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近世快人伝 - 夢野 久作 ( ゆめの きゅうさく )

  • 日本古典文学大系「近世随想集」 ◇岩波
  • ◇茶道【近世の茶碗11】黒田和哉 茶陶 陶磁器 朝日焼 瀬戸焼
  • 近世小説史 上方編★相磯貞三
  • 送料無料 昭和29年 相撲 増刊 近世横綱大観 栃木山~吉葉山
  • 絶版★近世文芸思潮攷 中村幸彦 岩波書店★送料80円★即決
  • 近世名家 『小品文鈔』 土屋 榮編 明治15年 書肆/小林発兌
  • 昭和7年 『新制 最近世界地図』 (株)三省堂編/発行
  • ●近世文学論攷 研究と資料 松尾靖秋編 定価18000円
  • 近世奥羽農業経営組織論
  • ◎歌川 重清 [ 近世英雄鏡 ] 武田耕雲斎・正生
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     まえがき  筆者の記憶に残っている変った人物を挙げよ……という当代一流の尖端雑誌新青年子の註文である。もちろん新青年の事だから、郵便切手に残るような英傑の立志談でもあるまいし、神経衰弱式な忠臣孝子の列伝でもあるまいと思って、なるべく若い人達のお手本になりそうにない、処世方針の参考になんか絶対になりっこない奇人快人の露店を披(ひら)く事にした。
 とはいえ、何しろ相手が了簡(りょうけん)のわからない奇人快人揃いの事だからウッカリした事を発表したら何をされるかわからない。新青年子もコッチがなぐられるような事は書かないでくれという但書(ただしがき)を附けたものであるが、これは但書を附ける方が無理だ。奇行が相手の天性なら、それを書きたいのがこっちの生れ付きだから是非もない。サイドカー広告球(アドバルン)を衝突させたがる人間の多い世の中である。お互いに運の尽きと諦めるさ。



   頭山満


 ナアーンダ。奇人快人というから、どんな珍物が出て来るかと思ったら頭山(とうやま)先生が出て来た。第一あんまり有名過ぎるじゃないか。あんなのを奇人快人の店に並べる手はない。明治史の裡面に蟠踞(ばんきょ)する浪人界の巨頭じゃないか。維新後の政界の力石(ちからいし)じゃないか。歴代内閣総理大臣で、この先生にジロリと睨(にら)まれて縮み上らなかった者は一人も居ない偉人じゃないか……とか何とか文句を云う者が大多数であろう。
 ……怪(け)しからん。頭山先生雑誌の晒(さら)し物にするとは不埒(ふらち)な奴じゃ。頭山先生現代聖人昭和維新の原動力だ。そんな無礼な奴は絞め上げるがヨカ……とか何とか腕まくりをして来る黒切符組もないとは限らないが、まあまあ待ったり。話せばわかる。
 筆者のお眼にかかった頭山先生は、御自身で、御自身を現代聖人とも、昭和維新の原動力とも、何とも思って御座らぬ。「俺は若い時分にチットばかり、漢学を習うたダケで、世間の奴のように、骨を折って修養なぞした事はない。一向ツマラヌ芸無し猿じゃ」と自分でも云うて御座る。それでいて西郷隆盛の所謂(いわゆる)、生命(いのち)も要らず、名も要らず、金も官位も要らぬ九州浪人や、好漢安永氏の所謂「頭山先生命令とあれば火の柱にでも登る」というニトロ・グリセリン性の青年連に尻を押されて、新興日本の尻を押し通して御座った……しかも一寸一刻も、寝ても醒めても押し外した事はなかった。日本民族をして日清、日露の国難を押し通させて、今は又、昭和維新の熱病にかかりかけている日本を、そのまんま、一九三五年の非常時の火の雨の中に押し出そうとして御座る。……ように見えるが、その実、御自身ではドウ思って御座るかわからない。ただ相も変らぬ芸無し猿、天才的な平凡児として持って生まれた天性を、あたり憚(はばか)らず発揮しつくしながら悠々たる好々爺(こうこうや)として、今日(こんにち)まで生き残って御座る。老幼賢愚の隔意なく胸襟(きょうきん)を開いて平々凡々に茶を啜(すす)り、談笑して御座る。そこが筆者の眼に古今無双奇人兼、快人と見えたのだから仕方がない。世間の所謂快人傑士が、その足下(あしもと)にも寄り付けない奇行快動ぶりに、測り知られぬ平々凡々な先生の、人間性の偉大さを感じて、この八十幾歳の好々爺が心から好きになってしまったのだから致し方がない。そうして是非とも現代ハイカラ諸君に、このお爺さん紹介して、諸君神経衰弱を一挙に吹飛ばしてみたくなったのだから止むを得ない。
 元来、頭山先生が、この新青年に、きょうが日まで顔を出さないのが間違っている。それも頭山先生時代遅れのせいではない。却(かえ)って新青年誌の方が頭山老人思想よりも立ち遅れている事を筆者は確信しているのだから是非もない。ここに先生の許しを得て、逸話を御披露する。
 頭山満(とうやまみつる)翁の逸話といったら恐らく、浜の真砂(まさご)の数限りもあるまい。頭山満翁はさながらに逸話作りに生まれて来たようなもので、その奇行快動ぶりといったら天下周知の事実と云っても憚らない位である。
 しかし仔細に点検して来ると、その鬼神も端倪(たんげい)すべからざる痛快的逸話の中にも牢乎(ろうこ)として動かすべからざる翁一流の信念、天性の一貫しているところを明白に認める事が出来る
 すなわち翁の行動には智力を用いた形跡がない。何でも行きなりバッタリの無造作無鉄砲を以(もっ)て押通して行くところに、翁の真面目(しんめんもく)が溢るるばかりに流露している。そうしてその真面目が、日常茶飯事に対しては意表に出づる逸話となり、国事に触れては鉄壁を砕く狂瀾怒濤となって行くもののようである。
 蛇(じゃ)は寸(すん)にして蛇(へび)を呑む。翁が十歳ばかりの年の冬に家人から十銭玉を一個握らせられて、蒟蒻(こんにゃく)買いに遣(や)られた。その頃の蒟蒻は一個二厘、三厘の時代であったから、定めし十個か二十個買って来いという家人の註文であったろう。
 ところが十幾歳の頭山満蒟蒻屋の店先に立つと黙って十銭玉を一個投出したので、店の主人は驚いた。
「これだけミンナ蒟蒻をば買いなさるとな」
 翁は簡単にうなずいた。
 蒟蒻屋の主人は蒟蒻を山のように数えて、翁の前に持って来た。
「容れ物をば出しなさい」
 翁はやはりだまって襟元(えりもと)を寛(くつろ)げた。ここへ入れよという風に、うつむいて見せた。そうして主人が驚いて見ているうちに、氷よりも冷たい蒟蒻の山を懐中(ふところ)に掴み込んで、悠々と家(うち)へ帰った。
 頭山翁は終生をこの無造作と放胆振りでもって押通している。


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