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誰が罪 - 清水 紫琴 ( しみず しきん )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
  • 600円~ 岩波文庫【青年】森鴎外 (プチソフト1)
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・山椒大夫  他四篇」(旺文社文庫)◇◆
  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・うたかたの記  他三篇」(岩波文庫)◇◆
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  • 森鴎外 高瀬舟・高瀬舟縁起・寒山捨得・寒山捨得縁起 CD 未開封
  • 森鴎外 舞姫 雁 井上靖 訳編 明治の古典8 初版
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   その一 『監獄といへばあたまから、善人の行くべき処でないと思ふ人が多い。なるほどそれは国事犯者の少数と、ある一二の項目に触れて禁錮された、人々とを除いたならば、まるつきり、純潔無垢なるものの、行くべき処でないには相違ない。さらば青天白日とかいふ、監獄の外に居るものは、既往と将来とは知らず、現在では、純潔無垢なものばかりかといふに、なかなかさうはゆかぬてや。この中にはかの有名なる、判官の弄花事件もあつた、議員収賄事件もあつた。顕れた事実は少数だが、それに類した事が、現在いくら行はれつつあるかもしれぬ。否行はれてゐるのである。先づ例を卑近な辺に採らふならば、わづかの金を振りまはして、格外の手数料利子などを貪り、貧民の生血を吸つてゐる恠物もある。がこれらは咎め立するほどの、価値(ねうち)ある罪人ではない。それよりも、もつと大きな罪人には、尸位素餐(しいそさん)、爵禄を貪つてゐる上に、役得といふ名の下に、いろいろな不埓を、働いてゐる徒輩(ともがら)もある。がまだその上には上がある。君国を売る奸賊、道徳を売る奸賊、宗教を売る奸賊、これらはあらゆる奸賊の中でも、最も許し難き奸賊ではないか。しかるにこれらの大奸賊といふものに、なつてくれば、なかなか公然と張つてある法網に触れて、監獄といふ、小さな箱の中へ這入るやうな、頓間(とんま)な事はしない。俯仰天地に恥ぢずといつたやうな顔をして、否むしろ社会の好運児、勲爵士として好遇され、畏敬され、この美なる神州山川を汚し、この広大なる地球を狭しと、横行濶歩してゐるではないか。されば天地間、いづれに行くとしても罪人の居ない処はない。いはばこの娑婆は、未決囚をもつて充満されてゐる、一個の大いなる監獄といつてよいのである。ただその中で思慮の浅い、智恵の足りない、行為の拙なものが、人為の監獄に投ぜらるるまでなのである。しからば監獄を限りて、罪人の巣窟と思ふのは、大いなる浅見ではないか。故に予はむしろこの小さき、否愚かしき、真個憫むべき人間を捉へて、罪人といふのに忍びぬのである。』
と、さすがに職業柄だけに、市ヶ谷監獄署面会人控所にて、大気焔を吐きたまふは、この頃某県より東京へ転貫の、猪飼弁三(イカイベンゾウ)といふ弁護士殿なり。地方は知らず、東京では、あまり新しき御議論でもなけれど、場所が面会人控所だけに、打集へる人々、いづれも多少監獄内に縁故ある身とて、そぞろ同情の想ひに動かされ、それ位の事と思ふ人も、実(げ)にもつともと頭を垂るるほどの仕儀、ましてぽつと出の田舎親爺、伜の不所存ゆゑ、こんなおつかない処へ来ねばなんねえと、正直看板赤毛布(あかげつと)に包まれたる連中などは、いづれもあつと感じ入り、今更のやうに弁護士殿のお顔打仰ぎ、一躰何ていえお人だんべいと連れの男に囁く、ここ大当り光景に、猪飼先生いよいよ反身になりたまひ、傍(かたえ)に苦笑する二三の人あるにも心注かず。かつて覚えの政談演説に、国許でやんやといはせたる時の事など、咄嗟の間に憶ひ出て、おほんと一声|衆囂(しゆうご)を制し、
『しかるをいはんやここは面会人控所ではないか。檻内の者はとにかく、面会を乞ふものその者に、果たして何の罪がある。これ実に世のいはゆる晴天白日の人、即ち天下公衆の一人ではないか。それも罪三族を夷(ゐ)すといふ、蒙昧な時代ならばいざ知らず、この昭代でありながら、面会人までも罪人同様に、かくの如く薄汚なく、かくの如く疎雑なる、はたまたかくの如く不待遇(ぶあしらひ)極まる建築所に、控えさせておくといふは、これあに昭代の微瑕ではないか。殊にその中には予輩の如き、名誉職職務上来りをるものあるをや』
と、はつきりといひ切りたきところを、さすが結尾の一節だけは、舌鋒を鈍らし、むにやむにやとお口の内に噛み殺したまひしは、天晴れお見上げ申したる御仁躰なり。
 されどかく、しばしば感歎を促されては、さうは問屋がと余談に移るものあるを、弁護士殿は苦々しげに見てゐたまひしが、ふと傍に控えたる少年の、これこそはさもさも同情の想ひ、眉宇に溢れたるを、うい奴と発見したまひ。
『君はいつも見る顔だが、一躰何の事件で来てゐるのだ。よく感心にたびたび遣つて来るの』
 君と呼ばれたる少年は、年の頃十五六、小柄なれば七位にもや。浅黒き顔に黒木綿羽織麁末なる身装(みごしらえ)ながら、どこやら冒しがたき威風ありげに見ゆるも、眼光の人を射ればか。じろりと弁護士が前半面を見下して
『はあ、父が来てゐるのです』
『ふむ、未決か、既決か』
『既決といふ外はありません、昨日確定裁判を下されたのですから。それがどうしたです』
 妙に人に喰つてかかりさうなる気色を、弁護士殿は、微笑をもて迎へながら。
『ふむ、さうか、それはいけなかつたな。一躰どういふ、罪名を付せられたのだな』
 少年は猪飼への答といふよりも、むしろ己が感慨に迫られて、我知らず口を開き。
『そ、それが実に間違つとるんです。全躰は人の委託金ですが、使用の特権をその所有者から許されてゐたんです。だから良し費消したところで、民事制裁を受くべきものであるに、彼奴(きやつ)為にするところあつて、突然予審廷へ告訴したんです。しかるにもとより懇意な間柄であるから、合意といふ証左が、父の手許に取つてない。為にとうとう委託物費消といふ汚穢なる罪名を付せらるるの、残念なる次第に立到つたのです。実にまるで誣告されたんです、不当なる判決を下されたんです、立派冤罪に逢つたんです』
 はなはだしく憤慨して腕を扼し、思はず高声にいひ放ちしが、辺りに佇める押丁と顔見合せ、さすがに口を噤みたり。弁護士殿は、やをら巻煙草の灰をはたき、
『ふふむ、さうか、委託物費消か、いやよくある奴だ』
 少し冷やかなる調子なりしが、理性は前刻の、卓論を繰返して黙するを許さず。
『まあいいさ、さう怒る事もない。軽罪だから直き出られるさ。最長期としたところで知れたものだからな』
 少年は勃然として、弁護士の顔を見上げ、
『三年です、その人に依つては、長くもない時日でしやう。だが一日の破廉恥罪と、十年の国事犯罪とは、あなたはどちらをお取りになりますか。父はいやしくも郷里では、県会の副議長にも挙げられた人間です、地方政党幹事をも、遣つてゐた人物です。そして初期の衆議院には、いくばくの国民代表した代議士であり、のみならず僕の家は、近県に誰知らないものはない、数百年連綿の旧家です。その士、その家の主人が、破廉恥罪の名によつて、今後三年を囹圄(れいご)の裡に送るが、それが短い日月でしやうか、父に取つての軽罪でしやうか。父の生涯と、自分の生涯は、これでもつて全く葬られてしまつたんです。栄誉ある家系に、拭ひ難き汚泥を塗られたんです。それでもあなたは、軽罪とおつしやるですか。


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