近畿地方に於ける神社 関連リンク

内藤 湖南 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

近畿地方に於ける神社 - 内藤 湖南 ( ないとう こなん )

  • ★送料無料 近畿地方大風水害・大軌電車轉覆絵葉書 戦前
  • 10091923私家版 大和 近畿地方の寺社様式
  • 10091923私家版 大和 近畿地方の寺社様式
次のページ
 私のお話致しますのは、「」と申します。近畿地方は殊に神社の大變多い處でありまして、最も古社の多い處であります。それらに就て悉く話すことは到底出來ることではありませぬ。又私は一體神社のことを深く研究した譯でも何でもありませぬが、幾らか趣味を持つたのは大分古いことで、大日本史神祇志が出版になりました頃之を讀みまして、其の中に神社に關する色々の考證が時々出て居りましたのに大變興味を感じたことがあります。其の後それに類似したもの、即ち矢張り大日本史神祇志を書かれた栗田博士色々研究されたもの、其の他のものなどを見まして、神社研究に幾らか興味を有つた。併し私の專門に屬することでないから、大分前にさう云ふことを考へたゞけであつて、其の後一向研究進歩して居りませぬ。唯其の頃考へたことを一二拾つてお話をする位のことであります。
 近頃神社といふことが大分世間問題になるやうになりまして、御承知でありますか知りませぬが、政府筋でもそれに關して商賣に拔目が無く、鐵道院では「かみ詣で」といふ小さい本を作つて居られる。是も貰つたから見たので、強ひて買つて見ようといふほどの考も無かつた。見ると、是は鐵道院でも半分は商賣に致したことでありませうから、學問上から色々苦情を言つても仕方がないが、殊に其の見方は言はゞ遊覽の材料に書いたやうなものでありまして、實は神社を有難く感ずる爲に書いたのか、遊び歩く序でに少し見たら宜からうといふので書いたのか判らない位であります。之を見ますと如何にも信仰のあるやうな口繪などが付いて居りますけれども、中は矢張り何處が特別保護建築物であるとか、景色も佳いとか、惡いとかいふやうなことが重に書いてあります。まア半分は遊覽の爲めである。尤も遊覽から信仰が起つたら猶更結構でありますが、兎に角さういふ風で大分神社等に注意するやうになりました。それと共に「神社思想問題」などが屡々現はれかゝるのであります。私は思想問題の方へ觸れることは、神社の事に就て言ふよりも遙かに不得手でありますから、矢張り單に自分のやる歴史上から考へて見たいのであります。それ故私の方から言ふと神社は有難くならぬ方が多いかも知れませぬ。併し兎に角色々昔の人の研究したことに就て自分の考へたことを少しばかり話してみようと思ふのであります。
 古い事を考へますと、近畿地方神社のことだけではなく、歴史非常に年數が永い。同じ日本としましても、近畿地方と私が生れました東北地方などゝは歴史上の年代に餘程差があります。日本の開闢は何千年か知りませぬ。普通二千五百年と言つて居る。併し私共の生れた東北地方歴史らしい歴史の始まりは、非常に古くても八九百年位であります。それも眞に我々の地方の名が歴史に出て居るか居らぬかといふ位のものであります。多少歴史の上に分るやうになつたのは、殆ど南北朝以後のことであります。それでありますから近畿地方とは二倍も三倍も年數が違ふのであります。それだけ又近畿地方は同じ地方のことが歴史上重なつて居ります。史蹟と申しましても非常に厄介でありまして、同一の地に幾つもの事が重なつて居る。それで神社なども自然さういふ風になつて居ります。けれどもそれが又近畿地方神社研究するに就て最も興味の多い所であらうと思ふ。
 それに就てつい此の附近の事に關して偶然色々思ひ付た事があります。今京都の附近で立派神社と申しますと、先づ加茂であります。併し加茂神社存在して居る地方に於て、昔から加茂神社があの通りの大きさ、あの通りの盛んさであつたかどうかと考へますと、餘程それは疑問なのでありまして、加茂縁起などを見ますと、あの川の處が昔から清らかであつて、加茂の神樣の娘さんが洗濯して居つたか、遊んで居つたか、其の時に、丹塗の矢が流れて來て、それに感じて子を産んだとか、其の子が屋根を破つて飛んで行つて松尾神社になつたとか、色々面白い話があつて、初めからあの近邊が加茂神社で以て占領して居つたやうに考へられますが、能く調べて見ますと必ずしもさうではなさゝうであります。下加茂境内といつて宜しい所に小さい柊神社といふものがあります。それは延喜式神名帳などで見ますと「出雲|井於(ゐのうへ)」と申す神社であります。此の神社は今では加茂境内の隅の方に小さなものになつて居るけれども、昔からあんなに小さいものであつたかどうか一つの疑問である。「出雲」といふことは出雲國といふやうに、そんなに遠方まで持つて行つて關係を付ける程のことでもないと思ひますが、兎に角此の附近に出雲を頭に冠つた地名神社色々あります。丹波の國の桑田郡出雲神社といふものがあります。それから京都北部にかけて、多分それに關係のあると思ふ出雲地名を冠つた神社があります。山端(やまばな)の北手に高野村といふ處がありますが、其處に出雲高野神社といふものがあつたといふことであります。今日ではそれが變りまして崇道神社といふものになつて居ります。それが出雲高野神社であるといふことを、色々神社研究をした人が考證して居ります。又京都北部全體を出雲路と稱して居ります。それでこれが大體出雲に關係がある。――それが直ちに出雲國に關係があるかどうか知りませぬが――兎に角出雲といふ一の氏族が昔其處に割據して居つた所ではあるまいかといふことが考へられる。それではどうして其處へ加茂といふものが關係して來たかといふことになりますが、まだ其の前に關係したものもあると思はれます。一體崇道神社といふものは私にとつては何でもないことでありまして、そんな事を調べる必要は無いのでありますが、それに興味を感ずるやうになりましたのは、崇道神社の山の裏手に小野毛人といふ人の墓があつて、銅板の墓誌が出た所でありますので、それを研究するに就て色々崇道神社なんかのことを考へるやうになつたのであります。そこで又延喜式神名帳に據りますと、小野神社といふものが其の邊にあつたといふ事であります。小野神社といふものはどうなつたかと申しますと、今日では矢張り高野村の中に加茂御影(みかげ)社といふものがありまして、崇道神社の南側になつて居りますが、それがさうであつたといふ風に考へられて居ります。それが昔小野神社であつたとしますと其處に小野といふものが關係があつたといふことになるのであります。それでは小野といふものはどういふやうに關係して來たかと申しますと、矢張り近江國の滋賀郡小野神社と稱するものがありますが、小野毛人といふ人は聖徳太子時代に隋に入りました妹子の孫に當るといふ人でありまして、即ち聖徳太子時代から小野氏は著しく見はれて居りますが、歴史小野氏といふものはどういふ系圖を引いて居るかと申しますと、孝昭天皇の末孫であつて、それから系圖を引いて小野氏といふものが出來たことになつて居ります。


次のページ

内藤 湖南 (ないとう こなん) 以外のオススメ作品

近畿地方に於ける神社 (きんきちほうにおけるじんじゃ) のリンク元

「近畿地方に於ける神社-内藤 湖南」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN