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貢院の春 - 原 勝郎 ( はら かつろう )

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 大正三年の春南海よりの歸へるさに支那内地を一瞥せばやと思ひ立ち、上海の淹留中には一夜泊りにて、杭州遊び、噂にのみは年久しく耳馴れし西湖の風光をまのあたり眺め、更に上海よりして陸路金陵に赴き、長江を遡り、漢口を經て北京に入りたりしが、車上に將た船中に、日々眼に遮るもの一として驚神の因たらざるはなく、外國旅行には多少の經驗ある己にも、支那は再遊したき國なりとの感を禁ずること能はざりき。つね/\は支那の文學こそ誇張のみを事とするものと信じ居たりしに、現地に臨みては、其評判程ならぬを覺り、其誇張の適例とも見做すべき詩文の中にも、忠實なる寫生を企てたるものゝ少からぬことを始めて知りぬ。
 予は今茲に予の經由せる地方、目撃せる事物の縷述を敢てせざるべし。彼の國人の著書既に充棟なるのみならず、予のとりし道は數多の邦人の往來せる所にして、之を説かむことは遼東の豕の譏りを免れざればなり。さりながら其中に就きて、今尚夢寐に忘れ難きもの二三あり。滬杭鐵道沿線光景の如き其一なり。滿目の桃林と菜花とは云はずもがな、運河の支脈は村落の中を縱横に貫きて野人の家を繞ぐり、隣家を訪ひ隣村に赴かむとする者、必ず小船に棹して柳暗花明の間を過ぐ。人若し欲すれば、上海よりして杭州に至るまで、此船中の歡を繼續することを得べし。地勢平坦なれど斷絶多くして、縱まに車馬を驅るに適さざること彼の※ニスに似て、而かも地域の廣狹は固より同日に論ずべきにあらず。而して彼は海、此は河なれど、ゴンドラ風流の一端、亦之を此處に娯むを得べし。然れども若し更に此地方の適切なる匹儔を歐羅巴に求めば、獨都伯林を流るゝスプレーの、其上流の風光最も之と相若けり。予のスプレー・ワルドに遊びしは、同地方の最好季節と稱せらるゝ昇天祭に先つこと二ヶ月許り以前、木の芽未だはり競はざる、春尚ほうら寒き頃なりき。されば予の見たる所を以て花の盛りのスプレーを推すこと難けれど、要するに彼は自然の閑寂を示すものにして、これは其豐富なる表現なり、蓋し地味肥瘠の差の致す所、若しそれ花下舟に棹すの雅興に至りては、兩者殆ど相同じ。上に天堂あり下に蘇杭ありとの言必しも欺かず。予今に至りて其舟遊を試みざりしを悔ゆ。
 忘れ難き第二は南京の貢院なり。抑も金陵には名蹟勝景甚多く、霞に包まれたる紫金山、莫愁湖の雨景、明の故宮は愚か滿人の屋敷跡にすら漸々と秀づる麥隴、いづれもとり/″\に面白かりしかど、深く感興を催せしこと貢院に如くものあらざりき。明代の貢院は太平賊の兵燹に滅びて、今存するは同治三年の修築に係かるものと云ふ。爾來半世紀にして科擧廢せられ、さしも大規模の房舍も無用の長物と化し了し、殊に革命亂以來は風雨に任かせて暴露せられたれば、彼の北京の貢院と同じく、全く其跡を留めざるに至るべきこと、恐くは十年を出でざるべしと思はれたり。五百の房屋、二百九十五號筒※然として跫音を聞かず。大門は久しく鎖されたるまゝなれば、側なる築土の壞れより入りて見るに、折から浚渫中の秦淮の泥土は、院内に運び棄てられて堆高く、道路のみにて積み足らずして、千字文の字號を附して標識とせる號筒の小門を破壞し、號舍内に投げ入れられたるもあり。更に跼蹐して二三の號舍を仔細に窺へば、年々の受驗者等が嘗て燈もせる油煙の痕、尚ほ歴然として壁間の凹處に認められ、幾多受驗の士子等の心血を濺ぎし跡忍ばれて哀れなり。當年號軍等の叱咤叫喚の聲亦尚ほ耳に在る心地す。されば若し此荒廢のみならましかば、鬼氣人を襲ひて、長く遊子の低徊をゆるすべきにあらざれど、滿地に舗ける菜の花の我が國にて見馴れたる黄色のもののみならで、紫の色さえたるが多くさき雜じり、幾千萬の青年が畢生の榮として通過を希ひし其龍門の邊り、砌間となく階前となく、皆此黄紫の花もて被はれたれば、此處にも春は忘れで訪づれにけると覺えて、懷古の念は爲めに一しほの深さを加へながら、而かも人をして徒らに惆悵自失に終らしむることなく、虚心考察の餘裕を得せしめたりき。歴階して明遠樓上に登臨すれば、二萬六百四十四の號舍鱗の如く眼下に列なる。屹然として相對し東西に聳立するは、所謂瞭樓なるものにして、これよりして瞰下せば、各※院の一半を監視し得べく、號舍に就ける士子等の妄動を禁じ得べきものなり。監視設備の甚しく嚴重なるは、人をして近世式の監獄聯想せしめ、狹矮なる號舍の櫛比は、曾て米國市俄古にて見物せし、ユニオンストック會社の家畜市場を思ひ起こさしむ。江南二省二萬餘の士子此一試場に會して才華を鬪はし、而かも登第僅に約百五十人のみと云ふに至りては、蓋しこれ文明の一大偉觀にして、歐米諸國と雖、之に比隆すべきものあらず。
 菜の花を路のしるべとして西すれば即文廟なり。文廟と貢院との前なる秦淮に沿へる廣道は、我國の淺草奧山又は新京極に譬ふべき遊觀の區にして、長髮賊の亂後は、曩きは報恩寺邊に集中せる百戯雜伎皆此處に薈まり、終歳遊人※の如くなりと云ふ。革命の亂後其繁華大に衰へ、予の金陵を過ぎりし頃は、また往事の面影止めざりしも、尚ほ雜閙他に優るものありき。程一※金陵賦に云へらく、「矧主司入※之日、多士赴試之期、走馬看榜之夜、鳴鹿吹笙之時、士女如雲、車馬四溢、譚者雖舌敝而賑焦、猶未能髣‐髴其萬一、」と。憾むらくは予の彼地に遊べるや、時に後くれて此盛況を見るに及ばざりしを。此よりして南利渉橋を渡れば、即これ有名なる秦淮の酒家なり。余懷が板橋雜記に、「逢秋風桂子之年、四方應試者畢集、結駟連騎選色徴歌、」と記るし、科に逢ふ歳の陰暦八月此歌舞の郷亦其餘惠を受け、「平康之盛事」を現じたりと云へり。而かもこれ「文戰之外篇」なれば、今詳に之を説くの要なし。窃かに惟ふに秦淮の盛は時ありて或は疇昔を凌駕すべきも、覺醒せる支那は永く科擧の制を復興することあらざるべし。人は曰く支那を衰へしめたるは科擧なりと。嗚呼科擧果してそれ罪すべきか。
 論者動もすれば云へり、科擧は國の殃なりと。清朝の大厦將に傾かむとせるや先づ科擧の制を廢して國を濟はむとせり。而して科擧廢せられて幾ならず國亦滅びたり。若し科擧を以て支那の衰へたる主因となさば、蓋し寃枉の最も甚しきものならむ。一千有餘年以前よりして科擧の制を行へる支那に、請託牽引の跡を絶たず、無能菲才の屡重用せられしを以て、直に科擧の效能の微小なるが爲めなりと論ずるは、これ試驗なる者の效果を過大視するより來る僻論なり。輓近文明諸國は率ね其文武官の任用に際し試驗を行へども、其登庸昇進必ず能否に比例し、全く怨嗟の聲を絶つに至れるもの、蓋し求め得難し。曷んぞ獨り科擧の制を行へる支那をのみ責むべけんや。科擧に採るべき點は、其原則に存し、官吏の任用に公平を以て第一義となし、最も自由競爭を尚べるに在り。歐米諸國に在りて所謂舊套時代に屬する十八世紀は論ずるを須ゐず、下りて十九世紀に入りても、其前半には試驗任用の制未だ行はれず。歐洲諸國中の先進にして、且つ最も民主的なりと稱せらるゝ英國に在りてすら、自由競爭を原則とせる文官試驗制度一般採用せらるゝに至りしは、一八七〇年以後のことにして、武官の任用に至りても久しく買官制を行ひ以て一八一年に至りたりき。當時買官制廢止論に反對せる者の説に曰く、試驗任用法なるものは、之によりて以て多少の公平を期し得べきも、公平なる美名の下に不世出の偉材をして屡櫪間間」]に老いしむる恐れあり、官職賣買の制固より其弊害なきにあらざるも、之により雋傑をして一躍適所に就くを得せしむるものなれば、遽に之を更めて試驗法を採るべきにあらずと。


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