赤旗事件の回顧 関連リンク

堺 利彦 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

赤旗事件の回顧 - 堺 利彦 ( さかい としひこ )

  • 読まずば二度死ね★内藤陳★冒険小説探偵小説SF小説開高健
  • (b041)「こちらノーム」IT小説? スパイ小説?企業小説?長谷川潤二
  • ◆第四次元の小説/幻想数学短編集 幻想小説/数学/物理学
  • 中古小説●○乱気流 小説・巨大経済新聞【上・下】高杉 良●○D
  • 現代怪奇小説集 上巻のみ 初版帯つき ホラー小説 幻想文学 即決
  • た竹本健治 腐蝕の惑星 SF小説 冒険小説 文庫 初版帯つき 即決
  • こころに効く小説の書き方 三田誠広 光文社 小説作法 切手可
  • ピェール・プール「小説E=MC2」SF小説
  • 小説家の小説家論 安岡章太郎 初版
  • ★ゲゲゲの女房・小説・武良布枝・水木しげる・連続テレビ小説
次のページ
 回顧すれば、すでにほとんど二〇年の昔である。何かそれについて書けと言われる。今さらながら自分老いを感ぜざるをえない。昔語りは気恥ずかしくもある。しかし、それも一興として、あるいは多少の参考として、読んでくれる人も無いではあるまい。しばらく昔の夢に遊んでみる。
 神田錦町の錦輝館(きんきかん)の二階の広間、正面の舞台には伊藤痴遊君が着席して、明智光秀本能寺襲撃か何かの講演をやってる。それに聞きほれたり、拍手したり、喝采(かっさい)したり、まぜかえしたり、あるいは身につまされた感激の掛け声を送ったりしている者が、婦人子供をまじえて五、六十人、それが当時の社会主義運動常連であった。
 この集会は、山口孤剣やまぐちこけん・義三)君の出獄歓迎会であった。当時の社会主義運動には「分派」の争いが激しく、憎悪、反感、罵詈(ばり)、嘲笑(ちょうしょう)、批難、攻撃が、ずいぶんきたならしく両派の間に交換されていた。しかし山口君は、その前年皆が大合同日刊平民新聞をやっていたころから、いくばくも立たないうちに入獄したので、この憎悪、反感の的からはずれていた。そこで彼の出獄を歓迎する集会には、両派の代表者らしい者がほとんどみな出席していた。時は明治一年六月二二日、わたしは紺がすりのひとえを着ていたことを覚えている。
 久しぶり両派の人々がこうした因縁で一堂に会したのだから、自然そこに一脈の和気も生じたわけだが、しかし一面にはやはり、どうしても、対抗の気分、にらみあいの気味があった。けれども会はだいたい面白く無事に終わって、散会が宣告された。皆がそろそろ立ちかけた。するとたちまち一群の青年の間に、赤い、大きな、旗がひるがえされた。彼らはその二つの旗を打ち振りつつ、例の○○歌か何か歌いながら、階段を降りて、玄関の方に出て行った。会衆一部はそれに続き、一部はあとに残っていた。玄関口の方がだいぶん騒がしいので、わたしも急いで降りてみると、赤旗連中はもう表の通りに出て、そこで何か警察官ともみあいをやっていた。わたしが表に飛び出した時には、一人巡査がだれかの持っている赤旗を無理やり取りあげようとしていた。多くの男女はそれを取られまいとして争っていた。わたしはすぐその間に飛び込んで、そんな乱暴なまねをしないでもいいだろうという調子で、いろいろ巡査をなだめたところ、それでは旗を巻いて行け、よろしいということになり、それでそこは一トかたついた。錦輝館の二階を見あげると、そこにはあとに残った人たちがみな縁側に出て来て見物していた。
 しかしわたしはすぐ別の方面に目を引かれた。少し離れた向こうの通りに、そこでもまた、赤旗中心に、一群の男女と二、三人の巡査が盛んにもみあっていた。わたしはまた飛んで行って、その巡査をなだめた。あちらでも旗を巻いて行くことに話ができたのだからと、ヤットのことで彼らを説きふせた。しかし騒ぎはそれで止まらなかった。巻いた旗が再び自然にほぐれた。巡査らはまたそれに飛びかかった。あちらにも、こちらにも、激しいもみあいが続いた。錦輝館の前通りから一ツ橋通りにかけて、まっ黒な人だかりになった。その中に二つの赤旗がおりおり高くひるがえされたり、すぐにまた引きずりおろされたりした。目の血ばしった青年、片そでのちぎれた若者、振りみだした髪を背になびかせて走っている少女などが、みな口々にワメキ叫んでいた。そして巡査らがいちいちそれを追いまわしたり、引っつかまえたり、ネジふせたりしていた。わたしは最後一ツ橋通りで、また巡査をいろいろになだめすかし、一つの赤旗を巻いて若い二人の婦人にあずけ、決して再びそれをほぐらかさぬこと、そしてまた決してそれを他の男に渡さず、おとなしく持って帰ることという堅い約束をして、それでヤット始末をつけた。その時、今一つの赤旗はすでに、それを取られまいと守っていた数人の青年と一緒に、巡査に引きずられて行ってしまった。
 それからわたしは神保町に歩いて行くうち、たしか山川均君と落ちあった。山川君もほぼわたしと同じような役まわりを勤めていたらしい。それで、引っ張られた者は仕方がないとして、山川君は守田有秋君が二六新報社で待ち合わせてるはずだから、そこに行くと言い、わたしはそのまま淀橋の宅に帰るつもりで、二人が別れようとしているところに、また巡査が二、三人やって来た。そしてわたしらをも警察に連れて行くという。それはおかしいじゃないかと言ってみたが、どうも仕方がない、やはり連れて行かれた。
 この日の外面に現われた事柄はただこれだけだった。イタズラの張本人は大杉君で、荒畑寒村君なども参謀一人だったろう。山川君も顧問くらいの地位に居たかしれない。赤旗というのは、二尺に三尺くらいの赤いカナキンを、短い太い竹ざおにゆわえつけたもので、一つには○○○(無政府)、一つには○○○○○(無政府共産)と白い布を切ってこしらえた五つの文字が張りつけられてあった。
 当時の「分派」を言えば、その前年(明治四〇年)いわゆる大合同日刊平民新聞が倒れてから以後、一方には片山潜西川二郎、田添鉄二らを代表とする議会政策派があり、一方には幸徳秋水山川大杉らを代表者とする直接行動派があった。そして前者東京社会新聞(一時は週刊)を出(い)だし、後者大阪で(森近運平の経営で)大阪平民新聞月刊、後に日本平新聞)を出だし、さらに前者は後分裂して西川東京社会新聞を現出した。
 しかしわたし自身の見方から言えば、当時の分派は三派の対立であった。


次のページ

堺 利彦 (さかい としひこ) 以外のオススメ作品

赤旗事件の回顧 (あかはたじけんのかいこ) のリンク元

「赤旗事件の回顧-堺 利彦」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN