遺言文学 - 葉山 嘉樹 ( はやま よしき )
無名作家Nの情熱(上)
プロレタリア作家が、現在、どんなに困難な道を歩いてゐるか、といふ事は、クド/\と述べ立てる必要の無い事であらう。
それにしても、私は、今、一つの話をしないではをれない。
私たちの友人のNは、無名作家である。Aといふ批評家が紹介して、私たちのグループに入つたのだつた。
このNは、もう三十を越してゐるのであるが、体が小さくて細くて、けいれんの発作があつて、その上、視力が、常人の三分の一しか無いのである。視力の不足なのは、幼少の時からの絶えざる栄養不良と、不足から来たのであつた。
炭坑夫をしたり、刑務所の内を潜つたり、しながら、東京へ流れついて、私たちのグループに入つた。体が小さくて、弱い病身ではあるが、火のやうな階級的情熱を持つてゐる。
*
Aでも、Mでも、私でも、借家争議といふ事になると、いつも、このN君を留守番に頼んで、闘つてもらふのが常であつた。
ところが、目的は、プロレタリア作家として、その闘争力を、ペンと紙とを通じて、読者に訴へることにある。だが、この点になると、Nのペンは、心臓の速さに追つつけないのであつた。いつでも書くものが、主観的に、自分で先にカンシャク許り起してゐるものだから、読者に分らないのであつた。
私たちは、お互に、励まし合ひ、研究し合つたが、私にも、Nにも、カン所がつかめなかつた。
そのうち私一家は、一時田舎に落ちのびて、留守は、N君とH君とに委せて置いた。落ちのびた私たちも、留守の両君も、現在の失業者のなめるのと、同じ悩みを味つたのはいふ迄も無い。
ところが、私の居ない間に、私たちの属してゐた、文学上のグループが、どういふ訳だか、グラつき始めた。私は、遠く、離れて居たものだから、単に、経済上の問題であらう、と思つてゐた。
その問題ならば、自分が帰つたところで、手ブラで帰つたのでは、邪魔になるだけなのだから、それよりも、年来の目論見である、水力発電所に関する長編でも、書きあげようと、発電所の見おろせる鳥屋にガン張つてゐた。
そのうちに、同志のSやIなどが、「あつさりやめた。心配するな。帰つたらゆつくり話す」といふ、簡単極まるハガキを、私の旅先きに寄越した。Sは、私たちのグループの中で、文学的にもであるが、生活的に、全身的に、階級闘争に、もつともピッタリくつついてゐる男である。Iも、文学的に野心が多く、闘争の中にすつかりはまり込んだ、といつた風な男である。
*
私は、文学の上では、兎も角、運動の上では、他の人たちを捨てても、Sたちと行動を共にしなければならないと思つた。
で、私は、田舎から慌てて帰つて来た。
そして、別れなくていゝものなら、別れないやうにしようと、いろいろ、骨を折つて見た。
が、後で、いろいろ、理論めいて、えらさうな事はいへようが、そんな名目論や、ゴマ化しで無いものが、底の方に流れてゐる、といふ事が、二三日して、ぼんやり私にも分つて来た。
空家に籠つてこの一念(中)
Sや、Nを、文学的ルンペンなどと、たつた一ヶ月前まで位、一緒にやつて来た者で、ぬけ/\といふ奴もあるが、そんなのは、いつでも、私が、面の皮をヒン剥いてやる。ペンや、口でなら、何とでもいへる。
今まで、我々と分れて、えらさうな口を利いて、消えて無くなつた者が、どの位あるかを考へた方がよからう。そこで、その深い、底の方を流れてゐるものは、「何」であるか、といふ事を、私は探求しにかゝつた。そして、それが、ひどく文字には現し難い気持ちではあるが、「捨て身」なもの、であるといふことが分つた。
「Sは、捨て身でやつてゐないだらうか?」「いや、やつてる!」
と私は考へた。
そこで、私は、この「捨て身」で階級闘争の中に入つてゐる、同志と別れることは、出来ないと考へた。
さういふ訳で、いくらか、余裕を持つて、やらうといふ者と私も別れてしまつた。
*
それから、私たちは、残つた連中にいはせると、「組織もヘチマも無い居心地のいゝ『クラブ』に尻を落ちつけたのである」
私たちの「挨拶状の本質は、隅から隅までのルンペン的、芸術至上主義的偏向をバクロした」
よろしい。いくらでも、張りよい、小型のビラを、僕等の背中に張りつけるがよい。
今東光を、藤森成吉を、片岡鉄兵を、中条百合子を、信用しようとも、しもしなかつた私たちである。
私自身についていへば、諸君のいふ通り、「隅から隅までルンペンである」かも知れない。それは、私も、絶えず、私に反問し、反省してゐる所である。だが、さういつたのは誰であるか。
*
それから、私たちは、文学の事はクラブで、政治、経済上の闘争は、それ/″\の所属の団体で、とハッキリして、運動に入つた。
文士といふ、ハンデキャップをつけて、政治上経済上の闘争に、さ迷ひ込まれては、お互に迷惑だ。
今、「ルンペン共」は、社会大衆党の内部で「右翼的偏向」と闘つてゐる。
さて、本題に立ち帰つて、「どうすれば、真実な意味の、強いプロレタリア文学が生れるか」
私は、調べた芸術とか、プロレタリアリアリズムとか、難かしいもつともらしい文句から、全つ切り、傍道へ外れ込んだ。
私には、文学士の肩書も無ければ、それらしい何にも無い、参考にすべき外国の書籍も読めない。
*
「えゝい! 捨て身でブッつかれ!」と、私は又、捨て身を引つ張りだした。その「捨て身」から、何と、私は、「遺言文学」といふ、文句を思ひついちまつたのだ。
「遺言文学」の文句を思ひついたのは、妻子を田舎に残して、私は一人で、間借りしてゐる、空家の二階であつた。家主も、世智辛くなつたと見えて、空家の分割貸しを始めやがつた。
私たちの友人のNは、無名作家である。Aといふ批評家が紹介して、私たちのグループに入つたのだつた。
このNは、もう三十を越してゐるのであるが、体が小さくて細くて、けいれんの発作があつて、その上、視力が、常人の三分の一しか無いのである。視力の不足なのは、幼少の時からの絶えざる栄養不良と、不足から来たのであつた。
炭坑夫をしたり、刑務所の内を潜つたり、しながら、東京へ流れついて、私たちのグループに入つた。体が小さくて、弱い病身ではあるが、火のやうな階級的情熱を持つてゐる。
*
Aでも、Mでも、私でも、借家争議といふ事になると、いつも、このN君を留守番に頼んで、闘つてもらふのが常であつた。
ところが、目的は、プロレタリア作家として、その闘争力を、ペンと紙とを通じて、読者に訴へることにある。だが、この点になると、Nのペンは、心臓の速さに追つつけないのであつた。いつでも書くものが、主観的に、自分で先にカンシャク許り起してゐるものだから、読者に分らないのであつた。
私たちは、お互に、励まし合ひ、研究し合つたが、私にも、Nにも、カン所がつかめなかつた。
そのうち私一家は、一時田舎に落ちのびて、留守は、N君とH君とに委せて置いた。落ちのびた私たちも、留守の両君も、現在の失業者のなめるのと、同じ悩みを味つたのはいふ迄も無い。
ところが、私の居ない間に、私たちの属してゐた、文学上のグループが、どういふ訳だか、グラつき始めた。私は、遠く、離れて居たものだから、単に、経済上の問題であらう、と思つてゐた。
その問題ならば、自分が帰つたところで、手ブラで帰つたのでは、邪魔になるだけなのだから、それよりも、年来の目論見である、水力発電所に関する長編でも、書きあげようと、発電所の見おろせる鳥屋にガン張つてゐた。
そのうちに、同志のSやIなどが、「あつさりやめた。心配するな。帰つたらゆつくり話す」といふ、簡単極まるハガキを、私の旅先きに寄越した。Sは、私たちのグループの中で、文学的にもであるが、生活的に、全身的に、階級闘争に、もつともピッタリくつついてゐる男である。Iも、文学的に野心が多く、闘争の中にすつかりはまり込んだ、といつた風な男である。
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私は、文学の上では、兎も角、運動の上では、他の人たちを捨てても、Sたちと行動を共にしなければならないと思つた。
で、私は、田舎から慌てて帰つて来た。
そして、別れなくていゝものなら、別れないやうにしようと、いろいろ、骨を折つて見た。
が、後で、いろいろ、理論めいて、えらさうな事はいへようが、そんな名目論や、ゴマ化しで無いものが、底の方に流れてゐる、といふ事が、二三日して、ぼんやり私にも分つて来た。
空家に籠つてこの一念(中)
Sや、Nを、文学的ルンペンなどと、たつた一ヶ月前まで位、一緒にやつて来た者で、ぬけ/\といふ奴もあるが、そんなのは、いつでも、私が、面の皮をヒン剥いてやる。ペンや、口でなら、何とでもいへる。
今まで、我々と分れて、えらさうな口を利いて、消えて無くなつた者が、どの位あるかを考へた方がよからう。そこで、その深い、底の方を流れてゐるものは、「何」であるか、といふ事を、私は探求しにかゝつた。そして、それが、ひどく文字には現し難い気持ちではあるが、「捨て身」なもの、であるといふことが分つた。
「Sは、捨て身でやつてゐないだらうか?」「いや、やつてる!」
と私は考へた。
そこで、私は、この「捨て身」で階級闘争の中に入つてゐる、同志と別れることは、出来ないと考へた。
さういふ訳で、いくらか、余裕を持つて、やらうといふ者と私も別れてしまつた。
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それから、私たちは、残つた連中にいはせると、「組織もヘチマも無い居心地のいゝ『クラブ』に尻を落ちつけたのである」
私たちの「挨拶状の本質は、隅から隅までのルンペン的、芸術至上主義的偏向をバクロした」
よろしい。いくらでも、張りよい、小型のビラを、僕等の背中に張りつけるがよい。
今東光を、藤森成吉を、片岡鉄兵を、中条百合子を、信用しようとも、しもしなかつた私たちである。
私自身についていへば、諸君のいふ通り、「隅から隅までルンペンである」かも知れない。それは、私も、絶えず、私に反問し、反省してゐる所である。だが、さういつたのは誰であるか。
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それから、私たちは、文学の事はクラブで、政治、経済上の闘争は、それ/″\の所属の団体で、とハッキリして、運動に入つた。
文士といふ、ハンデキャップをつけて、政治上経済上の闘争に、さ迷ひ込まれては、お互に迷惑だ。
今、「ルンペン共」は、社会大衆党の内部で「右翼的偏向」と闘つてゐる。
さて、本題に立ち帰つて、「どうすれば、真実な意味の、強いプロレタリア文学が生れるか」
私は、調べた芸術とか、プロレタリアリアリズムとか、難かしいもつともらしい文句から、全つ切り、傍道へ外れ込んだ。
私には、文学士の肩書も無ければ、それらしい何にも無い、参考にすべき外国の書籍も読めない。
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「えゝい! 捨て身でブッつかれ!」と、私は又、捨て身を引つ張りだした。その「捨て身」から、何と、私は、「遺言文学」といふ、文句を思ひついちまつたのだ。
「遺言文学」の文句を思ひついたのは、妻子を田舎に残して、私は一人で、間借りしてゐる、空家の二階であつた。家主も、世智辛くなつたと見えて、空家の分割貸しを始めやがつた。
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