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身投げ救助業 - 菊池 寛 ( きくち かん )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
  • 600円~ 岩波文庫【青年】森鴎外 (プチソフト1)
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・山椒大夫  他四篇」(旺文社文庫)◇◆
  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・うたかたの記  他三篇」(岩波文庫)◇◆
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 8』森鴎外 正岡子規 夏目漱石1円
  • 森鴎外 高瀬舟・高瀬舟縁起・寒山捨得・寒山捨得縁起 CD 未開封
  • 森鴎外 舞姫 雁 井上靖 訳編 明治の古典8 初版
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 ものの本によると、京都にも昔から自殺者はかなり多かった。  都はいつの時代でも田舎よりも生存競争が烈しい。生活に堪えきれぬ不幸が襲ってくると、思いきって死ぬ者が多かった。洛中洛外に激しい飢饉(ききん)などがあって、親兄弟に離れ、可愛い妻子を失うた者は世をはかなんで自殺した。除目(じもく)にもれた腹立ちまぎれや、義理に迫っての死や、恋のかなわぬ絶望からの死、数えてみれば際限がない。まして徳川時代には相対死などいうて、一時に二人ずつ死ぬことさえあった。
 自殺をするに最も簡便な方法は、まず身を投げることであるらしい。これは統計学者自殺者表などを見ないでも、少し自殺ということを真面目に考えた者には気のつくことである。ところが京都にはよい身投げ場所がなかった。むろん鴨川では死ねない。深いところでも三尺ぐらいしかない。だからおしゅん伝兵衛鳥辺山(とりべやま)で死んでいる。たいていは縊(くび)れて死ぬ汽車に轢かれるなどということもむろんなかった。
 しかしどうしても身を投げたい者は、清水の舞台から身を投げた。「清水の舞台から飛んだ気で」という文句があるのだから、この事実に誤りはない。しかし、下の谷間の岩に当って砕けている死体を見たり、またその噂をきくと、模倣好きな人間も二の足を踏む。どうしても水死をしたいものは、お半長右衛門のように桂川まで辿って行くか、逢坂山(おうさかやま)を越え琵琶湖へ出るか、嵯峨広沢の池へ行くよりほかに仕方がなかった。しかし死ぬ前のしばらくを、十分に享楽しようという心中者などには、この長い道程もあまり苦にはならなかっただろうが、一時も早く世の中を逃れたい人たちには、二里も三里歩く余裕はなかった。それでたいていは首を括(くく)った。聖護院の森だとか、糺(ただす)の森などには、椎の実を拾う子供が、宙にぶらさがっている死体を見て、驚くことが多かった。
 それでも、京の人間たくさん自殺をしてきた。すべての自由を奪われたものにも、自殺自由だけは残されている。牢屋にいる人間でも自殺だけはできる。両手両足を縛られていても、極度の克己をもって息をしないことによって、自殺だけはできる。
 ともかく、京都によき身投げ場所のなかったことは事実である。しかし人々はこの不便を忍んで自殺をしてきたのである。適当身投げ場所のないために、自殺者比例江戸大阪などに比べて小であったとは思われない。
 明治になって、槇村京都府知事疏水(そすい)工事を起して、琵琶湖の水を京に引いてきた。この工事京都市民によき水運備え、よき水道備えると共に、またよき身投げ場所を与えることであった。
 疏水は幅十間ぐらいではあるが、自殺場所としてはかなりよいところである。どんな人でも、深い海の底などでふわふわして、魚などにつつかれている自分死体のことを考えてみると、あまりいい心持はしない。たとえ死んでも、適当時間に見つけ出されて、葬(とむらい)をしてもらいたい心がある。それには疏水は絶好な場所である。蹴上(けあげ)から二条を通って鴨川の縁(へり)を伝い、伏見流れ落ちるのであるが、どこでも一丈ぐらい深さがあり、水が奇麗である。それに両岸に柳が植えられて、夜は蒼いガスの光が煙(けむ)っている。先斗町(ぽんとちょう)あたりの絃歌の声が、鴨川を渡ってきこえてくる。後には東山静かに横たわっている。雨の降った晩などは両岸の青や紅の灯が水に映る。自殺者の心に、この美しい夜の堀割景色が一種の romance をひき起して、死ぬのがあまり恐ろしいと思われぬようになり、ふらふらと飛び込んでしまうことが多かった。
 しかし、身体重さ自分で引き受け水面飛び降り刹那には、どんなに覚悟をした自殺者でも悲鳴を挙げる。これは本能的に生を慕い死を恐れるうめきである。しかしもうどうすることもできない。水煙(みずけむり)を立てて沈んでから皆一度浮き上る。その時には助かろうとする本能の心よりほか何もない。手当り次第に水を掴(つか)む、水を打つ、あえぐ、うめく、もがく。そのうちに弱って意識を失って死んでいくが、もし、この時救助者が縄でも投げ込むと、たいていはそれを掴む。これを掴む時には、投身する前の覚悟も、助けられた後の後悔も心には浮ばない。ただ生きようとする強き本能があるだけである。自殺者が救助を求めたり、縄を掴んだりする矛盾を笑うてはいけない。


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