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謀叛論(草稿) - 徳冨 蘆花 ( とくとみ ろか )

  • 謀叛論 他六編・日記 徳冨蘆花 大逆事件
  • ◆岩波文庫◆『謀叛論』◆徳富蘆花◆徳富健次郎◆
  • 謀叛論 他6篇・日記 徳富健次郎著中野好夫編 岩波文庫 帯付
  • 謀叛論 徳富蘆花◆徳富健次郎 岩波文庫
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 僕は武蔵野の片隅に住んでいる。東京へ出るたびに、青山方角へ往(ゆ)くとすれば、必ず世田ヶ谷を通る。僕の家から約一里程行くと、街道の南手に赤松のばらばらと生えたところが見える。これは豪徳寺――井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)の墓で名高い寺である。豪徳寺から少し行くと、谷の向うに杉や松の茂った丘が見える。吉田松陰の墓および松陰神社はその丘の上にある。井伊と吉田五十年前には互(たがい)に倶不戴天(ぐふたいてん)の仇敵で、安政の大獄(たいごく)に井伊が吉田の首を斬れば、桜田の雪を紅に染めて、井伊が浪士に殺される。斬りつ斬られつした両人も、死は一切の恩怨(おんえん)を消してしまって谷|一重(ひとえ)のさし向い、安らかに眠っている。今日の我らが人情の眼から見れば、松陰はもとより醇乎(じゅんこ)として醇なる志士の典型、井伊も幕末の重荷を背負って立った剛骨(ごうこつ)の好男児、朝に立ち野に分れて斬るの殺すのと騒いだ彼らも、五十年後の今日から歴史背景に照らして見れば、畢竟(ひっきょう)今日日本を造(つく)り出さんがために、反対の方向から相槌(あいづち)を打ったに過ぎぬ。彼らは各々その位置に立ち自信に立って、するだけの事を存分にして土に入り、余沢を明治今日に享(う)くる百姓らは、さりげなくその墓の近所で悠々と麦のサクを切っている。
 諸君明治に生れた我々は五六十年前の窮屈千万社会を知らぬ。この小さな日本を六十幾つに劃(しき)って、ちょっと隣へ往くにも関所があり、税関があり、人間人間の間には階級があり格式があり分限(ぶんげん)があり、法度(はっと)でしばって、習慣で固めて、いやしくも新しいものは皆禁制、新しい事をするものは皆|謀叛人(むほんにん)であった時代想像して御覧なさい。実にたまったものではないではないか。幸(さいわい)に世界を流るる一の大潮流は、暫く鎖(とざ)した日本水門を乗り越え潜(くぐ)り脱(ぬ)けて滔々(とうとう)と我(わが)日本流れ入って、維新革命は一挙に六十藩を掃蕩し日本を挙げて統一国家とした。その時の快豁(かいかつ)な気もちは、何ものを以(もっ)てするも比すべきものがなかった。諸君解脱(げだつ)は苦痛である。しかして最大愉快である。人間懺悔して赤裸々(せきらら)として立つ時、社会が旧習をかなぐり落して天地間に素裸(すっぱだか)で立つ時、その雄大光明(ゆうだいこうみょう)な心地は実に何ともいえぬのである。明治初年日本は実にこの初々(ういうい)しい解脱時代で、着ぶくれていた着物を一枚|剥(は)ねぬぎ、二枚剥ねぬぎ、しだいに裸になって行く明治初年日本の意気は実に凄(すさ)まじいもので、五ヶ条の誓文(せいもん)が天から下る、藩主が封土を投げ出す、武士両刀を投出す、えたが平民になる、自由平等革新空気は磅※(ほうはく)として、その空気に蒸された。日本はまるで筍(たけのこ)のように一夜の中にずんずん伸びて行く。インスピレーションの高調に達したといおうか、むしろ狂気といおうか、――狂気でも宜(よ)い――狂気の快は不狂者の知る能わざるところである。誰がそのような気運を作ったか。世界を流るる人情大潮流である。誰がその潮流を導いたか。とりもなおさず我先覚の諸士志士である。いわゆる(二字不明)多(おおし)で、新思想を導いた蘭学者(らんがくしゃ)にせよ、局面打破を事とした勤王(きんのう)攘夷(じょうい)の処士にせよ、時の権力からいえば謀叛人であった。彼らが千荊万棘(せんけいばんきょく)を蹈(ふま)えた艱難辛苦――中々|一朝一夕(いっちょういっせき)に説き尽せるものではない。明治今日に生を享(う)くる我らは維新志士の苦心を十分に酌(く)まねばならぬ。
 僕は世田ヶ谷を通る度(たび)に然(しか)思う。吉田も井伊も白骨になってもはや五十年、彼ら及び無数の犠牲によって与えられた動力は、日本今日位置に達せしめた。日本もはや明治となって四十何年、維新の立者(たてもの)多くは墓になり、当年の書生青二才も、福々しい元老もしくは分別臭い中老になった。彼らは老いた。日本成長した。子供でない、大分大人(おとな)になった。明治初年狂気のごとく駈足(かけあし)で来た日本も、いつの間にか足もとを見て歩くようになり、内観するようになり、回顧もするようになり、内治のきまりも一先(ひとま)ずついて、二度の戦争領土は広がる、新日本統一ここに一段落を劃した観がある。維新前後志士の苦心もいささか酬いられたといわなければならぬ。しからば新日本史はここに完結を告げたか。これから守成の歴史に移るのか。局面回復の要はないか。最早志士の必要はないか。飛んでもないことである。五十歳前、徳川三百年の封建社会をただ一|簸(あお)りに推流(おしなが)して日本を打って一丸とした世界大潮流は、倦(う)まず息(やす)まず澎湃(ほうはい)として流れている。それは人類が一にならんとする傾向である。四海同胞理想を実現せんとする人類の心である。今日世界はある意味において五六十年前の徳川日本である。どの国もどの国も陸海軍を拡げ、税関の隔てあり、兄弟どころか敵味方、右で握手して左でポケット短銃(ピストル)を握る時代である。窮屈と思い馬鹿らしいと思ったら実に片時もたまらぬ時ではないか。しかしながら人類大理想は一切の障壁を推倒(おしたお)して一にならなければ止(や)まぬ。一にせん、一にならんともがく。国と国との間もそれである。


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