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読書遍歴 - 三木 清 ( みき きよし )

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      一  今日子供学校へも上らない前からすでにたくさん読み物を与えられていることを幸福と考えてよいのかどうか、私にはわかない。私自身は、小学校にいる間、中学へ入ってからも初めの一、二年の間は、教科書よりほかの物はほとんど何も見ないで過ぎてきた。学校から帰ると、包を放り出して、近所の子供と遊ぶか、家の手伝いをするというのがつねであった。私の生まれた所は池一つ越すと竜野の町になるのであるが、私は村の小学校に通い、その頃の普通農家子供と同じように読み物は何も与えられないで暮らしてきた。父の代になってからは商売はやめてしまったが、今でも私の生家は村でも「米屋」と呼ばれているように、その時分はまだ祖父が在世していて、米の仲買をやり小売を兼ね、またいくらか田を作ってもいた。村の人々と同じに暮らして目立たないことが家の生活方針であり、私も近所の子供と変らないようにしつけられた。中学に通うことになってからも、私はつとめて村の青年と交わり、なるべく目立たないように心掛けた。私は商売よりも耕作の手伝いが好きであった。つまり私は百姓子供として育ったのである。雑誌というものを初めて見たのは六年生の時であったと思う。中学受験準備のための補習の時間に一緒になった村の医者子供博文館の『日本少年』を持ってきたので、それを見せてもらったわけである。私はそんな雑誌存在さえも知らないといった全くの田舎子供であった。町へ使いに行くことは多かったが、本屋注意に入らないで過ぎてきた。今少年時代を回顧しても、私の眼に映ってくるのは、郷里自然とさまざまの人間であって、書物というものは何ひとつない。ただあの時の『日本少年』だけが妙に深く印象に残っている。その頃広く読まれていた巌谷小波童話のごときも、私は中学に入ってから初めて手にしたのであった。田舎子供には作られた夢はいらない。土が彼の心のうちに夢を育ててくれる。
 かような私がそれでも文芸というものを比較的早く知ったのは、一人のやや無法な教師のおかげである。やはり小学六年のことであったと記憶する、受持の先生に竜野の町から教えに来ておられた多田という人があった。この先生ホトトギス派の俳人であったらしく、教室で私ども百姓子供をとらえてよく俳句講釈を始め、ついには作文時間生徒俳句を作らせるほど熱心であった。ある時私の出した句が秀逸であるというので、黒板に書いて皆の者に示し、そして高浜虚子が私と同じ名の清だから、私も虚子をまねて「怯詩」と号するがよいといって、おだてられた。号というものを付けてもらったのはこれが初めでまた終りでもあるので、今も覚えている。この先生によって私は子規蕪村芭蕉の名を知り、その若干の句を教えられた。『ホトトギス』という雑誌は、中学の時、いわゆる写生文を学ぶつもりでしばらく見たことがある。

      二

 私がほんとに読書に興味をもつようになったのは、現在満洲国教科書編纂の主任をしておられる寺田喜治郎先生影響である。この先生に会ったことは私の一生の幸福であった。たしか中学三年の時であったと思う、先生東京高師を出て初めて私どもの竜野中学国語教師として赴任して来られた。何でも以前文学を志して島崎藤村に師事されたことがあるという噂であった。当時すでに先生国語教育についてずいぶん新しい意見を持っておられたようである。私どもは教科書のほかに副読本として徳富蘆花の『自然人生』を与えられ、それを学校でも読み、家へ帰ってからも読んだ。先生字句解釈などはいっさい教えないで、ただ幾度も繰り返りして読むように命ぜられた。私は蘆花が好きになり、この本のいくつかの文章は暗誦することができた。そして自分でさらに『青山白雲』とか『青蘆集』とかを求めて、同じように熱心に読んだ。冬の夜炬燵(こたつ)の中で、暗いランプの光で、母にいぶかられながら夜を徹して、『思い出の記』を読みふけったことがあるが、これが小説というものを読んだ初めである。かようにして私は蘆花から最初の大きな影響受けることになったのである。
 私が蘆花から影響されたのは、それがその時までほとんど本らしいものを読んだことのなかった私の初めて接したものであること、そして当時一年ほどの間はほとんどただ蘆花だけを繰り返して読んでいたという事情によるところが多い。このような読書の仕方は、かつて先ず四書五経素読から学問に入るという一般的な慣習が廃(すた)れて以後、今日では稀なことになってしまった。今日子供の多くは容易に種々の本を見ることができる幸福をもっているのであるが、そのために自然手当り次第のものを読んで捨ててゆくという習慣になり易い弊がある。これは不幸なことであると思う。もちろん教科書だけに止まるのはよくない。教科書というものは、どのような教科書でも、何らか功利的に出来ている。教科書だけを勉強してきた人間は、そのことだけからも、功利主義者になってしまう。
 もし読書における邂逅(かいこう)というものがあるなら、私にとって蘆花はひとつの邂逅であった。私の郷里の竜野は近年は阪神地方からの遊覧者も多い山水明媚の地であるが、その風物は武蔵野などとはまるで違っている。その土地で大きくなった私が武蔵野愛するようになったのは、蘆花の影響である。一高時代、私はほとんど毎日曜日、寮の弁当を持って、ところ定めず武蔵野を歩き廻ったことがある。それはその頃読んでいた芭蕉などに対する青年らしい憧憬でもあったが、根本はやはり『奥の細道』でなくて『自然人生』であった。蘆花を訪ねたことはついになかったが、彼が住んでいた粕谷のあたりをさまよったことは一再ではない。利根川べりの息栖とか小見川とかの名も蘆花を通して記憶していて、その土地を探ねて旅したこともある。


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