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袈裟と盛遠 - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

  • 東方出版 中院流日用作法集 大山公淳著美品★錫杖袈裟鐘法螺修験
  • 【gouk】輪袈裟風和柄羽織り ozz h.naoto 和風 番傘
  • 小杉健治◆風烈廻り与力・青柳剣一郎⑯『袈裟斬り』⑰『仇返し』
  • 時代市場■美品 縮緬黒色念珠袋&黒色畳袈裟■法衣・仏具仏像
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芥川龍之介         上  夜、盛遠(もりとお)が築土(ついじ)の外で、月魄(つきしろ)を眺めながら、落葉(おちば)を踏んで物思いに耽っている。      その独白 「もう月の出だな。いつもは月が出るのを待ちかねる己(おれ)も、今日ばかりは明くなるのがそら恐しい。今までの己が一夜の中(うち)に失われて、明日(あす)からは人殺になり果てるのだと思うと、こうしていても、体が震えて来る。この両の手が血で赤くなった時を想像して見るが好(い)い。その時の己(おれ)は、己自身にとって、どのくらい呪(のろ)わしいものに見えるだろう。それも己の憎む相手を殺すのだったら、己は何もこんなに心苦しい思いをしなくてもすんだのだが、己は今夜、己の憎んでいない男を殺さなければならない。
 己はあの男を以前から見知っている。渡左衛門尉(わたるさえもんのじょう)と云う名は、今度の事に就いて知ったのだが、男にしては柔(やさ)しすぎる、色の白い顔を見覚えたのは、いつの事だかわからない。それが袈裟(けさ)の夫だと云う事を知った時、己が一時嫉妬を感じたのは事実だった。しかしその嫉妬も今では己の心の上に何一つ痕跡(こんせき)を残さないで、綺麗に消え失せてしまっている。だから渡(わたる)は己にとって、恋の仇(かたき)とは云いながら、憎くもなければ、恨めしくもない。いや、むしろ、己はあの男に同情していると云っても、よいくらいだ。衣川(ころもがわ)の口から渡が袈裟を得るために、どれだけ心を労したかを聞いた時、己は現にあの男を可愛(かわゆ)く思った事さえある。渡は袈裟を妻にしたい一心で、わざわざ歌の稽古までしたと云う事ではないか。己はあの生真面目(きまじめ)な侍の作った恋歌(れんか)を想像すると、知らず識らず微笑が唇に浮んで来る。しかしそれは何も、渡を嘲(あざけ)る微笑ではない。己はそうまでして、女に媚(こ)びるあの男をいじらしく思うのだ。あるいは己の愛している女に、それほどまでに媚びようとするあの男の熱情が、愛人たる己にある種の満足を与えてくれるからかも知れない。
 しかしそう云えるほど、己は袈裟を愛しているだろうか。己と袈裟との間の恋愛は、今と昔との二つの時期に別れている。己は袈裟がまだ渡に縁づかない以前に、既に袈裟を愛していた。あるいは愛していると思っていた。が、これも今になって考えると、その時の己の心もちには不純なものも少くはない。己は袈裟に何を求めたのか、童貞だった頃の己は、明らか袈裟の体を求めていた。もし多少の誇張を許すなら、己の袈裟に対する愛なるものも、実はこの欲望を美しくした、感傷的な心もちに過ぎなかった。それが証拠には、袈裟との交渉が絶えたその後の三年間、成程(なるほど)己はあの女の事を忘れずにいたにちがいないが、もしその以前に己があの女の体を知っていたなら、それでもやはり忘れずに思いつづけていたであろうか。己は恥しながら、然りと答える勇気はない。己が袈裟に対するその後の愛着の中には、あの女の体を知らずにいる未練(みれん)がかなり混っている。そうして、その悶々(もんもん)の情を抱(いだ)きながら、己はとうとう己の恐れていた、しかも己の待っていた、この今の関係にはいってしまった。では今は? 己は改めて己自身に問いかけよう。己は果して袈裟を愛しているだろうか。
 が、その答をする前に、己はまだ一通り、嫌(いや)でもこう云ういきさつを思い出す必要がある。――渡辺の橋の供養の時、三年ぶりで偶然袈裟にめぐり遇った己は、それからおよそ半年ばかりの間、あの女と忍び合う機会を作るために、あらゆる手段を試みた。そうしてそれに成功した。いや、成功したばかりではない、その時、己(おれ)は、己が夢みていた通り袈裟(けさ)の体を知る事が出来た。が、当時の己を支配していたものは、必しも前に云った、まだあの女の体を知らないと云う未練ばかりだった訳ではない。己は衣川(ころもがわ)の家で、袈裟と一つ部屋の畳へ坐った時、既にこの未練がいつか薄くなっているのに気がついた。それは己がもう童貞でなかったと云う事も、その場になって、己の欲望を弱める役に立ったのであろう。しかしそれよりも、主(おも)な原因は、あの女の容色が、衰えていると云う事だった。実際今の袈裟は、もう三年前の袈裟ではない。皮膚は一体に光沢(つや)を失って、目のまわりにはうす黒く暈(かさ)のようなものが輪どっている。頬のまわりや顋(あご)の下にも、以前の豊な肉附きが、嘘のようになくなってしまった。僅に変らないものと云っては、あの張りのある、黒瞳勝(くろめがち)な、水々しい目ばかりであろうか。――この変化は己の欲望にとって、確かに恐しい打撃だった。己は三年ぶりで始めてあの女と向い合った時、思わず視線をそらさずにはいられなかったほど、強い衝動を感じたのを未(いまだ)にはっきり覚えている。……
 では、比較的そう云う未練を感じていない己が、どうしてあの女に関係したのであろう。己は第一に、妙な征服心に動かされた。袈裟は己と向い合っていると、あの女が夫の渡(わたる)に対して持っている愛情を、わざと誇張して話して聞かせる。しかも己にはそれが、どうしてもある空虚な感じしか起させない。


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