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- 太宰 治 ( だざい おさむ )

  • ●太宰治【文豪ナビ 太宰治 ナイフを持つ前にダザイを読め!!】
  • 太宰治 『太宰治全集 3』 (ちくま文庫)
  • 太宰治をおもしろく読む方法 (単行本) 山口 俊雄 (編集)
  • 太宰治 人間失格 ヴィヨンの妻 お伽草子 惜別 津軽 5冊
  • 古書「太宰治全集 第2巻」筑摩書房、昭和46年発行
  • ◎◎ 太宰治集/人間失格 斜陽 走れメロス ヴィヨンの妻◎◎
  • 定本 太宰治全集 初版 筑摩書房 中古
  • 太宰治本「太宰萌え 入門者のための文学ガイドブック」岡崎武志
  • ◆◇ 太宰治著「女生徒」(角川文庫)
  • 朗読CD 朗読街道22「富嶽百景」太宰治 試聴あり
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 イエス其(そ)の弟子(でし)たちとピリポ・カイザリヤの村々に出(い)でゆき、途(みち)にて弟子たちに問ひて言ひたまふ「人々は我(われ)をと言ふか」答へて言ふ「バプテスマのヨハネ、或人(あるひと)はエリヤ、或人は預言者一人」また問ひ給(たま)ふ「なんぢらは我をと言ふか」ペテロ答へて言ふ「なんぢはキリスト神の子なり」(マルコ八章二七)  たいへん危いところである。イエスは其の苦悩の果に、自己を見失い、不安のあまり無智文盲(むちもんもう)の弟子たちに向い「私はです」という異状な質問を発しているのである。無智文盲弟子たちの答一つに頼ろうとしているのである。けれども、ペテロは信じていた。愚直に信じていた。イエスが神の子である事を信じていた。だから平気で答えた。イエスは、弟子に教えられ、いよいよ深く御自身の宿命を知った。
 二十世紀のばかな作家の身の上に於いても、これに似た思い出があるのだ。けれども、結果はまるで違っている。
 かれ、秋の一夜、学生たちと井(い)の頭(かしら)公園に出でゆき、途にて学生たちに問いて言いたまう「人々は我を誰と言うか」答えて言う「にせもの。或人は、嘘つき。また或人は、おっちょこちょい。或人は、酒乱者の一人」また問い給う「なんじらは我を誰と言うか」ひとりの落第生答えて言う「なんじはサタン、悪の子なり」かれ驚きたまい「さらば、これにて別れん」
 私は学生たちと別れて家に帰り、ひどい事を言いやがる、と心中はなはだ穏かでなかった。けれども私には、かの落第生の恐るべき言葉を全く否定し去る事も出来なかった。その時期に於いて私は、自分を完全に見失っていたのだ。自分が誰だかわからなかった。何が何やら、まるでわからなくなってしまっていたのである。仕事をして、お金がはいると、遊ぶ。お金がなくなると、また仕事をして、すこしお金がはいると、遊ぶ。そんな事を繰り返して一夜ふと考えて、慄然(りつぜん)とするのだ。いったい私は、自分をなんだと思っているのか。之(これ)は、てんで人間生活じゃない。私には、家庭さえ無い。三鷹(みたか)の此(こ)の小さい家は、私の仕事場である。ここに暫くとじこもって一つの仕事出来あがると私は、そそくさと三鷹引き上げる。逃げ出すのである。旅に出る。けれども、旅に出たって、私の家はどこにも無い。あちこちうろついて、そうしていつも三鷹の事ばかり考えている。三鷹に帰ると、またすぐ旅の空をあこがれる。仕事場は、窮屈である。けれども、旅も心細い。私はうろついてばかりいる。いったいどうなる事だろう。私は人間でないようだ。
「ひでえ事を言いやがる。」私は寝ころんで新聞をひろげて見ていたが、どうにも、いまいましいので、隣室で縫物をしている家の者に聞えるようにわざと大きい声で言ってみた。「ひでえ野郎だ。」
「なんですか。」家の者はつられた。「今夜は、お帰りが早いようですね。」
「早いさ。もう、あんな奴らとは附き合う事が出来ねえ。ひでえ事を言いやがる。伊村の奴がね、僕の事をサタンだなんて言いやがるんだ。なんだい、あいつは、もう二年もつづけて落第しているくせに。僕の事なんか言えた義理じゃないんだ。失敬だよ。」よそで殴られて、家へ帰って告げ口している弱虫子供に似ているところがある。


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