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草迷宮 - 泉 鏡花 ( いずみ きょうか )

  • Ω 岸田理生・戯曲集『身毒丸・草迷宮』寺山修司(共作)
  • ★泉鏡花★草迷宮 鏡花短編集 高野聖・眉かくしの霊
  • 岩波文庫■草迷宮■泉鏡花
  • 岩波文庫 泉鏡花 草迷宮 24刷
  • カイエ 1979年4月 シナリオ寺山修司 草迷宮
  • 泉鏡花集成 5 春昼・草迷宮・沼夫人ほか
  • Ω 岩波版『鏡花 小説・戯曲選*第6巻*怪異篇2』草迷宮・他
  • ★高野聖/歌行灯/外科室/草迷宮 他 泉鏡花 8冊セット 岩波文庫
  • 草迷宮 泉鏡花 岩波文庫■
  • 草迷宮/泉鏡花/岩波文庫
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向うの小沢に蛇(じゃ)が立って、 八幡(はちまん)長者の、おと娘、 よくも立ったり、巧んだり。 手には二本の珠(たま)を持ち、 足には黄金(こがね)の靴を穿(は)き、 ああよべ、こうよべと云いながら、 山くれ野くれ行ったれば…………        一  三浦の大崩壊(おおくずれ)を、魔所だと云う。
 葉山一帯の海岸屏風(びょうぶ)で劃(くぎ)った、桜山の裾(すそ)が、見も馴(な)れぬ獣(けもの)のごとく、洋(わだつみ)へ躍込んだ、一方は長者園の浜で、逗子(ずし)から森戸、葉山をかけて、夏向き海水浴の時分(ころ)、人死(ひとじに)のあるのは、この辺ではここが多い。
 一夏|激(はげし)い暑さに、雲の峰も焼いた霰(あられ)のように小さく焦げて、ぱちぱちと音がして、火の粉になって覆(こぼ)れそうな日盛(ひざかり)に、これから湧(わ)いて出て人間になろうと思われる裸体(はだか)の男女が、入交(いりまじ)りに波に浮んでいると、赫(かっ)とただ金銀銅鉄、真白(まっしろ)に溶けた霄(おおぞら)の、どこに亀裂(ひび)が入ったか、破鐘(われがね)のようなる声して、
「泳ぐもの、帰れ。」と叫んだ。
 この呪詛(のろい)のために、浮べる輩(やから)はぶくりと沈んで、四辺(あたり)は白泡(しらあわ)となったと聞く。
 また十七ばかり少年の、肋膜炎(ろくまくえん)を病んだ挙句が、保養にとて来ていたが、可恐(おそろし)く身体(からだ)を気にして、自分病理学まで研究して、0,などと調合する、朝夕(ちょうせき)検温気で度を料(はか)る、三度の食事度量衡(はかり)で食べるのが、秋の暮方、誰も居ない浪打際を、生白い痩脛(やせずね)の高端折(たかはしょり)、跣足(はだし)でちょびちょび横|歩行(ある)きで、日課のごとき運動をしながら、つくづく不平らしく、海に向って、高慢な舌打して、
「ああ、退屈だ。」
 と呟(つぶや)くと、頭上の崖(がけ)の胴中(どうなか)から、異声を放って、
親孝行でもしろ――」と喚(わめ)いた。
 ために、その少年は太(いた)く煩い附いたと云う。
 そんなこんなで、そこが魔所だの風説は、近頃一層甚しくなって、知らずに大崩壊(おおくずれ)へ上(のぼ)るのを、土地の者が見着けると、百姓は鍬(くわ)を杖支(つえつ)き、船頭は舳(みよし)に立って、下りろ、危い、と声を懸ける。
 実際魔所でなくとも、大崩壊の絶頂は薬研(やげん)を俯向(うつむ)けに伏せたようで、跨(また)ぐと鐙(あぶみ)の無いばかり。馬の背に立つ巌(いわお)、狭く鋭く、踵(くびす)から、爪先(つまさき)から、ずかり中窪(なかくぼ)に削った断崖(がけ)の、見下ろす麓(ふもと)の白浪に、揺落(ゆりおと)さるる思(おもい)がある。
 さて一方は長者園の渚(なぎさ)へは、浦の波が、静(しずか)に展(ひら)いて、忙(せわ)しくしかも長閑(のどか)に、鶏(とり)の羽(は)たたく音がするのに、ただ切立(きった)ての巌(いわ)一枚、一方は太平洋の大濤(おおなみ)が、牛の吼(ほ)ゆるがごとき声して、緩(ゆるや)かにしかも凄(すさま)じく、うう、おお、と呻(うな)って、三崎街道の外浜に大|畝(うね)りを打つのである。
 右から左へ、わずかに瞳を動かすさえ、杜若(かきつばた)咲く八ツ橋と、月の武蔵野ほどに趣が激変して、浦には白帆の鴎(かもめ)が舞い、沖を黒煙(くろけむり)の竜が奔(はし)る。
 これだけでも眩(めくるめ)くばかりなるに、蹈(ふ)む足許(あしもと)は、岩のその剣(つるぎ)の刃を渡るよう。取縋(とりすが)る松の枝の、海を分けて、種々(いろいろ)の波の調べの懸(かか)るのも、人が縋れば根が揺れて、攀上(よじのぼ)った喘(あえ)ぎも留(や)まぬに、汗を冷(つめと)うする風が絶えぬ。
 さればとて、これがためにその景勝を傷(きずつ)けてはならぬ。大崩壊(おおくずれ)の巌(いわお)の膚(はだ)は、春は紫に、夏は緑、秋|紅(くれない)に、冬は黄に、藤を編み、蔦(つた)を絡(まと)い、鼓子花(ひるがお)も咲き、竜胆(りんどう)も咲き、尾花が靡(なび)けば月も射(さ)す。いで、紺青(こんじょう)の波を蹈んで、水天の間に糸のごとき大島山に飛ばんず姿。巨匠が鑿(のみ)を施した、青銅獅子(しし)の俤(おもかげ)あり。その美しき花の衣は、彼が威霊を称(たた)えたる牡丹花(ぼたんか)の飾(かざり)に似て、根に寄る潮の玉を砕くは、日に黄金(こがね)、月に白銀、あるいは怒り、あるいは殺す、鋭(と)き大自在の爪かと見ゆる。

       二

 修業中の小次郎法師が、諸国一見の途次(みちすがら)、相州三崎まわりをして、秋谷(あきや)の海岸を通った時の事である。
 件(くだん)の大崩壊(おおくずれ)の海に突出でた、獅子王の腹を、太平洋の方から一町ばかり前途(ゆくて)に見渡す、街道|端(ばた)の――直ぐ崖の下へ白浪が打寄せる――江の島富士とを、簾(すだれ)に透かして描いたような、ちょっとした葭簀張(よしずばり)の茶店に休むと、媼(うば)が口の長い鉄葉(ブリキ)の湯沸(ゆわかし)から、渋茶を注(つ)いで、人皇(にんのう)何代の御時(おんとき)かの箱根細工の木地盆に、装溢(もりこぼ)れるばかりなのを差出した。
 床几(しょうぎ)の在処(ありか)も狭いから、今注いだので、引傾(ひっかたむ)いた、湯沸の口を吹出す湯気は、むらむらと、法師の胸に靡(なび)いたが、それさえ颯(さっ)と涼しい風で、冷い霧のかかるような、法衣(ころも)の袖は葭簀を擦って、外の小松へ飜る。
 爽(さわやか)な心持に、道中の里程を書いた、名古屋扇も開くに及ばず、畳んだなり、肩をはずした振分けの小さな荷物の、白木綿の繋(つな)ぎめを、押遣(おしや)って、
千両、」とがぶりと呑み、
「ああ、旨(うま)い、これは結構。」と莞爾(にっこり)して、
「おいしいついでに、何と、それも甘(うま)そうだね、二ツ三ツ取って下さい。」
「はいはい、この団子でござりますか。これは貴方(あなた)、田舎出来で、沢山(たんと)甘くはござりませぬが、そのかわり、皮も餡子(あんこ)も、小米と小豆の生(き)一本でござります。」
 と小さな丸髷(まげ)を、ほくほくもの、折敷(おしき)の上へ小綺麗に取ってくれる。
 扇子(おうぎ)だけ床几に置いて、渋茶茶碗を持ったまま、一ツ撮(つま)もうとした時であった。
「ヒイ、ヒイヒイ!」と唐突(だしぬけ)に奇声を放った、濁声(だみごえ)の蜩(ひぐらし)一匹。
 法師が入った口とは対向(さしむか)い、大崩壊の方の床几のはずれに、竹柱に留まって前刻(さっき)から――胸をはだけた、手織|縞(じま)の汚れた単衣(ひとえ)に、弛(ゆる)んだ帯、煮染めたような手拭(てぬぐい)をわがねた首から、頸(うなじ)へかけて、耳を蔽(おお)うまで髪の伸びた、色の黒い、巌乗(がんじょう)造りの、身の丈抜群なる和郎(わろ)一人。目の光の晃々(きらきら)と冴(さ)えたに似ず、あんぐりと口を開けて、厚い下唇垂れたのが、別に見るものもない茶店の世帯を、きょろきょろと※(みまわ)していたのがあって――お百姓に、船頭殿は稼ぎ時、土方人足も働き盛り、日脚の八ツさがりをその体(てい)は、いずれ界隈(かいわい)の怠惰(なまけ)ものと見たばかり。小次郎法師は、別に心にも留めなかったが、不意の笑声に一驚を吃(きっ)して、和郎の顔と、折敷団子を見|較(くら)べた。
「串戯(じょうだん)ではない、お婆(ばあ)さん、お前は見懸けに寄らぬ剽軽(ひょうきん)ものだね。」
「何でござりますえ。」
「いいえさ、この団子は、こりゃ泥か埴土(ねばつち)で製(こしら)えたのじゃないのかい。」
「滅相なことをおっしゃりまし。」
 と年寄(としより)は真顔になり、見上げ皺(じわ)を沢山(たんと)寄せて、
「何を貴方、勿体もない。私(わし)もはい法然様(ほうねんさま)拝みますものでござります。吝嗇坊(しわんぼう)の柿の種が、小判小粒になればと云うて、御出家に土の団子を差上げまして済むものでござりますかよ。」
 真正直(まっしょうじき)に言訳されて、小次郎法師はちと気の毒。
「何々、そう真に受けられては困ります。この涼しさに元気づいて、半分は冗戯(じょうだん)だが、旅をすれば色々の事がある。駿州(すんしゅう)の阿部川|餅(もち)は、そっくり正(しょう)のものに木で拵(こしら)えたのを、盆にのせて、看板に出してあると云います。今これを食べようとするのを見てその人が、」
 と其方(そなた)を見た、和郎はきょとんと仰向(あおむ)いて、烏も居(お)らぬに何じゃやら、頻(しきり)に空を仰いでござる。
「唐突(だしぬけ)に笑うから、ははあ、この団子看板を取違えたのかと思ったんだよ。」
「ええ、ええ、いいえ、お前様、」
 とこざっぱりした前かけの膝(ひざ)を拍(たた)き、近寄って声を密(ひそ)め、
「これは、もし気ちがいでござりますよ。はい、」
 と云って、独りで媼(うば)は頷(うなず)いた。問わせたまわば、その仔細(しさい)の儀は承知の趣。


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