近代支那の文化生活 関連リンク

内藤 湖南 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

近代支那の文化生活 - 内藤 湖南 ( ないとう こなん )

  • ■□「月刊 近代盆栽」2002年1~12号セット 近代出版□■
  • 宮澤賢治近代と反近代/宮沢賢治//洋々社
  • 近代映画/V-6/ジャニーズJr/高橋由美子/近代映画社1996.1
  • ■□【雑誌】「月刊 近代盆栽」2000年 12月号 近代出版□■
  • 珊瑚集仏蘭西近代抒情詩選永井荷風翻訳フランス近代詩岩波文庫
  • 近代洋風建築、近代美術シリーズ切手シート12枚額面14400円分
  • ■近代数学講座 『近代代数学演習など』 バラ5冊 /朝倉書店/B1
  • 北原佐和子 写真集  佐 和 子  別冊近代映画 82発 背汚難
  • a6371【近代映画`84.8】岡田有希子.河合奈保子.長山洋子
  • ■日本切手 1981-84年 近代洋風建築シリーズ 10集20種完揃
次のページ
          一  問題は如何にもハイカラ聞こえる問題でありまして、近頃の考へに向きさうでありますけれども、材料は私が考へて居る材料でありますから、至つて古臭いので、一向内容ハイカラな所はありませぬ。  抑も支那近代といふことが一體どういふことか、歴史の學問をやりますのに能く時代を上古とか、中世とか、近代とか申して分けますけれども、支那はあゝいふ古い國でありますから、其の各々の時代を朝名の明代とか清代とかいふやうに分けたりすることもあります。大體明代とか清代とかいふ風に分けますのは、眞に便宜上の區別でありまして、それは殆ど學問上からいふと何の意味も成さぬ位のことであります。それからして近代とか古代とか申しました所が、我々が今日存在して居る年から逆に遡つて何年位までが近代であるか、何年位までが中世、何年位までが古代といふ風にはつきりと分けられると結構でありますが、それがどうも國によつて一樣でありませぬ。手近な處で考へました所が、日本の開闢は何年程になりますか、よく我々は紀元二千五百年とか申しますが、專門の歴史家の方からいふと耶蘇紀元と大抵似た位に日本が開けたやうに申します。兎に角二千五百年と致しました所が、支那のやうな、日本より倍でもありませぬけれど、能く一口に四千年などと申します。四千年が三千年であつても日本とは大體年數が違ひます。もしそれで國とか或は民族といふやうなものも、其長い年數の間生活して續いて來て居るものと致しますれば、其の間に開闢から今日まで四千年程齡をとつて居る國もあり、日本のやうに或は二千年位齡をとつて居る國もあるわけであります。さうしますと、同じくその中で古代とか、中世とか、近代とか分けましても、其の各々の年數が違つて來ます。これは單に素人の考へでやりました相違でありますが、その外にも、その國の事情に依つて、色々又その見方を違へなければならぬことが出て來ると思ひます。さうして實は國とか民族とか申しますものは、其の時代分けるのには、さう簡單に年數などで以て分けらるべきものではなく、根本に其の國、其の民族の…………一人人間で申せば幼稚な時期と青年の時期と、それから老衰の時期とある如く、國とか民族とかいふものにも、さういふものがあると致しますると、古代といふやうな幼稚な時期がどの位、何年から何年位の間に當る、中世といふのはどの位からどの位に當るといふやうな、各々相違があるわけであります。さうして其の又各々の時代、幼少の時期、それから壯盛な時期、それから老衰の時期といふやうなのは、その各々の國に特別なこともあり、或は各民族に共通した點もありますが、要するに各々時期に依つて有する内容が違ふと思ひます。それを本當に考へぬといふと、單に近代と申しましても、近代といふことが一體どういふ意味か分らない。それで殊に支那は今申す通り日本などから見ると殆ど倍に近い程も年數が長いのでありますから、一體どれ位の時代から近代か、その支那近代といふものが有つて居る内容がどういふものかといふことを知らなければならぬと思ふ。どういふ風にしてこれを定めるかといふことは、それは少し歴史の專門の方に渉りまして、今日はそれを一々申上げるわけには參りませぬが、兎に角私共が信じて居る近代といふものゝ内容がどういふものか、それは支那に限りませぬ、日本でも或はヨーロッパあたりでも同樣でありますが、近代といふものゝ内容是非なければならぬ條件がどういふものか、それを考へぬと、支那近代と一口に申しましても、近代といふ意味が十分に分らぬと思ふ。

          二

 その事を先づ第一に申したいと思ふのでありますが、その近代内容の中、一つは平民發展の時代、これはヨーロッパあたりにしますと、斯ういふやうに歴史を考へることは、何でもないことでありますが、支那近代がどういふわけで一體平民發展時代になつて居るかといふことは、容易に分り易い問題ではありませぬ。支那平民發展時代と申しましても、平民に參政權が出來たといふわけではありませぬ。今日でもそれが確實にあるわけでありませぬから、況や以前に於て平民が參政權を有つたといふ時代があつたわけではない。それで近代平民發展時代といふことはどういふわけかといふことを先づ第一に考へて見なければならぬ。しかしながら又よく考へて見ますと、參政權といふやうなこと、即ち參政が權利化して、實際これが法律に纏つて出來上つて居ることが、必ずしも近代是非なければならぬ條件ではない。參政權がなくても事實平民の發展する時代がある。それは殊に支那の如きがさうであつて、時としては平民發展時代が即ち君主專制時代であります。君主專制時代がなぜ平民發展時代かといふことは、これは今日のやうに政治のことは何でも西洋流にして考へる方からいへばをかしなことでありますけれども、支那では平民發展時代が即ち君主專制時代である。それはどういふわけかと申しますと、平民發展時代の前は貴族時代――貴族時代と申しますのは、これは君主といふやうな一元の貴族が世の中を横領して居るのではなくして、多數の貴族が政權に參與して居る時代であります。それが近代といふものになりますとそれが無くなります。それで貴族の盛であつた六朝から唐あたりの時代は、平民貴族の爲に壓迫されたと申しますか、兎に角政治上の權力を貴族に專有されて、平民が何等のそこに權力もなかつたと同樣に、君主も同樣に貴族に對して實際の權力がないのであります。それで君主平民といふものは同じやうな事情に置かれてあつた。それで貴族時代が崩れて、さうして君主貴族から解放されます、平民貴族から解放される。丁度平民解放された時代が即ち君主解放されて、さうして君主が政權を專有して居りましたが、それに支配されるものは平民で、その間の貴族といふ階級が取れましたから、それで君主專制時代が即ち平民發展時代になります。これは實は斯う抽象的に言つたばかりではお分りになりにくいと思ひますけれども、極く簡單に申上げますればさう申上げるより仕方がない。その内容を詳しくいふことになりますれば、これは支那近代史を本當にやらぬと駄目で、僅かの時間では盡す事が出來ませぬ。
 夫に就て極く簡單に、どういふ風に君主專制時代平民發展時代になつたかといふことを例を擧げて申上げる。それが著しく支那に見えて來ましたのが、宋の時代王安石といふ人が新法を行ひまして、歴史家の書いた所ではそれが非常に惡法で、その爲に宋の國が弱つたといふやうなことを言つて居りますが、併し今日から王安石新法を執り行つた時代を見ますと、新法施行に依つて我々ははつきりと平民政治上に實際の權利を占めて來る樣子が分ります。それはどういふことかと申しますと、王安石といふ人が青苗錢といふ法を行つた。これは簡單に申しますと、米を植ゑ付ける前、苗の時に人民に金を貸付けて、收入のあつた時に利息を附けて返還させる法であります。これが善い法であつた筈であるのに、結果が惡かつたのでありますが、それが大變面白いと思ひます。平民に金を貸付けて平民利息を納めるといふのは、平民土地所有を認めて居ると同じこと、それによつて政府平民土地所有を認めて居つたのであります。それも詳しく申さなければ十分に分りませぬが、先づ簡單にいへばさうであります
 それからその次は勞働の自由であります。これも王安石の時に定まりました。それは唐代支那の勞働に關する政治といふものは、日本にもありました租庸調の法といふのがあります。租は地租であります、調といふのは織物などを納める税であります。その中に庸といふのが勞役を政府に對して供給する義務であります。即ち一年に幾日か必ず政府の勞役に服さなければならぬ。勞役といふものはつまり人民義務であつて、政府から命令されると拒むことを得ないものでありましたが、王安石は之を代へて雇役といふものにしました。さうなりますと政府がどれだけの賃銀をやるから勞働の募集に應じないかといふことにしまして、さうしてそれに對して人民は賃銀を貰つて働くまでゞ、人民が勞働したくないものは應じない、勞役したい者が應じて賃金を貰ふのでありますから、これは勞働の義務でなくして勞働が人民の權利になつて自由になつて居ります、即ち勞働の權利を人民に認めて居ります。
 それから商工業生産品の自由を大體宋代に認めて居ります。それには和買といつて、人民政府相談づくで人民の持つて居る物を買ひ上げるといふことがあります。これは王安石以前からある法でありますが、政府から春に錢を人民に貸して置いて、夏秋に至つて其代りに絹を官に出さすのでありますが、これは名義は合意でありますけれども、其後になつては官より無理にやらすことになつて、一種の弊政となつたのは實際であります。けれども制度の立て方は、人民の持つて居る物を政府合意の上に買上げるといふことでありました。王安石は更に市易といふものを考へた、田地絹物などを抵當として政府から約二割の利で金を借る法であります。


次のページ

内藤 湖南 (ないとう こなん) 以外のオススメ作品

近代支那の文化生活 (きんだいしなのぶんかせいかつ) のリンク元

「近代支那の文化生活-内藤 湖南」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN