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織田 作之助 のオススメ作品

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作品別索引

- 織田 作之助 ( おだ さくのすけ )

  • 織田作之助作品集2/織田作之助 著 大谷晃一 編・単行本
  • ■ 織田作之助短編集 /  聴雨・蛍  ■ちくま文庫■
  • ●中古図書●日本文学全集(72)織田作之助井上友一郎集集英社
  • ★「西鶴新論」織田作之助 昭22初版 天地書房★
  • ◇希少本『夫婦善哉』 織田作之助著◇M
  • 織田作之助■六白金星■昭和21年初版
  • 織田作之助全集 【全8巻】 講談社
  • レア!戦前昭和17年 「五代友厚」 織田作之助 日進社
  • 日本文学全集55/武田麟太郎・坂口安吾・織田作之助
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 今もそのアパートはあるだろうか、濡雑巾のようにごちゃごちゃした場末一角に、それはまるで古綿を千切って捨てたも同然の薄汚れた姿を無気力に曝していた。そのあたりは埋立地のせいか年中じめじめした湿気が去らなかった。日の射さぬ中庭は乾いたためしはなかった。鼠の死骸はいつまでもジクジクしていた。近くの古池からはなにかいやな沼気が立ちのぼるかと思われた。一町先が晴れてもそこだけは降り、風は黒く渡り、板塀は崩れ、青いペンキが剥げちょろけになったその建物のなかで、人びとは古障子のようにひっそりと暮していた。そして佐伯はいわばその古障子の破れ穴とでもいうべきうらぶれた日日を送っていたのである。
 佐伯が死んだという噂が東京本郷あたりで一再ならず立ち、それが大阪にいる私の耳にまで伝わってきたのは、その頃のことだ。本当に死んでしまったのかとそのアパートを訪れてみると、佐伯はまだ生きていて、うっかり私が洩らしたその噂をべつだん悲しみもせず、さもありなんという表情で受けとり、なにそのおれが死んだというデマは実はおれが飛ばしてやったんだと陰気な唇でボソボソ呟き、ケッケッというあやしい笑い声を薄弱な咳の間から垂らしていた。げっそりと肉が落ち、眼ばかり熱っぽく光らせた蒼白いその顔を見て、私は佐伯病気もいよいよいけなくなったのか、なるほどそんな噂が立つのも無理はあるまいという想いにいきなり胸をつかれたが、同時に佐伯生活にはもはや耳かきですくうほどの希望感動も残っていず、今は全く青春背中を向け、おまけにその背中悔恨と焦躁の火でちょろちょろ焼かれているのではないかと思われて、慰める言葉私にはなかった。
 ところが、その佐伯がすっかり変ってしまったのだ。亀のようにむっつりとしていた男が見ちがえるほど陽気になって、さかんにむだな冗談口を叩く。少しお饒舌(しゃべり)を慎んだ方が軽薄に見えずに済むだろうと思われるくらいである。のべつ幕なしにしゃべっている。若い身空で最近は講演もするということだ。あれほどの病気もすっかり癒(なお)ってしまったとは思えないが、見たところピチピチして軽く弾んでいる。角がとれ、愛想の良くなったことは驚くばかりだ。血色のよい頬にその必要もなさそうな微笑を絶えず泛(うか)べている。以前は縦のものを横にすることすら億劫がっていた。枕元にあるものを手を伸ばして取ろうとしなかった。それが近頃はおかしいくらい勤勉になって、ひとの二倍も三倍も仕事をしてけろりとしている。もとは售(う)れぬ戯曲を二つか三つ書いていたようだったが、今は戯曲のほかに演出にも手を出す。舞台装置もする。映画仕事もする。評論書く翻訳も試みる。その片手間に随分多量の小説発表するが、べつだん通俗にも陥らず、仕事のキメも存外荒くはない。まずはあっと息をのむような鮮かな仕事振りである。聴けば、健康診断のたびに医者は当分の静養をすすめるそうだが、そんなことはけろりと忘れた顔をして、忙しく派手に立ち働いている。隣組組長もしているという。三十歳そこそこの若さでだ、阿修羅みたいにそんなに仕事出来るのはよくない前兆だぞと、今はもう冗談にからかってもギクリともしない。不死身の覚悟が出来ているかのようである。死んだという噂を立てられてから六年になるが、六年の歳月一人人間をこんなに変えてしまうのかと、まるで嘘みたいである。いやその六年の間生きのびて来たということだけでも、殆ど奇蹟である。当の佐伯にしても、こんな筈ではなかったのだが、おかしいねと、うれしそうな首をひねっている。
 もっともこういうことは言っていた。胸の病いなんてものは、ひどく月並みな言い方だが、よほど芯の弱い者でない限り気持のもち方ひとつ、つまり精神で癒せるものだ、また人間の性格なんてもののそう急にがらりと変ってしまうものではない。陽気な性格の者ははじめからそういう素質を持っているものだ、ただ自分などあの頃は陰欝な殻を被っていたのでその素質がかくされていたのに過ぎない、つまりはその殻を脱ぎ捨てる切っ掛けを掴んだというだけの話、けれどその切っ掛けを掴むということが一見容易そうでその実なかなかむつかしくて、その動作の弾みをつけるのは並大抵のことではなかったと言うのである。例えば、彼はそのアパートを移るという簡単なことの弾みが容易につかなかったらしい。そしてそれが何よりいけなかったのだ。そのアパートの不健康さについては前に述べたが、殊に彼の部屋ときてはお話にならぬくらいひどかった。
 実際私は訪れるたびに呆れていた、いや訪れることすら避けたかったくらい、それはどんな健康人間でもそこに住めば病気になってしまうだろうと思われた、それほど陰気な部屋であった。佐伯はそのなかに蝸牛のように住みついていたのである。その部屋アパートの裏口からはいったかかりにあって、食堂炊事場と隣り合っていた。床下はどうやらその炊事場の地下室になっているらしく、漬物槽が置かれ、変な臭いが騰ってきてたまらぬと佐伯は言っていた。食堂の主人がことことその漬物槽の石を動かしている音が、毎朝枕元へ響いて来る。漆喰へ水を流す音もする。そのたびに湿気部屋へ浸潤して来るように思われたと言う。それがなくても、いったいが湿気の多いじめじめした部屋であった。日の射さないせいもあろう。


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