナに近づけるための政治挑発でした。菅氏も、それは感じていた。しかし、彼はその悪辣さと非条理とがあからさまな質問に対して、一歩も彼のホーム・グラウンドから進撃することが出来ませんでした。すなわち、菅氏は、形而上学によって整理・構成されている自分理性過去形式論理にしたがって操作される自身の理性の機能を、たたかいの現実にしたがって拡大することも出来なかったし、縮小させることも出来なかったのでした。
 自由党の委員篠田が、問題の「ナデーエッツァ」という言葉にからんで、この言葉を要請と訳すことは、ロシア語としてできませんかと質問したとき、菅氏の答えた答えこそ、彼の悲劇本質を示しています。菅氏は通訳として、その限度の中での証人として、証人台に立ったのです。菅氏は、ロシア語の実際として、要請には、プロシェーニェという別の言葉があり、よりつよい意味での要請――ことわりにくいほど命令ニュアンスがふくまれた要請の場合には、はっきりとトゥレヴォワーチというもう一つの言葉があることを、彼らが執拗であると同じ根気づよさで、率直にくりかえし主張してよかったのではないでしょうか。
 ところが、彼は答えました。「要請というのは哲学で云えばカントの実践理性の要請という特別の言葉であって」云々と。粗暴な狼たちは、このアキレス腱めがけて、菅氏にとびかかり、かんでかんで、遂に彼の勇気を、かみちぎってしまいました。

 不幸な菅氏は、その良心と正義感と、勇気にかかわらず、自身が客観的なよりどころとし得る単純明白なリアリティーの上に、しっかりと脚をかためて立つ、たたかいの技術を知っていませんでした。彼がたたかわなければならなかった、社会現実と、彼の理性真実観念的な運営法との間に、ギャップがあったのでした。
 菅氏の意味ふかい生のたたかいと死によって、ある人々は、長いものにはまかれろ、という屈従の倫理を思いおこしたかもしれません。けれども、より多くの人たちは、自身の良心と理性問題として、それはいかに表現され、いかにたたかわれてゆくべきかについて考えさせられました

 現代は、万事がおそろしいほど政治的にとり扱われる時代である。これは、現代における世界的な実感の一つです。二つの世界大戦を経て、地球上には、より新しい民主勢力が拡大し、人類理性は、ますます苛烈な実践をもとめられ試煉を経つつあります。

 人類理性の集積は、精煉に精煉を重ねて、つみあげられてゆくものです。理性理性であることを証明するためには、あらゆる歴史世代が、当面する非理性的な力、無知権力暴力とたたかって来ました。そして、それらの暴力はいかに兇暴であるようでも、歴史の長い過程においては、遂に一時的なものでしかあり得ないことを実証しています。

 だからこそ、ヒューマニティーによる、理性の不屈従に、高貴な行動的意義があります。不滅勝利があります。

 二十世紀現代においては、理性がいかに永続的に、且つ現実的に操作されうるかという能力にこそ、歴史勝敗がかかっている。理性擁護の行動そのものがもし万一にも性急で持久性を欠くならば、そのような行動の方式は、理性本質にとって適切でないというリアリティーによって、われわれは思いしらされなければならないでしょう。

 幾千の若い僚友よ
 わたくしは、こんにち病気のために、ここに立って、親しく話すことのできないのを残念に思います。


次のページ

宮本 百合子 (みやもと ゆりこ) 以外のオススメ作品

若き僚友に (わかきりょうゆうに) のリンク元

「若き僚友に-宮本 百合子」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN