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踊る地平線 11 白い謝肉祭 - 谷 譲次 ( たに じょうじ )

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踊る地平線 白い謝肉祭      1  私が、その希臘(ギリシャ)人の友達Roger & Gallet と呼び出したのは、彼がこの巴里(パリー)化粧品会社製造にかかる煉香油(ねりこうゆ)を愛用して、始終百貨店婦人肌着部のようなにおいを発散させながら、サン・モリッツのホテルの廊下を歩いていたことに起因する。  だから私は、私のいわゆるロジェル・エ・ギャレ氏の本名は知らないのだが、それはすこしもこの話の現実価値を低めはしないと信ずる。なぜなら、私は、彼の名前こそ知らないが、彼がオスロかどこか北方首府仕事地位を持っている希臘(ギリシャ)の若い海軍武官であることも、いつも小さな秤(はかり)を携帯していて、それで注意深くフィリップ・モウリスの上等の刻煙草(きざみたばこ)を計って、自分で混ぜて、晩餐後の張出廊(ヴェランダ)で零下七度の外気へゆっくりと蒼い煙を吹き出す習慣のあることも、例の大陸朝飯(あさめし)――珈琲(コーヒー)・巻麺麭(まきパン)・人造蜂蜜・インクの香(におい)の濃い新聞女中微笑とこれだけから構成されてる――を極度に排斥して、BEEFEXと焼林檎(やきりんご)と純白の食卓布に固執していることも、趣味として部屋では真紅のガウンを着ていることも、いまはバルビウスの“Thus and Thus”を読んでいることも、そして、実を言うと、それよりも巴里(パリー)版ルイ・キャヴォの絵入好色本のほうが好きらしいことも、すべての犬を怖がって狆(ちん)に対しても虚勢を張ることも、英吉利(イギリス)の総選挙予想して各政党の詳細な得票表を作ってることも、その一々に関して食後から就寝までの時間を消すに足る綿密な説明を用意してることも、それから、これは前に言ったが、半東洋風の黒い頭髪をロジェル・エ・ギャレ会社製品水浴用|護謨(ごむ)帽子のように装飾して――で、私は彼にひそかにこの綽名(あだな)を与えたわけだが、――聖(サン)モリッツ中の異性嗅覚を陶酔させようとTRYしていたことも、要するに、ロジェル・エ・ギャレという存在は、或いは彼自身の饒舌により、または、私の作家観察眼で、ほとんど全部、私は、摘(つま)み上げて、蒐集して、分類して、ちゃんと整理が出来上っているのである。
 では、何だってここに希臘(ギリシャ)の一青武官をこんなに問題にしているのか――と言うと、理由簡単だ。この物語は、かれロジェル&ギャレを主人公とし、私を傍観者とする、瑞西(スイツル)の山中サン・モリッツの|冬の盛り場(ウィンタ・レゾルト)における、一近代悲歌劇の筋書(シノプセス)だからである。
 私は、主役希臘(ギリシャ)人に関して既に多くを語った。
 が、話の性質を決定する必要上、忘れないうちに、ここに前もってひとつ、断って置かなければならないことがあるのだ。
 それは、このロジェル・エ・ギャレは、ウィンタア・スポウツを自分で享楽すべく聖(サン)モリッツへ来ているのでもなければ、そうかと言って、ただ騒ぎを見物するために滞在しているのでもないという不思議な一事だ。じゃあ何しに?――となると、これがどうもよほど変ってるんだが、彼自身そっと私に告白したんだから間違いはあるまい。ロジェル・エ・ギャレは、実に漠然と結婚の相手を探しあぐんで、とうとうこの瑞西(スイツル)の山奥の冬季社交植民地まで辿り登って来たというのである。
 とにかく、古いものと新しいものが妙に交錯して、そこに方向を引き歪められた文学天才の片鱗が潜んでると言ったような、彼は確かに、誇張された感傷癖の希臘(ギリシャ)人らしい希臘人だった。
 と、紹介はこれでたくさんだ。
 ところで、場面は、瑞西(スイス)サン・モリッツである。
 ST.MORITZ――眼をつぶって心描して下さい。雪の山と、雪の野と、雪の谷と、雪の空と、雪の町と、雪の女とを。そしてこの、切り離された小世界発生する事件醜聞華美と笑声と壮麗と雑音とを。
 海抜六千九十|呎(フィート)。エンガディン、テュシスから Coire の経由、またはランドカルト・ダヴォスから汽車伊太利(イタリー)のテラノから這入ってポントレシナを過ぎる線が、すこし迂回になるけれど一番接続がいい。私達はこれを採った。
 サン・モリッツは、豪奢第一(ファッショナブル)の冬の瑞西(スイツル)のなかでも最上級ブルジョア向きと見なされている土地である。そのため、大概の人が怖毛(おじけ)をふるって、近処の村落に宿をとる。そして、そこからサン・モリッツへ通うんだが、このサン・モリッツの附帯地域中異色のあるのが、モリッツから一停車場|下(くだ)った、五千六百五十六|呎(フィート)の高さに、谷を挟んで巣をくっているCELERINA村だ。幾分経済的でもあり、第一気安だろうと思って、私たちも最初はこのツェレリナへ行ったのだったが、同じ考えで人が殺到して来るのと、ツェレリナ自身が近くにサン・モリッツを控えている利益意識して、抜け目なくその好立場効用化してる関係上、事実は、かえって中心のサン・モリッツのほうが遥かにぼらないことを発見したので、二、三日してあわててそっちへ移ったのだった。そして、これも、同様の経験から四、五日前にツェレリナを逃げ出して来た許(ばか)りだという、かのロジェル・エ・ギャレに会ったのである。
 しかし、ツェレリナは、あの有名な聖(サン)モリッツのCRESTA・RUNの競技終点に当っているし、スケイトもスキイも相当の設備が調っていて、わざわざモリッツへ出なくても、そこだけで独自の、金色の酒のような暖かい陽の照る、愉快な小地点(スポット)だった。
 サン・モリッツは、大きく二つの部分に別れている。DORFとBADだ。つい先年までは、斜面の上のドルフでなければサン・モリッツでないように思われていて、下のバッドのホテルなんか多くの場合閉め切りだったものだそうだが、それが、この頃ではすっかり変って、各種のスポウツは勿論、名物競馬などは、どうかするとバッドのほうが便利な程になっている。私達の選んだのは、ちょうどその真ん中へんの Hotel Beau Riverge だった。
 冬の聖(サン)モリッツは、両大陸流行の大行列だ。
 倫敦(ロンドン)と巴里(パリー)と紐育(ニューヨーク)の精粋が、ウィンタア・スポウツに名を藉(か)りて一時ここに集中される。大小の名を持つ人々・名をもたない人々・新聞写真によって公衆に顔を知られている紳士淑女・知られていない紳士淑女女優競馬騎士人気作家・不人気BUT遺産相続で困らない作家離婚常習犯人・商業貴族生産キャプテン達・彼らの家族中のJAZZ・BOYS・反逆年齢に達した娘たちの大集団独逸(ドイツ)から出稼ぎに来てる首の赤い給仕人の群・舌と動作の滑(なめら)かな大詐欺師の一隊――現世紀に逆巻く唯物欧羅巴(ヨーロッパ)の男女人生探検者が、おのおの智能と衣裳と役割を持ち寄って、この一冬のMORITZに雪の舞踏踊り抜く――それは、夜を日に次(つ)ぐ白い謝肉祭(カアニバル)なのだ。
 したがって、物価出鱈目な点でも、季節のサン・モリッツほどのところはあるまい。何しろ、高ければ高いほど金の棄(す)て甲斐(がい)があるという連中ばかり来るところなんだから、その法外さが随一なのは無理もないとして、近い例が、倫敦(ロンドン)で一|打(ダース)入り一箱十|片(ペンス)半のXマス爆烈菓子が、ここでは一個につき二|法(フラン)――瑞西(スイツル)の法(フラン)だから、約一|志(シル)六|片(ペンス)――もすると、眼を丸くして話した善良な老婦人があったが、これも考えてみると、妻の誕生日|贈物(プレゼント)に飛行機飛行士をつけてやったり、リンクでちょっと相識になった人が帰ると聞いて、こっそり買い入(いれ)た最新型自動車出発の朝ホテルの玄関廻して置いて「|驚かし(サプライズ)」たりする「|巨大な人々(ビッグ・ピイプル)」にとっては、こうであるほうがほんとなのだろう。僕らの知ってる一人中年過ぎた亜米利加(アメリカ)の女は、善美を尽した一大汽船移動邸宅にして、それに船長以下数百の乗組員と、身の廻り召使い達と、男女の客と、食糧日常品と管絃楽を満載してしじゅう世界中を浮かび歩いて遊んでると言った。彼女の船にはプウル・舞踏場・玉突き室・大夜会場・テニスコウト・幾つかの自動車庫・それに農園牧場まであるという評判だった。冷凍室(アイス・チャンバア)なるものを信用しない彼女は、こうして船中に自給自足設備をととのえているのだとのことだった。その船は、いまゼノアに停泊していて、彼女は、船長無線電信技師と何人かの愛人執事女中上陸団を統率して、モリッツ・ドルフの Suvretta Haus に可笑しいほど大袈裟(おおげさ)な弗(ドル)の陣営を構えていた。
 まあ、こういうのは僕らに直接関係がすくないにしても、言わば、こんなのが冬の聖(サン)モリッツを作る中枢系統なんだから、純粋にスポウツそのもののためにやって来る人は比較的少数だと断定していい。氷上ホッケイとクレスタ競争がモリッツの呼び物なんだが、それだってこれを見に集まるものも全体の三分の一で、他はことごとく、ただ何てことなしに、「今年の冬はサン・モリッツで|大きな日(ビッグ・デイス)を持ちました」と威張るために出かけてくるらしい。
 勿論、そこには、一年中の給料貯金したので着物を買って来てうまく名流令嬢になり澄ましているマニキュア・ガアルや、故国の自宅へ帰ると暗い寒いアパアトメントの階段を頂上まで這いあがらなければならない、自選オックスフォウド訛(なま)りの青年紳士やが、それぞれ「大きな把捉(キャッチ)」を望んで、このSETに混じって活躍していることは言うまでもあるまい。聖(サン)モリッツは贋(にせ)と真物(ほんもの)の振酒器(ミックサア)なのだ。みんながお互(たがい)に make-belief し合って、相手の夢を尊重する約束を実行している催眠状想――それは、山と湖と毛糸のOUTFITによって完全に孤立させられている別天地なのだ。おまけに、雪はすべてを平等化する――何という、adventurer と adventuress に都合のいい背景であろう! そして、そこを占めるものは、男も女も同じ服装傾斜を転がる笑い声であり、濡れて上気した女の頬であり、皮革(かわ)類と女の汗の乾く臭いであり、誰でもとの交友と・ダンスと・カクテルパアティと・スキイの遠出と・夜ふけのホテルとであり――だから、男振り自慢の巴里(パリー)の床屋は、外見を急造して大ホテルへ乗り込み、「美術家」と自己登録していることであろうし、港の運送屋は貿易商と、ピアノ運搬人は音楽批評家と、安芝居道具方は舞台装置家と、帽子の売子嬢は「頭部専門家(スペシャリスト)」と、自費出版未亡人詩人と、街路掃除夫は社会改良家と、踊り子は「舞踊家」と、郵便脚夫は「官吏」と、機関手は運輸業と、給仕会社員と、売笑婦は「独立生計(インデペンデント・ミインズ)」と、銘々その花文字のようなホテルの台帳の署名と一しょに、こういう触れこみで押し廻っているかも知れないのだ、The White Carnival !--St. Moritz !

     2

真逆(まさか)あなたは、この一つの修辞方程式盲目であっていいとは仰言(おっしゃ)いますまいね。というのは、聖(サン)モリッツの雪は、近代恋愛の諸相と同じだという事実なんですが――如何(いかが)ですか、私に、それを証明する光栄を許して下さいますか。」
 ロジェル・エ・ギャレは、こんなようなものの言い方が大好きなのだ。
 その時、私達は、正面のタレスに揺椅子(ゆれいす)を持ち出して、ちょうど凍りついた夕陽の周囲を煙草のけむりで色どっていた。
 私たちの前には、枕のような雪の丘が、ゆるい角度をもって谷へ下りていた。高山系の植木が、隊列を作って黒い幹を露わしていた。


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