譲原昌子さんについて 関連リンク

宮本 百合子 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

譲原昌子さんについて - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
  • 宮本百合子全集 補巻一 習作一 函・月報付 新日本出版社
  • 現代日本文学全集35 宮本百合子集 筑摩書房
  • (新日本出版社) 宮本百合子選集 全12冊 送料無料!!
  • 【切手OK】宮本百合子『伸子 上巻』岩波版ほるぷ図書館文庫
  • 日本文学全集22 宮本百合子 伸子/二つの庭 河出書房新社
  • ●「新版 宮本百合子全集」第10巻 定価6000円
  • 宮本百合子全集5冊セット全初版 別巻1、2 補巻1、2 別冊 
  • 宮本百合子全集 28巻セット■新日本出版社■1980/82年
 三月十五日に発行された文学新聞に、無名戦士の墓へ合葬された人々の氏名発表されていた。そのなかに、譲原昌子という名をみたとき、わたしははげしいショックをうけた。今年の一月十二日に亡くなられたと書いてある。一人家族もなくて、遺骨の処置が新日本文学会相談されたと書いてある。譲原さんが死んだ。わたしが深いショックを感じたのは、去年の一月、二人でNHKから民主文学について対談を放送したことがあったからであった。それから去年の夏、わたしが身体をわるくして東京にいられなかった間に、譲原さんから手紙がきていて、その返事をうちの人が出しておいてくれた。そういうことがあったからだった。譲原さんというと、わたしにはNHKで会ったとき、あの人の着ていた紫っぽいちりめん羽織想い出す。それから録音にとりかかる前、二人で話しあっていたあいだに、びっしょり汗をかいた譲原さんを想い出す。その時、譲原さんがどんなに身体がわるいかということは誰も知らなかった。あんまり譲原さんが汗をかくので、わたしもその時の担当者であった江上さんも心配になって、いきなりではあんまり無理らしいからと、四、五日さきに録音をのばした。わたしたちは皆単に、譲原さんはひどく疲れている上に馴れない、放送局のなかは不自然暖かいからそれでそんなに汗がでるのだろうと思っていた。わたしも羽織をぬぐほどその狭くるしい放送室は、あつくて息苦しかったから。二人で往来へ出て、田村町の停留場のところでちょっと立ち話した。譲原さんは、やっと汗のおさまった顔をして、今度は放送の日までに一遍わたしのところへ来て、打合せをしておこうという話になった。
 うちへ来てくれた日は、寒い日だったけれども、譲原さんはやっぱり小鼻に汗を出していた。その時もわたしは、譲原さんの病気がどんなに悪いかは知らなかった。譲原さんは自分病気のことをちょっと話して、何しろ少しでも栄養をとろうと思えば、住む場所をえらぶゆとりがなくなるから、今いる田村町のアパート身体にわるい条件なのは分っているけれども、なかなか動けないといった。それを譲原さんは、あっさりとした口調で、わたしたちみんながこの日頃のやりくりについて話すときと同じように話した。感傷訴えもしなかった。だからわたしは、その日も譲原さんの身体のことよりも、放送に気をつかわせまいとして、お互いにらくな気分で話しましょうよということを強調してわかれた。
 この放送は、譲原さんが自由にしっかりとよく話して、好評だった。
 それっきり、わたしは譲原さんに会わずにしまった。去年の夏から自分も具合がわるくて、暮から正月へかけては非常によくない状態におちいった。ときどき譲原さんはどうしているだろうと思っていたところへ、無名戦士の墓へ葬むられた譲原さんのことを知って、自分病気なだけにわたしのうけた衝撃ははなはだしかった。
 無名戦士の墓には、わたしにとって忘れられないひとびとがいる。今野大力、今村恒夫、本庄陸男黒島伝治など。とくに今野大力と今村恒夫は、一九三〇年から三三年にかけてのプロレタリア文学運動のなかで、ふかく日常的にもつながりあった仲間であった。譲原さんは、この人々との関係からみれば、たった二度だけ会った友達だった。だけれども、日本民主的になってゆくはずのこんにちに、やっぱり譲原さんがこのようにして死んだということは、わたしに限りない思いを与える。今村恒夫、今野大力、これらの人たちは、直接その身体にうけた拷問原因で死んだ。譲原さんの身体今野大力の耳のうしろに残っていたような傷はなかったろう。しかしこれらの人々がもっと生きられるいのちを、もっと育つ才能を半ばで野蛮な力に殺されたということに、ひとつのちがいもない。
 譲原さんの遺稿として新日本文学に「朝鮮やき」がのっている。みじかい作品だけれども感銘がふかい。北海道鉱山に働きながら朝鮮独立運動のために闘っていた一家を中心としてかかれている物語りである。緊密によくかかれている。そして最後敗戦後の東京で目撃した朝鮮人解放のよろこびの姿で終っている。譲原さんが清瀬療養所に入院してから書いたものらしい。絶望的な病状におちいりながら、ああいう作品をかいて、ああいう歓喜の状況をむすびとした譲原さんの気持をつらぬいていたのは、解放へのますます激しい欲望であり、生きることへの要求であったことがしみじみとうけとれる。そして彼女のそれらの要求は全く正しいものだった。譲原さんを知っている人は多勢ではないかもしれない。けれども、彼女は、彼女を知っている人の心に決して消えることのない人の一人である、と感じている。
〔一九四九四月



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「民情通信」第11号
   1949(昭和24)年4月譲原昌子追悼号
入力柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル
このファイルは、インターネット図書館青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力校正制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


宮本 百合子 (みやもと ゆりこ) 以外のオススメ作品

譲原昌子さんについて (ゆずりはらまさこさんについて) のリンク元

「譲原昌子さんについて-宮本 百合子」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN