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農民文学の問題 - 黒島 伝治 ( くろしま でんじ )

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黒島傳治  農民文学に対する、プロレタリア文学運動の陣営内における関心は、最近、次第にたかまってきている。日本プロレタリア作家同盟では、農民文学に対する特殊な研究会が持たれた。ハリコフでの国際革命作家拡大プレナムの決議日本プロレタリア文学運動が、シッカリ大衆の中に根を張り、国際的な連関において前進して行くために、もっとも重要な、さしあたって第一番に議題として我々が討議し、具体化しなければならない幾多の貴重な提案をなしている。
 プロレタリア文学運動は、ゼイタクな菓子を食う少数階級でなく、一切のパンにも事欠いて飢え、かつ、闘争している労働者農民大衆の中にシッカリとした基礎を置き、しかも国境にも、海にも山にも妨げられず、国際的に結びつき、発展して行く。――そのハリコフ会議日本プロレタリア文学運動についての決議は、農民文学に関して「国内に大きな農民層を持つ日本にあっては、農民文学に対するプロレタリアート影響を深化する運動が一層注意される必要がある。日本プロレタリア作家同盟内部農民文学研究会が特設されなければならぬ。しかし、いうまでもなく、それが、あくまでもプロレタリアートヘゲモニーの下に置かれなければならぬことはもちろんである。」といっている。
 農民生活を題材として取扱う場合プロレタリア文学は、どういう態度立場を以て望むか、そして、どういう効果を所期しなければならないか、ということは、大体原則的には、理解されていた。それは、「土の芸術」とか「農村文化」とか、農村都市対立させて、農民は、農民独自の力によって解放され得るが如く考えている無政府主義的な単農主義者等の立場とは、最初の出発からその方向を異にしていた。農民生活を題材としても、その文学のねらう、主要なポイントは、プロレタリア文学が所期するのと同じ方向に一致させようと、常に努力されて来ている。
 しかし農民と、工場プロレタリアとは、その所属する階級がちがっている。そしてプロレタリア文学が「前衛立場に立って物を覗(み)、かつ描く」という根本的な方針が、既に、一年前に確立され、質的飛躍第一歩がふみだされているとき、工場労働者とはちがった特殊な生活条件地理環境習慣保守性等を持った農民、そして、それらのいろいろな条件支配される農民欲求感情や、感覚などを、プロレタリアート文学から、どういう風に取扱い、表現しなければならないか? それについては、まだ理論的にも実せん的にも、十分な、明確な解決がなされていない。
 日本近代文学は、ブルジョア文学も、そして、プロレタリア文学農民生活に対する関心の持ち方が足りなかった。農民をママ子扱いにしていた。
 なる程、農民生活から取材した作品小作人地主との対立を描いた作品農村における農民組合活動を取扱った作品等は、プロレタリア文学には幾つかある。立野信之細野二郎中野重治小林多喜二等によって幾つかは生産されている。そこには、あるいはこく明にはつらつと、あるいはいみじくも現実的に、あるいは、みがかれた芸術性を以て単純素ぼくに、あるいは、大衆性と広さとをねらって農民生活が操拡げられている。中野重治の「鉄の話その一」には、Xの掲げるスローガン具体的な主要なテーマとしてたくみに、えん曲に生かしている。こういう問題は、プロレタリア文学において、農民生活を扱っても、もちろん、どんな困難をおかしても取りあげなければならないものである。小林多喜二の「不在地主」には、労働者農民の提携のほう芽が、文学的に取扱われている。その点においては、これは最初の試みがなされているということが出来る平林たい子金子洋文にも、それ/″\信州秋田農民を描いて、は握のたしかさを示したものがある。死んだ山本勝治には、階級闘争の中に生長した青年らしい新しさが幾分か作品の中に生かされようとしていた。
 しかし、これらの作家によって、現在までに生産された文学は、単に量のみを問題としても、我国人口の大部分を占める巨大な農民層に比して、決して多すぎるどころではない。少ない。もちろん一見灰色で単純に見えて、その実、複雑で多様な、なか/\腹の底を割って見せない農民生活を十分、委曲をつくして表現し得ているとはいえない。
 ブルジョア文学になると、もっと農民を、ママ子扱いにしている。島崎藤村の「千曲川のスケッチその他に、部分的にちょい/\現れているのと、長塚節の、農民文学論じる時にはだれにでも必ずひっぱりだされる唯一の「土」以外には、ほとんど見つからない。たまたま扱われているかと思うと、真山青果の「南小泉村」のように不潔で獣のような農民が軽薄な侮べつ的態度で、はなをひっかけられている。その後のブルジョア文学は、一二の作品農民を題材としていることがあっても、ほとんど大部分が主として、小ブルジョア層や、インテリゲンチャチヤホヤして、農民をば、一寸、横目でにらんだだけで素通りしてしまった。それはブルジョア文学としては当然であるが、彼等が、一杯の麦飯にも困難する農民、そして彼等が常食とする米を作りだしている農民と、彼等の文学が何等の関係をも持たなかった。そして、彼等の文学は、手の白い労働しない少数の者にさゝげられた文学であったことを、その小ブルジョア作家態度合わせて、はっきりと物語る以外の何ものでもない。題材として、そのものを取りあげないということは、そのものに対する無関心を意味する。
 大正十三年か十四年頃であったと思う。吉江喬松、中村星湖加藤武雄、犬田|卯(しげる)等がそれまでの都市文学に反抗していわゆる農民文学を標ぼうした農民文学会をおこした。月々例会を持った。会員恐らく三十人もいたであろう。しかし、そこから農民を扱って文学的に実を結んだのは佐左木俊郎一人きりであった。佐左木俊郎はいわゆる農民作家らしい農民作家である。農民生活を知っている。極め農民的な自然な姿において表現する。が、あれだけ農民農村を知りながら、かくまで農民非人間的な生活に突き落され、さまざまな悲劇喜劇が展開する、そのよってくる真の根拠がどこにあるかを突きつめて究明し、摘発することが出来ないのは、反都市文学のらち内から少しも出なかった農民文学会の系統を引いた作家立場原因していると思う。現在では、作家個人として労働者農民に関するどういう委しい知識経験を持っていようとも、階級的な組織の中で訓練されなければ、生きた姿において正しく、それを認識表現することが出来なくなり大衆現実から取残されて変な方向にまよいこんでしまう。ということを、佐左木俊郎を見る時、痛切に感じるのである。
 ――「成程今までの我々の農民文学は、日本農業の特殊性をさながらの姿で写しとった。それは、農林省の『本邦農業要覧』にあらわれた数字よりも、もっと正確に日本農民生活描きだしていた。けれども、それだけに止っていた。」とナップ三月号で池田寿夫はいっている。確に、それはその通り、それだけに止っていたのである。


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