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茂吉への返事 - 折口 信夫 ( おりくち しのぶ )

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  • 死者の書,春のことぶれ 他「折口信夫集」日本近代文学大系46
  • ●歌舞伎●『仮名手本忠臣蔵』演劇界増刊●折口信夫 木村荘八 他
  • ◆:折口信夫全集 第13巻 國文學篇7 中公文庫 初版
  • 「折口信夫全集 第一五巻 民俗学篇1」中央公論社 昭和30
  • 「折口信夫全集 第一巻古代研究(國文学篇)」中央公論社 昭和29
  • ◆:折口信夫全集 第14巻 國文學篇8 中公文庫 初版
  • ◆:折口信夫全集 第12巻 國文學篇6 中公文庫 初版
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わたしはこゝで、駁論を書くのが、本意ではありません。そんなことをしては、忙しい中から、意見して下された、あなたの好意を無にすることに當りませう。其に第一、お申し聞けの箇條は、大體に於て、わたしの意表外に出たことではありませんでしたから。といふと、何だかあなたの語を輕しめる樣な、高ぶつた語氣を含んでゐる樣に、聞えるかも知れませんが、實の處、あなたのみならず同人の方々の、あゝいふ傾向の抗議のあることは、漠然と豫期しながら、あの百首の發表をしたのですから、あわたゞしく辯解しようとも思ひません。たゞ、世間にはわれ/\朋黨の意味をば取り違へて、個性を沒却した政治的の意味に、誤解してゐる人々も、ちよい/\見受けられます。それは「文藝上の朋黨」といふ小論文を書いたわたしにも、大分責任がある樣です。それで、御來旨に對して、わたし自身の生活に根ざした態度や、主張を明らかにして置くのに、却つて、都合のよい機會だ、と思つたのです。
最初にお願ひしたいのは、わたしはまだ生長の途中に在るのですから、ひとの思はくに氣をかねるなどいふ、餘裕が出來てゐない、といふことを考へに置いて頂くことです。
同人の末に連つてゐる行きがゝり上、從順な會員に、濁りを帶びた歌を見せて、趨舍に當惑させるのは、或は單純に考へれば、罪惡ともいふべきものでせう。又既成概念を以て、アララギ派の歌風を見てゐる世間に對して、風變りな歌を見せるといふことは、アララギ歴史上、かなり迷惑なことであるのは、わたしも考へないではありません。唯前にいうた、生長の途中に在るわたしとしては、甚利己的にとられ相な言ひ分ですが、會員を上|衆(ズ)にする前に、先わたしから上衆にならねばならぬ、と思ひます。或は先達諸家の迷惑に思はれることかも知れませんが、アララギ派の既成概念に反した態度になるのも、止むを得ぬことだと思ひます。だから、會員や世間目安として、歌を作ることは、今のわたしには、到底能はぬことなのです同人諸兄は事實、わたしよりは、數段も上にある人ばかりで、後進の身としては、勉強の急を感じない訣には參りません。いつか中村さんからの私信に「君の歌は毎號變つていつてる」とありましたのを讀んだ時、非常に有り難く思ひました。わたしは上衆にならない前に、まづ固定するのを恐れます。自分にも變り目の甚しいのが訣つてゐるのです。時々固定した日を考へて見ると、寂しくて堪へられなくなつて來ます。
だからというて、變化の途々にある毎月の歌を、試作だとか、未定稿などゝいふ囘避は、決していたしません。何時、誰から、如何なる批評受けても、喜んで耳を傾けるだけの覺悟は持つて居ます。
同人諸兄、殊に、あなたと赤彦さんが、左千夫先生と議論を繰り返された歴史が、復あなたと私との上に循つて來たのだ、といふ氣がします。あの頃、服部躬治先生の處へ通ふことをやめてゐた私が、子規庵の歌會で二囘迄、左千夫先生と、若い元氣であつたあなたとの議論を、傾聽しました。勿論其爭ひが、今再びせられるのだといへば、或は不遜に聞えるかも知れません。此から暫らく、書き連ねる問題は、わたしとあなたとの質に於ける相違を申したい、と思ふのです。くどい樣ではあるが、この點の考察を怠つては、總ての議論は空になります。
あなた方は力の藝術家として、田舍に育たれた事が非常な祝福だ、といはねばなりません。この點に於てはわたしは非常に不幸です。輕く脆く動き易い都人は、第一歩に於て既に呪はれてゐるのです。わたしどもと同じ仲間に引いて來るのは、無禮なことでありますが、或點に於て、岡さんも呪はれた一人といふことが出來ます。都會人が藝術の堂に至るのと、金持ちの天國に生れるのとは、或は同じ程な難事であるかも知れません。
併し、此邊の苦勞は、もとより覺悟の上でかゝつてゐるのです。田舍人の見る處と、都會人の見る處とは、自ら違うたものがあるので、難道と易道、といへば、語弊がありませう。たゞ、境遇の善惡は確かに見る事が出來ます。田舍人が肥沃な土の上に落ち種子とすれば、都會人はそれが石原に蒔かれたも同然です。殊に古今以後の歌が、純都會風になつたのに對して、萬葉は家持期のものですらも、確かに、野の聲らしい叫びを持つてゐます。その萬葉ぶりの力の藝術を、都會人が望むのは、最初から苦しみなのであります。けれども、絶對に否定してしまふことも、出來ないだらうと思ひます。
日本では眞の意味の都會生活が初つて、まだ幾代も經てゐません。都會獨自の習慣信仰文明を見ることが出來ない、といふことは、かなりた易く、斷言が出來ます。そこに根ざしの深い都會的文藝の、出來よう訣がありません。日本人ももつと、都會生活に慣れて來たなら、郷土郷土の譯語を創めた郷土研究派の用語例に據る)藝術に拮抗することの出來る、文藝も生れることになるでせう。まづ、それまでは氣長く待ち、而も、その發生開展を妨げない樣に、するだけの覺悟は必要です。都會人なるわたしどもはかういふ方向に、力の藝術を掴まねばならない、といふ氣がします。
こゝに、大阪東京との比較が、必要になつてきました。三代住めば江戸つ子だ、といふ東京家元制度の今尚嚴重に行はれてゐる東京趣味の洗練を誇る、すゐの東京と、二代目・三代目に家が絶えて、中心は常に移動する大阪固定した家は、同時に滅亡して、新來の田舍人が、新しく家を興す爲に、恒に新興の氣分を持つてゐる大阪、その爲に、野生を帶びた都會生活、洗練せられざる趣味を持ち續けてゐる大阪とを較べて見れば、非常に口幅つたい感じもしますが、比較的野性の多い大阪人が、都會文藝作り上げる可能性を多く持つてゐるかも知れません。西鶴近松作物に出て來る遊冶郎の上にも、此野性は見られるので、漫然と上方を粹な地だといふ風に考へてゐる文學者たちは、元祿二文人を正しう理會してゐるものとは言はれません。其後段々出て來た兩都の文人を比べても、此差別は著しいのです。此處に目をつけない江戸期文學史などは、幾ら出てもだめなのです江戸の通に對して、大阪はあまりやぼ過ぎる樣です。
眞淵の「ますらをぶり」も、力の藝術といふ意味でなく、單に男性的といふ事を對象としてゐるのではなからうか、と思ひます。


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