試験管 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )
一 靴のかかと
夏になったので去年の白靴(しろぐつ)を出して見ると、かかとのゴムがだいぶすり減っている。靴自身も全体にだいぶひどくなっているから一つ新調することにした。買いに行った店にはゴムのかかとのが無かったのでそのかわりに、かかとの一隅(いちぐう)に小さな三角形の鉄片を打ちつけたのをなんの気なしに買って来た。それで、古いほうの靴は近所の靴屋へ直しにやって、そうしてこの新しいのをおろしてはいて玄関から一歩踏み出してみて、そうして驚いた。
かかとの裏の三角形の鉄片がまず門内の敷石と摩擦してゴリゴリまたゲリゲリとすさまじい音を立てる。道路のアスファルトでも、研究所の床のコンクリートでも、どこを歩いてもこの小さな鉄片がなりに似合わぬ高く鋭い叫び声を発して自己の存在を強調する。その音が頭の頂上まで突き抜けるように響き渡って、何よりもまず気が引けるのである。人とすれちがう時などには特に意地悪くわざわざガリガリと強い音を出す。すると人がびっくりして自分の顔を見るような気がするのである。
この一センチメートル三角ぐらいの鉄片は、言わば「やましき良心」のごとく、また因果の「人面瘡(にんめんそう)」のごとく至るところにつきまとって私を脅かすのであった。
だれが考えたものか知らないが、この鉄片はとにかく靴のかかとの磨滅(まめつ)を防ぐために取り付けたものには相違ない。しかし元来|靴(くつ)というものは、「靴自身のかかとのすり減らないためにはくもの」ではなくて、生身の足を保護するためにはくものである。もし足はどうなってもいい、靴さえ減らなければいいというのならば、いっその事全部鋼鉄製の靴をはけばいいわけである。
はきごこち、踏みごこちの柔らかであるということは、結局|磨滅(まめつ)しやすいということと同じことになるのではないか。靴底と地面との衝撃の結果として靴底が磨滅されるおかげで、不愉快な振動が肉体に伝わることを防止するのであろう。
畳がすり切れて困るから、床を鋼鉄張りにするというのも同じような話である。
こんな不平をいだいて、二三日歩き回っているうちに、不思議なことには、この靴底の三角の鉄片の存在を主張する叫び声がだんだんに、自然に弱くなって来た。ゴリゴリ、ゲリゲリと鋸(のこぎり)の目立てをするような音はほとんど聞かれなくなった。そうして、この鉄片の軽く地面をたたくコツコツという音が、次第にそれほど不愉快でなく、それどころか、おしまいにはかえって一種の適度な爽快(そうかい)な刺激として、からだを引きしめ、歩調を整えさせる拍節の音のようにも感ぜられるようになって来た。
思うに、従来はいていた靴のかかとがだいぶ減って低くなっていたので、それに長い間慣らされた足の運びが、今度の新しい靴の少しばかり高いかかとに適応するまでに少しばかり骨が折れたものと見える。
そのうちに、古いほうの靴のゴム底ができて来て、試みにそれをはいて歩いてみると、なるほど踏みごこちは柔らかいが、今度はあまり柔らか過ぎて、べとべとした餅(もち)の上でも歩くような気がする。はなはだたよりない気持ちがするのであった。
これに似た他の場合を思い出す。
半年ほど下駄(げた)というものをはかないでいる。そうして久しぶりに下駄をはいて四五町も歩くと、足一面が妙にひきつれたようになって歩けなくなる。おしまいには腰のへんまでひきつってしまう。それが、足袋(たび)をはいてだと、それほどでもないが、素足のままだと特別にひどいようである。
はき物でさえ、そうしてはき物の大きさや素材のこんな些細(ささい)な変化でさえ、新しいものに適応するということの難儀さかげんがこれほどまでに感じられるのである。過去の世界で育ち過去の思想で固まった年寄りの自分らが、新しい世界を歩き、新しい思想に慣れるまでの難儀さ迷惑さはどのくらい大きいものか、若い人には想像するさえむつかしいであろうと思われる。
二 草市
七月十三日の夕方哲学者のA君と二人で、京橋(きょうばし)ぎわのあるビルディングの屋上で、品川沖(しながわおき)から運ばれて来るさわやかな涼風の流れに※※(けんぐ)しながら眼下に見通される銀座通(ぎんざどお)りのはなやかな照明をながめた。煤煙(ばいえん)にとざされた大都市の空に銀河は見えない代わりに、地上には金色の光の飛瀑(ひばく)が空中に倒懸していた。それから楼を下って街路へおりて見ると、なるほどきょうは盆の十三日で昔ながらの草市が立っている。
真菰(まこも)の精霊棚(しょうりょうだな)、蓮花(れんげ)の形をした燈籠(とうろう)、蓮(はす)の葉やほおずきなどはもちろん、珍しくも蒲(がま)の穂や、紅(べに)の花殻(はながら)などを売る露店が、この昭和八年の銀座のいつもの正常の露店の間に交じって言葉どおりに異彩を放っていた。手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)、たすきがけで、頭に白い手ぬぐいをかぶった村嬢の売り子も、このウルトラモダーンな現代女性の横行する銀座で見ると、まるで星の世界から天降(あまくだ)った天津乙女(あまつおとめ)のように美しく見られた。
子供の時分に、郷里の門前を流れる川が城山のふもとで急に曲がったあたりの、流れのよどみに一むらの蒲(がま)が生(お)い茂っていた。炎天のもとに煮えるような深い泥(どろ)を踏み分けては、よくこの蒲の穂を取りに行ったものである。それからというものは、今日までほとんど四十年の間ついぞ再びこの蒲を見た記憶がなかったように思うのである。
この蒲の穂を二三十本ぐらい一束ねにしたのをそっくりそのままにA君が買おうとして価を聞くと、売り手のおかみさんが少し困ったような顔をした。「みなさん、たいてい二本ずつお買いになりますが」という。すると、他の客を相手にしていた亭主(ていしゅ)が聞きつけて「いけませんいけません」という。つまり、二本ずつは売るが一わは売らないというのである。伝統は尊重しなければならない。哲学者のA君は、とうとう十銭を投じて二本だけで満足するほかはなかった。
少し歩いてからしなびた紅(べに)の花殻(はながら)をやはり二三本|藁包(わらづと)にしたのを買った。また少し歩くと、数株の菱(ひし)を舗道に並べて売っている若い男がいた。A君はそれも一株買った。売り手の男が、なんだかひどくなつかしそうな顔をして、A君の郷里はどこかと聞いた。
この文化的日本の銀座の舗道の上に、びしょびしょにぬれて投げ出された数株の菱を見て、若い日の故郷の田舎(いなか)の水辺の夢を思い出す人は、自分らばかりではないと見える。
神代からなる蒲の穂や菱の浮き葉は、やはり今でも日本にあるにはあるのである。精霊棚(しょうりょうだな)を設けて亡魂を迎える人はやはり今でもあるのである。
かかとの裏の三角形の鉄片がまず門内の敷石と摩擦してゴリゴリまたゲリゲリとすさまじい音を立てる。道路のアスファルトでも、研究所の床のコンクリートでも、どこを歩いてもこの小さな鉄片がなりに似合わぬ高く鋭い叫び声を発して自己の存在を強調する。その音が頭の頂上まで突き抜けるように響き渡って、何よりもまず気が引けるのである。人とすれちがう時などには特に意地悪くわざわざガリガリと強い音を出す。すると人がびっくりして自分の顔を見るような気がするのである。
この一センチメートル三角ぐらいの鉄片は、言わば「やましき良心」のごとく、また因果の「人面瘡(にんめんそう)」のごとく至るところにつきまとって私を脅かすのであった。
だれが考えたものか知らないが、この鉄片はとにかく靴のかかとの磨滅(まめつ)を防ぐために取り付けたものには相違ない。しかし元来|靴(くつ)というものは、「靴自身のかかとのすり減らないためにはくもの」ではなくて、生身の足を保護するためにはくものである。もし足はどうなってもいい、靴さえ減らなければいいというのならば、いっその事全部鋼鉄製の靴をはけばいいわけである。
はきごこち、踏みごこちの柔らかであるということは、結局|磨滅(まめつ)しやすいということと同じことになるのではないか。靴底と地面との衝撃の結果として靴底が磨滅されるおかげで、不愉快な振動が肉体に伝わることを防止するのであろう。
畳がすり切れて困るから、床を鋼鉄張りにするというのも同じような話である。
こんな不平をいだいて、二三日歩き回っているうちに、不思議なことには、この靴底の三角の鉄片の存在を主張する叫び声がだんだんに、自然に弱くなって来た。ゴリゴリ、ゲリゲリと鋸(のこぎり)の目立てをするような音はほとんど聞かれなくなった。そうして、この鉄片の軽く地面をたたくコツコツという音が、次第にそれほど不愉快でなく、それどころか、おしまいにはかえって一種の適度な爽快(そうかい)な刺激として、からだを引きしめ、歩調を整えさせる拍節の音のようにも感ぜられるようになって来た。
思うに、従来はいていた靴のかかとがだいぶ減って低くなっていたので、それに長い間慣らされた足の運びが、今度の新しい靴の少しばかり高いかかとに適応するまでに少しばかり骨が折れたものと見える。
そのうちに、古いほうの靴のゴム底ができて来て、試みにそれをはいて歩いてみると、なるほど踏みごこちは柔らかいが、今度はあまり柔らか過ぎて、べとべとした餅(もち)の上でも歩くような気がする。はなはだたよりない気持ちがするのであった。
これに似た他の場合を思い出す。
半年ほど下駄(げた)というものをはかないでいる。そうして久しぶりに下駄をはいて四五町も歩くと、足一面が妙にひきつれたようになって歩けなくなる。おしまいには腰のへんまでひきつってしまう。それが、足袋(たび)をはいてだと、それほどでもないが、素足のままだと特別にひどいようである。
はき物でさえ、そうしてはき物の大きさや素材のこんな些細(ささい)な変化でさえ、新しいものに適応するということの難儀さかげんがこれほどまでに感じられるのである。過去の世界で育ち過去の思想で固まった年寄りの自分らが、新しい世界を歩き、新しい思想に慣れるまでの難儀さ迷惑さはどのくらい大きいものか、若い人には想像するさえむつかしいであろうと思われる。
二 草市
七月十三日の夕方哲学者のA君と二人で、京橋(きょうばし)ぎわのあるビルディングの屋上で、品川沖(しながわおき)から運ばれて来るさわやかな涼風の流れに※※(けんぐ)しながら眼下に見通される銀座通(ぎんざどお)りのはなやかな照明をながめた。煤煙(ばいえん)にとざされた大都市の空に銀河は見えない代わりに、地上には金色の光の飛瀑(ひばく)が空中に倒懸していた。それから楼を下って街路へおりて見ると、なるほどきょうは盆の十三日で昔ながらの草市が立っている。
真菰(まこも)の精霊棚(しょうりょうだな)、蓮花(れんげ)の形をした燈籠(とうろう)、蓮(はす)の葉やほおずきなどはもちろん、珍しくも蒲(がま)の穂や、紅(べに)の花殻(はながら)などを売る露店が、この昭和八年の銀座のいつもの正常の露店の間に交じって言葉どおりに異彩を放っていた。手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)、たすきがけで、頭に白い手ぬぐいをかぶった村嬢の売り子も、このウルトラモダーンな現代女性の横行する銀座で見ると、まるで星の世界から天降(あまくだ)った天津乙女(あまつおとめ)のように美しく見られた。
子供の時分に、郷里の門前を流れる川が城山のふもとで急に曲がったあたりの、流れのよどみに一むらの蒲(がま)が生(お)い茂っていた。炎天のもとに煮えるような深い泥(どろ)を踏み分けては、よくこの蒲の穂を取りに行ったものである。それからというものは、今日までほとんど四十年の間ついぞ再びこの蒲を見た記憶がなかったように思うのである。
この蒲の穂を二三十本ぐらい一束ねにしたのをそっくりそのままにA君が買おうとして価を聞くと、売り手のおかみさんが少し困ったような顔をした。「みなさん、たいてい二本ずつお買いになりますが」という。すると、他の客を相手にしていた亭主(ていしゅ)が聞きつけて「いけませんいけません」という。つまり、二本ずつは売るが一わは売らないというのである。伝統は尊重しなければならない。哲学者のA君は、とうとう十銭を投じて二本だけで満足するほかはなかった。
少し歩いてからしなびた紅(べに)の花殻(はながら)をやはり二三本|藁包(わらづと)にしたのを買った。また少し歩くと、数株の菱(ひし)を舗道に並べて売っている若い男がいた。A君はそれも一株買った。売り手の男が、なんだかひどくなつかしそうな顔をして、A君の郷里はどこかと聞いた。
この文化的日本の銀座の舗道の上に、びしょびしょにぬれて投げ出された数株の菱を見て、若い日の故郷の田舎(いなか)の水辺の夢を思い出す人は、自分らばかりではないと見える。
神代からなる蒲の穂や菱の浮き葉は、やはり今でも日本にあるにはあるのである。精霊棚(しょうりょうだな)を設けて亡魂を迎える人はやはり今でもあるのである。
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術3 鋼1 木材1 ●熟練職人の教練書じょうごの形成法工芸8 錬金術2 ガラス細工2試験管の形成法工芸8 錬金術2 ガラス細工1フラスコの形成法工芸9 錬金術3 水晶1ビーカーの形成法工芸9 -
問題ページ18 - pmmo@wiki - pmmo@wiki
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