踊る地平線 05 白夜幻想曲 - 谷 譲次 ( たに じょうじ )
踊る地平線
白夜幻想曲
秋の静物
旅は、この散文的な近代にのこされたただひとつの魔法だ。
ある日、まったく系統のちがった一社会(コミュニティ)に自分じしんを発見する。その異国的な、あまりに異国的な、ときとして all-at-sea の新環境を呼吸するにいそがしいうちに、調べ革のように自働的に周囲がうごいて、またまたほかの不思議な現象と驚異と感激と恍惚が私たちのまえにある。
たとえばこの朝、鉛いろの日光に整然とかがやいて大きくゆたかにひろがっている「北のアテネ」に、私達はぽっかりと眼をさました。
北のアテネ――でんまあく・コペンハアゲン。
そうすると、この一個の地理的概念に対して、私は猟犬のような莫然たる動物本能に駆られるのだ。旅行者はすべて、まるで認識生活をはじめたばかりの嬰児のように、あまりに多くの事物に同時に興味を持ちすぎるかも知れない。
What is IT ?
What is THIS ?
What is THAT ?
だから、露骨で無害な好奇心と、他愛のない期待とが一刻も私をじっとさせておかない。さっそく私は、憑(つ)きものでもしたような真空の状態でまず街上に立つ。町をあるく。どこまでも歩く。ついそこの角に何かがあるような気がしてならないからだ。この「ついそこの角に何かがあるような気」こそは、旅のもつ最大の魅力であり、その本質である。そして角をまがると、いつも正確に何かがある。小公園だ。浮浪者が一夜をあかしたベンチが、彼の寝具の古新聞とともに私を待っている。腰を下ろす。
この時、私の全身は海綿(スポンジ)だ。
なんという盛大なこの吸収慾! 何たる、by the way, 喜劇的にまで「カメラの用意は出来ました」こころもち!
なによりもさきに、私は町ぜんたいを受け入れて素描しなければならない――この場合ではコペンハアゲンという対象を。
第一に、ひくい雲の影だ。
それが一枚の炭素紙みたいに古い建物の並列を押しつけて、真夏だというのに、北のうす陽(び)は清水のようにうそ寒い。空の色をうつして、何というこれは暗いみどりの広場であろう。その、煤粉(ばいふん)がつもったように黒い木々が、ときどきレイルを軋(きし)ませて通り過ぎる電車のひびきに葉をそよがせて立っているまん中、物々しい甲冑(かっちゅう)を着たクリスチャン五世の騎馬像――一ばんには単に馬(ヘステン)と呼ばれている――が滑稽なほどの武威をもってこの1928の向側のビルディングの窓を白眼(にら)んで、まわりに雑然と、何らの組織も配置もなく切花の屋台店が出ている。空のいろを映して、まっくろに見えるほど濃い色彩の結塊だ。少年がひとり、過去の幽霊のような王様の銅像の下を小石を蹴って行く。ちいさな靴のさきにいきおいよく弾(はじ)かれた石は、ひえびえとした秋風のなかを銀貨のように光って飛ぶ。そして、二、三度バウンドしてから落ちたところにじっとして少年を待つ。すると彼は、からかわれたように憤然と勇躍して石のあとを追う。こうしてどこまでも捜し出して蹴ってゆく。ゴルフと同じ興味のように見える。いやこの北ようろっぱのひとりの少年にとって、それは目下路上の一信仰なのだ。なぜなら、一度石が乗馬像(ヘステン)の下の鉄柵内へ逃げこんだときなど、かれは歩道にしゃがんで白い手を伸ばしていろいろに骨を折ったあげく、ようよう石を摘(つま)み出して、非常な満足のうちにまた音高く蹴って行ったくらいだから――小石と一しょに吹き溜りの落葉が茶に銀に散乱する。あまり玄妙に石が光るので、よく見たら、その小石だと思ったのは壜(びん)の王冠栓だった。おつかいに行く途中に相違ない。少年はうちを出た時から一つの心願として道じゅう蹴りけりここまで来たものだろう。
旅は流動するセンチメンタリズムだ。つねにいささかの童心を伴う。
この私の童心に「コペンハアゲンの朝の広場(プラザ)を小石を蹴ってゆく丁抹(デンマーク)の少年」は何という歓迎すべき「時と処」の映像であったろう! じっさいその、青い服にかあき色の|半ずぼん(ニッカアス)をはいた、貧しい、けれど清々(すがすが)しい少年の姿は、私にとっていつも完全にコペンハアゲンを説明し代表し、コペンハアゲンそれ自身でさえあり得るのだ。
一たいこんな凡庸(カマンプレイス)な街上風景の片鱗ほど、力づよく旅人を打つものはあるまい。旅にいると誰でも詩人だからだ。あるいは、すくなくとも詩人に近いほど羸弱(るいじゃく)な感電体になっている。それは、周囲に活動する実社会とは直接何らの関係もない淋しさでもあろう。だから旅行者はみんな発作的に詩人であると私は主張する。
What is IT ?
私は見る。それぞれのEN・ROUTEに動きまわっている男と女と自動車。それら力の発散するおびただしい歴史と清新と自負と制度の香(か)〔C'est tout de me^me ?〕 しかし、この瞬間、彼らが何を思い、どんな人生をそのうじろに引きずり、底になにが沈澱していることだろう?――すると、色彩と系統をまったく異(こと)にした一有機体に、私はいま直面している探検意識を感ぜずにはいられない。男は足早に、女は食料品の籠をかかえて飾り窓を覗き、自動車は義務としてそれら善良な市民と、より善良な市民の神経とを絶えずおびやかしながら、すべてが楽しく平和に――コペンハーゲンはこんなにも秋の静物だった。その「|彼はすこしの土地を買った(コペンハアゲン)」市の、ここは最も古い区域の中央、「|王の新市場(コンゲンス・ニュウトルフ)」という名の一つの広場である。
What is THIS ?
コペンハアゲンは私たちのまわりにある。
ふたたび歴史と新鮮と自負と制度と――縮図英吉利(ミニアチェア・イングランド)のにおいがぷんぷん鼻をついて、北国らしく重々しい空気に農民的な女の頬の赤さ。
たとえばこの朝、鉛いろの日光に整然とかがやいて大きくゆたかにひろがっている「北のアテネ」に、私達はぽっかりと眼をさました。
北のアテネ――でんまあく・コペンハアゲン。
そうすると、この一個の地理的概念に対して、私は猟犬のような莫然たる動物本能に駆られるのだ。旅行者はすべて、まるで認識生活をはじめたばかりの嬰児のように、あまりに多くの事物に同時に興味を持ちすぎるかも知れない。
What is IT ?
What is THIS ?
What is THAT ?
だから、露骨で無害な好奇心と、他愛のない期待とが一刻も私をじっとさせておかない。さっそく私は、憑(つ)きものでもしたような真空の状態でまず街上に立つ。町をあるく。どこまでも歩く。ついそこの角に何かがあるような気がしてならないからだ。この「ついそこの角に何かがあるような気」こそは、旅のもつ最大の魅力であり、その本質である。そして角をまがると、いつも正確に何かがある。小公園だ。浮浪者が一夜をあかしたベンチが、彼の寝具の古新聞とともに私を待っている。腰を下ろす。
この時、私の全身は海綿(スポンジ)だ。
なんという盛大なこの吸収慾! 何たる、by the way, 喜劇的にまで「カメラの用意は出来ました」こころもち!
なによりもさきに、私は町ぜんたいを受け入れて素描しなければならない――この場合ではコペンハアゲンという対象を。
第一に、ひくい雲の影だ。
それが一枚の炭素紙みたいに古い建物の並列を押しつけて、真夏だというのに、北のうす陽(び)は清水のようにうそ寒い。空の色をうつして、何というこれは暗いみどりの広場であろう。その、煤粉(ばいふん)がつもったように黒い木々が、ときどきレイルを軋(きし)ませて通り過ぎる電車のひびきに葉をそよがせて立っているまん中、物々しい甲冑(かっちゅう)を着たクリスチャン五世の騎馬像――一ばんには単に馬(ヘステン)と呼ばれている――が滑稽なほどの武威をもってこの1928の向側のビルディングの窓を白眼(にら)んで、まわりに雑然と、何らの組織も配置もなく切花の屋台店が出ている。空のいろを映して、まっくろに見えるほど濃い色彩の結塊だ。少年がひとり、過去の幽霊のような王様の銅像の下を小石を蹴って行く。ちいさな靴のさきにいきおいよく弾(はじ)かれた石は、ひえびえとした秋風のなかを銀貨のように光って飛ぶ。そして、二、三度バウンドしてから落ちたところにじっとして少年を待つ。すると彼は、からかわれたように憤然と勇躍して石のあとを追う。こうしてどこまでも捜し出して蹴ってゆく。ゴルフと同じ興味のように見える。いやこの北ようろっぱのひとりの少年にとって、それは目下路上の一信仰なのだ。なぜなら、一度石が乗馬像(ヘステン)の下の鉄柵内へ逃げこんだときなど、かれは歩道にしゃがんで白い手を伸ばしていろいろに骨を折ったあげく、ようよう石を摘(つま)み出して、非常な満足のうちにまた音高く蹴って行ったくらいだから――小石と一しょに吹き溜りの落葉が茶に銀に散乱する。あまり玄妙に石が光るので、よく見たら、その小石だと思ったのは壜(びん)の王冠栓だった。おつかいに行く途中に相違ない。少年はうちを出た時から一つの心願として道じゅう蹴りけりここまで来たものだろう。
旅は流動するセンチメンタリズムだ。つねにいささかの童心を伴う。
この私の童心に「コペンハアゲンの朝の広場(プラザ)を小石を蹴ってゆく丁抹(デンマーク)の少年」は何という歓迎すべき「時と処」の映像であったろう! じっさいその、青い服にかあき色の|半ずぼん(ニッカアス)をはいた、貧しい、けれど清々(すがすが)しい少年の姿は、私にとっていつも完全にコペンハアゲンを説明し代表し、コペンハアゲンそれ自身でさえあり得るのだ。
一たいこんな凡庸(カマンプレイス)な街上風景の片鱗ほど、力づよく旅人を打つものはあるまい。旅にいると誰でも詩人だからだ。あるいは、すくなくとも詩人に近いほど羸弱(るいじゃく)な感電体になっている。それは、周囲に活動する実社会とは直接何らの関係もない淋しさでもあろう。だから旅行者はみんな発作的に詩人であると私は主張する。
What is IT ?
私は見る。それぞれのEN・ROUTEに動きまわっている男と女と自動車。それら力の発散するおびただしい歴史と清新と自負と制度の香(か)〔C'est tout de me^me ?〕 しかし、この瞬間、彼らが何を思い、どんな人生をそのうじろに引きずり、底になにが沈澱していることだろう?――すると、色彩と系統をまったく異(こと)にした一有機体に、私はいま直面している探検意識を感ぜずにはいられない。男は足早に、女は食料品の籠をかかえて飾り窓を覗き、自動車は義務としてそれら善良な市民と、より善良な市民の神経とを絶えずおびやかしながら、すべてが楽しく平和に――コペンハーゲンはこんなにも秋の静物だった。その「|彼はすこしの土地を買った(コペンハアゲン)」市の、ここは最も古い区域の中央、「|王の新市場(コンゲンス・ニュウトルフ)」という名の一つの広場である。
What is THIS ?
コペンハアゲンは私たちのまわりにある。
ふたたび歴史と新鮮と自負と制度と――縮図英吉利(ミニアチェア・イングランド)のにおいがぷんぷん鼻をついて、北国らしく重々しい空気に農民的な女の頬の赤さ。
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