議会見物 関連リンク

佐藤 垢石 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

議会見物 - 佐藤 垢石 ( さとう こうせき )

  • 1974年記念切手『第61回列国議会同盟会議』 ◇500円より
  • テーマ欧州 1984年未使用NH イギリス 欧州議会選挙
  • kj100903 新制 日本国会史 1993~2000 平成議会調査会
  • ◇菊池麻衣子 北陸地区しんきん経営者協議会テレカ
  • 1953年繊維年鑑/昭和28年版通産省調査統計部監修/日本繊維協議会
  • 記念切手C664第61回列国議会同盟会議『愛染』シート代行出
  • ☆☆☆全国小型自動車競走施行者協議会☆☆☆
  • おはなし歴史風土記8■茨城県篇■歴史教育者協議会
  • ☆切手 議会開設90年記念 シート   256-129  
  • テレカ☆旅客機/名古屋⇔山形65分/利用拡大推進協議会☆
次のページ
     上  議会中、一日くらいは傍聴席へはいってみるのも国民のつとめであろう。と考えるのだが、物臭ものにはなかなか思った通りにはゆかない。三年に一度か、五年に一度くらいしか、その機会をもたないできた。
 でも、昨年の一月議会返り初日には、二十年前の満鉄事件のとき、顧みて恥なき徒、という名文句を吐いた平沼騏一郎が、総理大臣として施政演説をやるちうことであったから、貴族院の傍聴席を覗いて見た。ところが、平沼がひどく老けているのに驚いたのである。更に悲しく思ったのは、演説美辞麗句に満ちていて、さっぱり内容のなかったことだ。失礼であるが、そのとき、これでは長持ちはしないという印象を受けたのである。
 今年は、二月の五日に、小山議長不信任決議案をつきつけられるという新聞をみたから、これは面白いと思って行ってみる気になった。先年、小山松寿議長になったとき、人はああいう処世術でやってきた方がいいのかな、と思ったのだ。
 というのは、大正七、八年ごろ、私が毎日議会遊びに行っていた時分、まだ小山初老議員で人柄がおだやかで、憲政会総裁加藤高明の顔さえ見れば議員控室であろうと、廊下であろうと、三太夫殿様に接するような物腰で、ペコペコと頭をさげていた。ほかの議員達は国士めいた顔つきで、肩いからしているのが普通であるのに、この議員はなにか目ざしているのか、まことにはや、にやにやとホテルの番頭さんのようだ、と感じたのであった。
 そんな人柄の小山議長が、いじめられるというのであるから、きょうはどんな風に頭をさげるであろうか、と昔のことを思い出して衆議院へ行ってみた。ところで、開会|劈頭(へきとう)社大の浅沼が管(くだ)を巻いてかかると、小山議長は昂然として浅沼に一撃を加え、騒ぐ議場を尻目にして日程変更を宣した。
 人間は、偉くなってしまえばなあ、と思った。昔のペコペコの俤はない。
 それからやがて、大口喜六が壇上に起(た)った。これも、私に思い出の人だ。ひどく演説がうまくなったものだ。
 明治四十五年の初夏のことであるから、もう三十年近くの昔になる。当時、私は三州豊橋に遊んでいたので一日彼を、豊川流れの近くの家へ訪ねて行った。折りから彼は、選挙最中犬養木堂家来として国民党の候補に立ち、大分忙しそうであったが、私を応接間へ通し黄色い声で、なにかひどく威張ったのを記憶している。
 そのとき、眼鏡をかけた細面の奥さんも応接間へ現われたと思う。きょう、ちょいと婦人傍聴席を見ると、あのときの記憶奥さんに似た細面の眼鏡婦人が一番前側にいた。だが、あれからもう三十年もたつのに、あのときの若さと同じ婦人だ。もし、大口奥さんであったとしたら、女というものは随分お歳を召さぬなあ、と思った。大口演説をはじめると、熱心に聞き入っていた。
 大口の奇声は議会名物であったが、きょうの演説をきくと、頭のてんじょく玉から飛びだすような黄色い声でない。これは、甚だ寂しかった。やはり、老年になると声にもさびがつくのかと考えて、そのもの足らなさを隣に腰かけている人に話しかけると、隣の人は、いえあれはいまでも奇声なんですよ。だが、拡声機が上等だから、もう奇声を出す必要がないのでしょう、と答えるのだ。
 ところで昔、大口谷中(やなか)の方で開いていたという薬屋の店はどうなったろう。

     中

 大口喜六の質問に答えるので、米内首相が登壇した。米内光政写真を見ると、護謨(ごむ)人形のような感じがするが、きょうの答弁には何となく弾力がない。それに、国民に対してもっと親切があるのと、もっと決然たるところがあっていいと思う。
 あんなぐあいでも、国民の期待に添えるのかと思えるのであるけど、重臣共の眼から見れば、米内は内懐に何か持っているのかも知れないのだ。しかし、男振りはいい。重臣はああいう見目よい男がお好きなのかも知れないと考えた。
 その次に登壇したのは、藤原銀次郎である。藤原の、からだのこなしにはどこか瓢逸(ひょういつ)のところがある。答弁の句切り句切りに、ひょこひょことお辞儀するのだ。そして最後に、他の所管のことはそれぞれの大臣に答弁させる、などと脱線したのは、内閣を紙会社と心得ているのかも知れない。ひどく、ご愛敬である。自分の席へ帰って行くのに足取りが、ちょこまかと、なんとなく活動役者の高勢実乗に似ている。そんな風な男から、日本の経済国策が生まれてくるのだ。
 二、三年前藤原鐘紡津田向こう脛をかっ払っておいて、支那の草を買ったことがある。まことに、抜け目のない商工大臣でもあろう。
 貴田耘平が『産業問題』を提げて演壇へのぼって行った。あごの鬚髯(しゅぜん)は、随分白くなったが、なかなか元気だ。明治四十三年の晩秋、私が宇都宮遊びに行ったときには、まだ高田は県会議員をやっていて、鬚髯は黒かった。当時、高田宇都宮花柳街にこもつこ家というのがあって、そこの抱え妓の小玉と呼ぶ甚だ小柄な若い子を後援していたが、この元気ではいまでも若い子を贔屓(ひいき)にする実力を持っているかも知れないのである。


次のページ

佐藤 垢石 (さとう こうせき) 以外のオススメ作品

議会見物 (ぎかいけんぶつ) のリンク元

「議会見物-佐藤 垢石」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN