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道づれ - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
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  • 現代日本文学全集35 宮本百合子集 筑摩書房
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  • 宮本百合子全集 28巻セット■新日本出版社■1980/82年
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        一  山がたに三という字を染め出した紺ののれんが細長三和土(たたき)の両端に下っていて、こっちから入った客は、あっちから余り通りのない往来へ抜けられるようになっている。  重吉は、片側に大溝のある坂の方の途から来てその質やの暖簾(のれん)の見える横丁にかかると、連の光井に、 「おい、ちょっと寄るよ」  そう云って、小脇の新聞包をかかえなおした。
「ああ」
 重吉はしっかりした肩で暖簾をわけて入った。三和土のところには誰もいず、顔見知りの番頭が、丁寧なようなたかをくくったような顔つきで、
いらっしゃいまし」
とセル前掛の薄い膝をいざらして自分の衿元をつくろった。重吉が包んだまま投げるように出した古い女物糸織を仕立直したどてらをひっくるかえして見て、番頭は、
「まあ六十銭ですね」
と云った。
「もう大分お着んなっているし、何せこういうもんですからね」
 光井だけが店頭の畳のところへかけていて、どてらを見ながら、
「いやに青い糸がくっついているじゃないか」と云った。
「――こりゃあ、とじ糸ですがね」
 母親は国風に、こまかく青い綴糸を表に出して夜着のようにどてらを縫ってよこしたのであった。重吉は、
「八十銭にならないかい」
と云った。
「無理ですねえ」
「けちくさいこと云わずに勉強しとけ、勉強しとけ」
 比較的まとまって、親父の遺品だという金時計などを出し入れしている光井が口を出した。
君達、儲かりすぎて困ってるんじゃあないか」
「御冗談でしょう」
 七十銭の銀貨をズボンのポケットへばらに入れて、二人は入って来た方とは反対の出入口から外へ出た。
 魚屋が店じまいで、ゴムの大前掛に絣のパッチの若い者たちがシッ、シッとかけ声でホースの水をかけては板の間をこすっている。狭い歩道へ遠慮なく流れ出しているその臭い水をよけて歩きながら、光井は、
コーヒー代ぐらいなら俺んところにあるよ」と云った。
「うん。――まあいいさ」
 夜になったばかりで人影の少くない大通をいいかげん行って重吉たちは、それでも防火扉を表におろしている小さな銀行の角を入った。その横通りも店つづきであった。陰気な乾物屋とお仕立処という看板をかけた格子づくりの家との間を入って行くと、路は一層せまくなってこの辺はしもたやが並んでいる。その一軒の木戸をあけて重吉が先に立ち、光井はその後につづいた。やっと体のとおるくらいの家のあわいをぬけるとそこにもう一側家の裏口がぼんやり町会の名を書いた街燈に照らされて並んでいる。黎明書房では単行本出版をやったり、雑誌を出したりするようになってから、表通りの店とくっついた裏の三間ばかりの家をも共通につかいはじめた。裏では家族が主に寝おきしているのであった。
 靴をぬいでいると、
「や」
 紺と白との縞の襟に、店名を黄糸で縫った働き着の若者が、帳場の奥から立って来た。
「まだ見えてないようですよ」
 店からは陰になっている階段を、重吉はいつものとおり、いそがず肩をふる体つきでのぼって行った。途中で、重吉はうしろから来る光井に、
「お、ちょっと待て」
と云った。
「このスリッパ、変だよ、こわれてる」
 重吉は階段の中段で窮屈そうな恰好をしていたが、片方のこわれた方をぬいで手にもつと、あとは足早にのぼり切って、おどり場のところでペタンと床におとしたスリッパアに再び足をひっかけた。そこはまがいの洋室になっていた。外の廊下にも、ドアをあけて入った壁際にも、荒繩でくくったストック本が雑然とおいてある。籐の大分ひどくなった長椅子、曲木の椅子数脚などが大きい罅(ひび)われのある楕円形テーブルをかこんで、置かれている。床にもテーブルの上にも、昼間じゅう東京を南から北へと吹きすさんだ大風で夥(おびただ)しく砂塵がたまっていた。どういうわけかひどく古風な、ふちが薄赤くうねうねした電燈のカサが漆喰天井から下っていて、照明が暗いというのでもないのに、その荒れた室内の光景は入って来た二人を黙りがちにした。
 重吉は、鼻の奥でクンクンというような音をさせながら目を瞬き、長椅子へ腰をおろした。光井は一つの籐椅子の背をひっぱって行って、重吉と向いあわせのところへかけ、バットに火をつけた。それから、くつろいだ心持の自然順序で何心なくテーブルへ肱を置こうとして、光井は埃のひどさにびっくりした顔でそう悪気もない舌打ちをした。煙草の煙が眼に入るのを避けて誰でもやる妙に眉をしかめた風で、光井はそこらにあった新聞をまるめてテーブルの上を拭いた。一面の白っぽい砂塵がなくなった代りに、今度はジャリジャリした縞が出来た。
 重吉はふだんから煙草は吸わない。横顔から見ると彼の睫毛の濃く長いのがわかった。その眼をしばたたきながら黙ってさっきから光井のすることを眺めていた。重吉が深く背中をもたせて長椅子にはまりこんでいるうしろの壁には、ゴー・ストップと赤地に黒の片仮名フラッシュのような図案にした新しくない広告ビラが貼りつけられているのであった。
 暫くして階段口に数人の跫音がした。単に礼儀からばかりでない気持、当時の学生生活のたしなみとでも云うようなもので、ドアのそとから、ひっそりとしている室内に向って、
「いいかい」
 一応声をかけながら、ゆっくりあけて、この文学研究会中心となっている「新時代編輯同人戸山・横井・吉田などが続いて入って来た。最後に、丁度これらの様々の風貌をもち、同じ大学でも属している科は種々である若い人々の宰領という工合で、やや年かさの、しかし体は誰よりも小さい今中が一番あとから現れた。今中は、
「やあ」
と、うすくよごれた鳥打帽をぬいで、喉まである茶毛ジャケツの上へ着た上着ポケットへしまった。そして蒼白い瘠せがたの顔にかかる髪をはらうように首をふって間近の椅子にかけた。
 今夜の当番になっている戸山が、おとなしく絣の襟をあわせた姿で楕円形テーブルの脚が一本付きのわるいのを気にしていたが、やがて腕時計をのぞいて云った。
「どうしますか、そろそろはじめましょうか」
 背広を着た横井が、
「まだ四五人は来るんじゃないのかい、もう十分まてよ」
 今中は、こういう周囲にかまわない成人態度でハトロン紙で上覆いをしたパンフレット型のものを読んでいるのであった。
「失敬、失敬。おくれた」
 重そうな書類入鞄を下げて、山原が入って来た。
「どうした」
 すこしおとした声に親愛の響をもたせながら山原は重吉の顔を見て、その隣りにどっかりと無雑作にかけた。
 あと二人ばかり来て、愈々(いよいよ)会がはじめられた。発行されたばかりの雑誌「新時代」についての意見がもとめられた。


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