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蔦の門 - 岡本 かの子 ( おかもと かのこ )

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  • 鮨 岡本かの子 初版 戦前 文学 小説 昭和16年
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  • 0805 日本の文学46 宇野千代・岡本かの子 昭和44年4月初版
  • 佐藤春夫 『掬水譚』 岡本かの子宛署名本 谷崎潤一郎
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 私の住む家の門には不思議に蔦(つた)がある。今の家もさうであるし、越して来る前の芝、白金(しろがね)の家もさうであつた。もつともその前の芝、今里の家と、青山南町の家とには無かつたが、その前にゐた青山|隠田(おんでん)の家には矢張り蔦があつた。都会の西、南部赤坂と芝とを住み歴(へ)る数回のうちに三ヶ所もそれがあるとすれば、蔦の門には余程縁のある私である。
 目慣れてしまへば何ともなく、門の扉の頂(いただき)より表と裏に振り分けて、若人の濡(ぬ)れ髪を干すやうに閂(かんぬき)の辺まで鬱蒼(うっそう)と覆ひ掛り垂れ下る蔓(つる)葉の盛りを見て、たゞ涼しくも茂るよと感ずるのみであるが、たま/\家族同伴して外に出(い)で立つとき誰かゞ支度が遅く、自分ばかり先立つて玄関石畳に立ちあぐむときなどは、焦立(いらだ)つ気持ちをこの葉の茂りに刺し込んで、強(し)ひて蔦の門の偶然に就いて考へてみることもある。
 結局、表扉を開いて出入りを激しくする職業の家なら、たとへ蔦の根はあつても生え拡がるまいし、自然の做(な)すまゝを寛容する嗜癖(しへき)の家族でなければかういふ状態を許すまい。蔦の門には偶然に加ふるに多少必然理由はあるのだらうか――この私の自問に答へは甚(はなは)だ平凡だつたが、しかし、表門を蔦の成長の棚床に閉ぢ与へて、人間は傍の小さい潜門(くぐりもん)から世を忍ぶものゝやうに不自由勝ちに出入するわが家のものは、無意識にもせよ、この質素な蔦を真実愛してゐるのだつた。ひよつとすると、移転の必要あるたび、次の家の探し方に門に蔦のある家を私たちは黙契のうちに条件に入れて探してゐたのかも知れない。さう思ふと、蔦なき門の家に住んでゐたときの家の出入りを憶(おも)ひ返し、丁度女が額(ひたい)の真廂(まびさし)をむきつけに電燈の光で射向けられるやうな寂しくも気(け)うとい感じがした。そして、従来の経験に依(よ)ると、さういふ家には永く住みつかなかつたやうである。
 夏の葉盛りには鬱青(うっせい)の石壁にも譬(たと)へられるほど、蔦はその肥大な葉を鱗(うろこ)状に積み合せて門を埋めた。秋より初冬にかけては、金朱のいろの錦(にしき)の蓑(みの)をかけ連ねたやうに美しくなつた。霜(しも)の下りる朝|毎(ごと)に黄葉朽葉(くちば)を増し、風もなきに、かつ散る。冬は繊細|執拗(しつよう)に編み交(まじ)り、捲(ま)いては縒(よ)れ戻る枝や蔓枝だけが残り、原始時代の大|匍足類(ほそくるい)の神経か骨が渇化して跡をとゞめてゐるやうで、節々に吸盤らしい刺(とげ)立ちもあり、私の皮膚を寒気立たした。しかし見方によつては鋼(はがね)の螺線(らせん)で作つたルネサンス式の図案様式の扉にも思へた。
 蔦を見て楽しく爽(さわや)かな気持ちをするのは新緑の時分だつた。透き通る様な青い若葉門扉(もんぴ)の上から雨後の新滝のやうに流れ降り、その萌黄(もえぎ)いろから出る石竹(せきちく)色の蔓尖(つるさき)の茎や芽は、われ勝ちに門扉の板の空所を匍(は)ひ取らうとする。伸びる勢(いきおい)の不揃(ふぞろ)ひなところが自由で、稚(おさな)く、愛らしかつた。この点では芝、白金の家の敷地の地味はもつともこの種の蔓の木によかつたらしく、柔かく肥(ふと)つた若葉が無数に蔓で絡(から)まり合ひ、一握りづつの房になつて長短を競はせて門扉にかゝつた。
「まるで私たちが昔かけた房附きの毛糸肩掛けのやうでございますね」
 自然や草木に対してわり合ひに無関心の老婢(ろうひ)のまきまでが美事な蔦に感心した。晴れてまだ晩春の朧(ろう)たさが残つてゐる初夏の或る日のことである。老婢は空の陽を手庇(てびさし)で防ぎながら、仰いで蔦の門扉に眼をやつてゐた。
「日によると二三|寸(すん)も一度に伸びる芽尖(めさき)があるのでございます。草木もかうなると可愛(かわ)ゆいものでございますね」
 性急な老婢は、草木の生長の速力が眼で計れるのに始めて自然に愛を見出(みいだ)して来たものゝやうである。正直ものでも兎角(とかく)、一徹に過ぎ、ときにはいこぢにさへ感ぜられる老婢が、そのため二度も嫁入つて二度とも不縁に終り、知らぬ他人の私の家に永らく奉公しなければならない、性格一部に何となくエゴの殻をつけてゐる老年の女が、この蔦の芽にどうやら和(なご)やかな一面を引き出されたことだけでも私に愉快だつた。また五十も過ぎて身寄りとは悉(ことごと)く仲違(なかたが)ひをしてしまひ、子供一人ない薄倖(はっこう)な身の上を彼女自身潜在意識的に感じて来て、女の末年の愛を何ものかに向つて寄せずにはゐられなくなつた性情の自然経過が、いくらかこんなことでゝもこゝに現はれたのではないかと、憐(あわ)れにも感じ、つく/″\老婢の身体を眺めやつた。
 老婢の身体つきは、だいぶ老齢の女になつて、横顔の顎(あご)の辺に二三本、褐色(ちゃいろ)の竪筋(たてすじ)が目立つて来た。
「蔦の芽でも可愛がつておやりよ。おまへの気持ちの和みにもなるよ」
 老婢は「へえ」と空(から)返事をしてゐた。もうこの蔦に就いて他のことを考へてゐるらしかつた。


 その日から四五日経午後、門の外で老婢が、がみ/\叫んでゐる声がした。その声は私の机のある窓近くでもあるので、書きものゝ気を散らせるので、止(や)めて貰(もら)はうと私は靴を爪先(つまさき)につきかけて、玄関先へ出てみた。門の裏側の若蔦の群は扉を横匍(よこば)ひに匍ひ進み、崎(みさき)と崎にせかれて、その間に干潮を急ぐ海流の形のやうでもあり、大きくうねりを見せて動いてゐる潮のやうでもある。空間にあへなき支点を求めて覚束(おぼつか)なくも微風に揺られてゐる掻(か)きつき剰(あま)つた新蔓は、潮の飛沫(しぶき)のやうだ。机から急に立上つた身体の動揺から私は軽微の眩暈(めまい)がしたのと、久し振りにあたる明るい陽の光の刺戟(しげき)に、苦しいより却(かえっ)て揺蕩(ようとう)とした恍惚(こうこつ)に陥つたらしい。そのまゝ佇(たたず)んで、しめやかな松の初花の樹脂|臭(くさ)い匂ひを吸ひ入れながら、門外のいさかひを聞くとも聞かぬともなく聞く。
「えゝ/\、ほんとに、あたしぢやないのだわ。よその子よ。そしてそのよその子、あたし知つてるよ」
 早熟(ませ)た口調で言つてゐるのはこの先の町の葉茶屋少女ひろ子である。遊び友達らしい子供の四五人の声で、くす/\笑ふのが少し遠く聞える。
「嘘だろ! 両手を出してお見せ」と言つたのは老いたまきの声である。もうだいぶ返答返しされて多少自信を失つたまきはしどろもどろの調子である。
「はい」少女はわざと、いふことを素直に聴く良い子らしい声音(こわね)を装つて返事しながら立派に大きく両手を突出した様子が蔦の門を越した向うに感じられた。忽(たちま)ち当惑したまきの表情が私に想像される。老婢(ろうひ)は「ふうむ」とうなつた。
 また、くす/\笑ふ子供たちの声が聞える。
 私も何だか微笑が出た。ちよつと間を置いて、まきは勢(いきおい)づき
「ぢや、この蔦の芽をちよぎつたのは誰だ。え、そいつてごらん。え、誰だよ、そら言へまい」
「あら、言へてよ。


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