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道灌山 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
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 小さい二人の男の子と、それよりもすこし大きい女の子とが、ぴったりはりついて目の下にひろがる田端駅の構内をあきず眺めている柵のところは、草のしげったほそい道になっていた。  その細い道は、うねうねとつづいてずっと先まで行っているが、人のとおる道と、すぐそこからはじまっているとの境は誰にもわからなかった。道は、道灌山そのものの崖ぷちにそって通っており、三人の子供がきまってそこへゆく柵のところも、実はもう道灌山のはずれそのものだったのかもしれない。
 二人の男の子一人女の子とが田端汽車を見に、エナメル塗りのトランク弁当箱をもって、誰だったか大人の女のひとにつれられて柵のところへ行った時代と、やっぱり大人の女と一緒ではあったが道灌山のなかで鬼ごっこなどした時代とは、同じでなかった。
 汽車が見たい時代に、私たち子供にとってもう一つ実に素晴らしい見ものがあった。それは牧田の牛だった。
 母方の祖父お墓が養源寺という寺にある。うちの裏門を出て、夜になるとふくろう鳴く藤堂さんの森のくらい横丁をまわって動坂のとおりへ出ると、ばら新といって、ばらばかり育てているところがある。魚屋だの米や、荒物やだのの並んだせまいそのとおりをすこし行って左へ曲ると、じき養源寺があった。
 養源寺には、二つ門がある。一つの門は手前にあって、それは石の門だった。石の門のなかにお堂があって、赤いよだれかけをかけた妙なものがそのお堂の奥におさまっていた。お堂の正面のよごれた格子から、うす暗い奥にぼんやりみえる赤いよだれかけは、小さいわたしの眼に、何となし正体のはっきりしない猿のようなものの感じがした。それは気味がわるかった。石の門から養源寺に入ってゆくより、そのとなりについている黒い大きい柱のたった木の門の方から入ってゆく方がすきだった。門のそとに自然石が立っていてそれには、お酒牛肉坊さんはたべてはいけない、ということが書いてあるのだそうだった。
 黒い木の門を入ると、細長い石が行儀よくしいてあって、お寺の正面玄関につづいている。養源寺へ行ったとき、子供たちが一番によるのは、左手にある門番のところだった。どっさり手桶が重ねてあった。せまい土間に、赤い紙を巻いた線香と、水にさしたしきみやその季節の花がすこしあって、一緒に行った大人が、お線香やしきみを、そこで買った。そして、西村氏と姓を書いて、矢車のすこし変形したような紋がついている手桶を出させ、さて、一行は、庫裏のよこてから、井戸へゆくのだった。
 いよいよ井戸へ向うことになると、子供たちは勇みたった。それは、もう牧田の牛が目のさきだからだった。けれども、わたしにとって、もう一つ関所があった。
 古風な鎖でたぐる車井戸へゆく右手に、十ばかり地蔵の並んだところがあった。その地蔵はどれも小さくて、丁度そこの前をとおってゆくわたしたち子供ぐらいの高さに、目鼻だちのはっきりしない、つるりとした頭の、苔のついた顔々をならべている。古びきって朦朧とした顔に苔をつけて立っている小地蔵たちは、いろんな色のきたないよだれかけを幾枚もかけていた。その上、地蔵のどれかには、女の髪の毛のきったのが、赤茶けた色をしてつる下げてあった。
 それらの地蔵たちは、何と不気味だったろう。自分たち人間子供と似たような大きさで、どっさりいて、しかも気味わるい格好をしていることが一層こわかった。
 牧田の牛は、この地蔵たちの前を通りぬけ、井戸からすこし先の竹垣のこわれから、よくみることが出来るのだった。
 寺の方がすこし高みになっていて、牛のいる牧場はかなり下に見おろせた。今思えばいかにも市中の牧場らしく、ただ平地に柵をめぐらされているだけのその牧場だったが、そこに、いつも四五頭の乳牛が出ていた。白と飴色のまだら、白黒のまだら。ちょっとおしりのところと角のところだけ黒くて、あとは白いの。子供たちは竹垣のやぶれに並んで、牛を眺めたまま、ほとんど口をきかなかった。あんまり牛はおもしろかったし、いくらかこわくもあった。牛たちは、おだやかで暖い春の光をあびながら、かたまっていると思うと、そのうちの一頭がゆるりとかたまりからはなれて、歩きだす。するとまたほかの一頭も動き出して、かたまりはほぐれ、あっちに一頭こっちに一頭と見られる。
 かたまりがほどけはじめて、一頭の牛がこっちを向いて重そうに、ゆっくり歩いて来ると、竹垣のこちら側で見ている三人の子供らは、緊張の極に達した。身動きできないようになって、歩いて来る乳牛の大きさとこわさと畏敬とをごたまぜに感じるのだったが、多分牧場のそこの側は、日かげか何か余り牛どもの気に入りの場所でなかったのだろう、決して竹垣の下まで近く牛のよって来たことはなかった。
 田端汽車は、いつも動いているから目をはなせないし、牧田の牛はのろりのろりと動くから、また面白くて、なかなかその竹垣からどかれなかった。
 大きい方の弟が、牧場の土のところどころにある黒い堆積をさして、
「ねえ、あれ、牛のべたくそ?」
と大きな声できいた。
「そうですよ」
 一緒に牛をみている女中が、のんびりした調子で答えた。
 すると、下の弟が、
「べたくそみせて!」
と、のびあがった。
「あれ、べたくそさ」
 権威をもって大きい方の弟が、牧場の土の上に、いくつもあるかたまりを指さしてみせた。
「ふーむ。べたくそ?」
「べたくそ、さ」
 わたしは、べたくそに弟たちほど熱中を感じない。わたしには牛の匂いが気にいっているのだった。風の工合で、竹垣のところから、牛小舎の匂いがほんのりきけるときがあった。


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