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蝶を夢む - 萩原 朔太郎 ( はぎわら さくたろう )

  • 朗読CD 朗読街道8「ラヂオ漫談」萩原朔太郎 旧ジャケ
  • ●萩原朔太郎 三好達治 
  • 署名本・萩原朔太郎・『与謝蕪村』・川上澄生宛・初版・第一書房
  • 文士の筆跡 三 詩人篇/島崎藤村 草野心平 萩原朔太郎 宮沢賢治…
  • ◆本◇現代日本文学全集24 S29発行高村光太郎/萩原朔太郎/宮沢賢
  • 伊藤信吉 第一詩集 『詩集 故郷』 昭和8年  萩原朔太郎
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  詩集の始に  この詩集には、詩六十篇を納めてある。内十六篇を除いて、他はすべて既刊詩集にないところの、單行本として始めての新版である。
 この詩集は「前篇」と「後篇」の二部に別かれる。前篇は第二詩集「青猫」の選にもれた詩をあつめたもの、後篇は第一詩集「月に吠える」の拾遺と見るべきである。即ち前篇は比較的新しく後篇は最も舊作に屬する。
 要するにこの詩集は私の拾遺詩集である。しかしながらそのことは、必しも内容の無良心や低劣を意味しない。既刊詩集の「選にもれた」のは、むしろ他の別の原因――たとへば他の詩風との不調和や、同想の類似があつて重複するためや、特にその編纂に際して詩稿を失つて居た爲や――である。現に卷初の「蝶を夢む」「腕のある寢臺」「灰色の道」「その襟足は魚である」等の四篇の如きは、當然「青猫」に入れるべくして誤つて落稿したのである。(もし忠實な讀者があつて、此等の數篇を切り拔き「青猫」の一部に張り入れてもらへば至幸である。)とはいへ、中には私として多少の疑案を感じてゐるところの、言はば未解決の習作が混じてゐないわけでもない。むしろさういふのは、一般の讀者の鑑賞的公評にまかせたいのである。
 詩集の銘を「蝶を夢む」といふ。卷頭にある同じ題の詩から取つたのである。

   西暦千九百二十三著者


蝶を夢む 詩集前篇



この章に集めた詩は、「月に吠える」以後最近に至るまでの作で「青猫」の選にもれた分である。但し内八篇は「青猫」から再録した。



 蝶を夢む

座敷のなかで 大きなあつぼつたい翼(はね)をひろげる
蝶のちひさな 醜い顏とその長い觸手と
紙のやうにひろがる あつぼつたいつばさの重みと。
わたしは白い寢床のなかで眼をさましてゐる。
しづかにわたしは夢の記憶をたどらうとする
夢はあはれにさびしい秋の夕べの物語
水のほとりにしづみゆく落日と
しぜんに腐りゆく古き空家にかんするかなしい物語

夢をみながら わたしは幼な兒のやうに泣いてゐた
たよりのない幼な兒の魂が
空家の庭に生える草むらの中で しめつぽいひきがへるのやうに泣いてゐた。
もつともせつない幼な兒の感情
とほい水邊のうすらあかりを戀するやうに思はれた
ながいながい時間のあひだ わたしは夢をみて泣いてゐたやうだ。

あたらしい座敷のなかで 蝶が翼(はね)をひろげてゐる
白い あつぼつたい 紙のやうな翼(はね)をふるはしてゐる。


 腕のある寢臺

綺麗なびらうどで飾られたひとつの寢臺
ふつくりとしてあつたかい寢臺
ああ あこがれ こがれいくたびか夢にまで見た寢臺
私の求めてゐたただひとつの寢臺
この寢臺の上に寢るときはむつくりとしてあつたかい
この寢臺はふたつのびらうどの腕をもつて私を抱く
そこにはたのしい愛の言葉がある
あらゆる生活(らいふ)のよろこびをもつたその大きな胸の上に
私はすつぽりと疲れたからだを投げかける
ああこの寢臺の上にはじめて寢るときの悦びはどんなであらう
そのよろこびはだれも知らない祕密のよろこび
さかんに強い力をもつてひろがりゆく生命(いのち)のよろこびだ。
みよ ひとつの魂はその上にすすりなき
ひとつの魂はその上に合掌するまでにいたる
ああかくのごとき大いなる愛憐の寢臺はどこにあるか
それによつて惱めるものは慰められ 求めるものはあたへられ
みなその心は子供のやうにすやすやと眠る
ああ このひとつの寢臺 あこがれもとめ夢にみるひとつの寢臺
ああこの幻(まぼろし)の寢臺はどこにあるか。


 青空に飛び行く

かれは感情に飢ゑてゐる。
かれは風に帆をあげて行く舟のやうなものだ
かれを追ひかけるな
かれにちかづいて媚をおくるな
かれを走らしめろ 遠く白い浪のしぶきの上にまで。
ああ かれのかへつてゆくところ健康がある。
まつ白な 大きな幸福の寢床がある。
私をはなれて住むときには
かれにはなんの煩らひがあらう!
私は私でここに止つてゐよう
まづしい女の子のやうに 海岸に出で貝でも拾つてゐよう
ねぢくれた松の木の幹でも眺めてゐよう
さうして灰色砂丘に坐つてゐると
私は私のちひさな幸福に涙がながれる。
ああ かれをして遠く遠く沖の白浪の上にかへらしめろ
かれにはかれの幸福がある。
ああかくして、一羽の鳥は青空に飛び行くなり。


 冬の海の光を感ず

遠くに冬の海の光をかんずる日だ
さびしい大浪(おほなみ)の音(おと)をきいて心はなみだぐむ。
けふ沖の鳴戸を過ぎてゆく舟の乘手はたれなるか
その乘手等の黒き腕(かひな)に浪の乘りてかたむく

ひとり凍れる浪のしぶきを眺め
海岸の砂地に生える松の木の梢を眺め
ここの日向に這ひ出づる蟲けらどもの感情さへ
あはれを求めて砂山の影に這ひ登るやうな寂しい日だ
遠くに冬の海の光をかんずる日だ
ああわたしの憂愁のたえざる日だ
かうかうと鳴るあの大きな浪の音をきけ
あの大きな浪のながれにむかつて
孤獨のなつかしい純銀の鈴をふり鳴らせよ
わたしの傷める肉と心。


 騷擾

重たい大きな翼(つばさ)をばたばたして
ああなんといふ弱弱しい心臟の所有者
瓦斯のやうな明るい月夜
白くながれてゆく生物の群をみよ。
そのしづかな方角をみよ
この生物のもつひとつの切なる感情をみよ
明るい花瓦斯のやうな月夜
ああなんといふ悲しげな いぢらしい蝶類の騷擾だ。


 群集の中を求めて歩く

私はいつも都會をもとめる
都會のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる。
群集は大きな感情をもつたひとつの浪のやうなものだ
どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛慾とのぐるうぷだ。
ああ ものがなしき春のたそがれどき
都會の入り混みたる建築建築との日影をもとめ
大きな群集の中にもまれて行くのはどんなに樂しいことか
みよ この群集のながれてゆくありさまを
ひとつの浪はひとつの浪の上にかさなり
浪はかずかぎりなき日影をつくり 日影はゆるぎつつひろがりすすむ
人のひとりひとりにもつ愁ひと悲しみと みなそこの日影に消えてあとかたもない。
ああなんといふやすらかな心で 私はこの道をも歩いてゆくことか。
ああこの大いなる愛と無心のたのしき日影
たのしき浪の彼方につれられてゆく心もちは涙ぐましくなるやうだ。
うらがなしい春の日たそがれどき
このひとびとの群は建築建築との軒を泳いで
どこへどうして流れゆかうとするのか
私のかなしい憂愁をつつんでゐるひとつの大きな地上日影
ただよふ無心の浪のながれ
ああどこまでもどこまでも この群集の浪の中をもまれて行きたい。


 内部への月影

憂鬱のかげのしげる
この暗い家屋内部
ひそかにしのび入り
ひそかに壁をさぐり行き
手もて風琴鍵盤に觸れるはたれですか。
そこに宗教のきこえて
しづかな感情は室内にあふれるやうだ。

洋燈(らんぷ)を消せよ
洋燈(らんぷ)を消せよ
暗く憂鬱部屋内部
しづかな冥想のながれにみたさう。
書物をとりて棚におけ
あふれる情調の出水にうかばう。
洋燈を消せよ
洋燈を消せよ。

いま憂鬱の重たくたれた
黒いびらうどの帷幕(とばり)のかげを
さみしく音なく彷徨する
ひとつの幽(ゆか)しい幻像はなにですか。
きぬずれの音もやさしく
こよひのここにしのべる影はたれですか。
ああ内部へのさし入る月影
階段の上にもながれ ながれ。


 陸橋

陸橋を渡つて行かう
黒くうづまく下水のやうに
もつれる軌道高架をふんで
はるかな落日の部落へ出よう。


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