邪宗門 - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )
芥川龍之介
一
先頃|大殿様(おおとのさま)御一代中で、一番|人目(ひとめ)を駭(おどろ)かせた、地獄変(じごくへん)の屏風(びょうぶ)の由来を申し上げましたから、今度は若殿様の御生涯で、たった一度の不思議な出来事を御話し致そうかと存じて居ります。が、その前に一通り、思いもよらない急な御病気で、大殿様が御薨去(ごこうきょ)になった時の事を、あらまし申し上げて置きましょう。
あれは確か、若殿様の十九の御年だったかと存じます。思いもよらない急な御病気とは云うものの、実はかれこれその半年ばかり前から、御屋形(おやかた)の空へ星が流れますやら、御庭の紅梅が時ならず一度に花を開きますやら、御厩(おうまや)の白馬(しろうま)が一夜(いちや)の内に黒くなりますやら、御池の水が見る間に干上(ひあが)って、鯉(こい)や鮒(ふな)が泥の中で喘(あえ)ぎますやら、いろいろ凶(わる)い兆(しらせ)がございました。中でも殊に空恐ろしく思われたのは、ある女房の夢枕に、良秀(よしひで)の娘の乗ったような、炎々と火の燃えしきる車が一輛、人面(じんめん)の獣(けもの)に曳かれながら、天から下(お)りて来たと思いますと、その車の中からやさしい声がして、「大殿様をこれへ御迎え申せ。」と、呼(よば)わったそうでございます。その時、その人面の獣が怪しく唸(うな)って、頭(かしら)を上げたのを眺めますと、夢現(ゆめうつつ)の暗(やみ)の中にも、唇ばかりが生々(なまなま)しく赤かったので、思わず金切声をあげながら、その声でやっと我に返りましたが、総身はびっしょり冷汗(ひやあせ)で、胸さえまるで早鐘をつくように躍っていたとか申しました。でございますから、北の方(かた)を始め、私(わたくし)どもまで心を痛めて、御屋形の門々(かどかど)に陰陽師(おんみょうじ)の護符(ごふ)を貼りましたし、有験(うげん)の法師(ほうし)たちを御召しになって、種々の御祈祷を御上げになりましたが、これも誠に遁れ難い定業(じょうごう)ででもございましたろう。
ある日――それも雪もよいの、底冷がする日の事でございましたが、今出川(いまでがわ)の大納言(だいなごん)様の御屋形から、御帰りになる御車(みくるま)の中で、急に大熱が御発しになり、御帰館遊ばした時分には、もうただ「あた、あた」と仰有(おっしゃ)るばかり、あまつさえ御身(おみ)のうちは、一面に気味悪く紫立って、御褥(おしとね)の白綾(しろあや)も焦げるかと思う御気色(みけしき)になりました。元よりその時も御枕もとには、法師、医師、陰陽師(おんみょうじ)などが、皆それぞれに肝胆(かんたん)を砕いて、必死の力を尽しましたが、御熱は益(ますます)烈しくなって、やがて御床(おんゆか)の上まで転(ころ)び出ていらっしゃると、たちまち別人のような嗄(しわが)れた御声で、「あおう、身のうちに火がついたわ。この煙(けぶ)りは如何(いかが)致した。」と、狂おしく御吼(おたけ)りになったまま、僅三時(わずかみとき)ばかりの間に、何とも申し上げる語(ことば)もない、無残な御最期(ごさいご)でございます。その時の悲しさ、恐ろしさ、勿体(もったい)なさ――今になって考えましても、蔀(しとみ)に迷っている、護摩(ごま)の煙(けぶり)と、右往左往に泣き惑っている女房たちの袴の紅(あけ)とが、あの茫然とした験者(げんざ)や術師たちの姿と一しょに、ありありと眼に浮かんで、かいつまんだ御話を致すのさえ、涙が先に立って仕方がございません。が、そう云う思い出の内でも、あの御年若な若殿様が、少しも取乱した御容子(ごようす)を御見せにならず、ただ、青ざめた御顔を曇らせながら、じっと大殿様の御枕元へ坐っていらしった事を考えると、なぜかまるで磨(と)ぎすました焼刃(やきば)の※(にお)いでも嗅(か)ぐような、身にしみて、ひやりとする、それでいてやはり頼もしい、妙な心もちが致すのでございます。
二
御親子(ごしんし)の間がらでありながら、大殿様と若殿様との間くらい、御容子(ごようす)から御性質まで、うらうえなのも稀(まれ)でございましょう。大殿様は御承知の通り、大兵肥満(だいひょうひまん)でいらっしゃいますが、若殿様は中背(ちゅうぜい)の、どちらかと申せば痩ぎすな御生れ立ちで、御容貌(ごきりょう)も大殿様のどこまでも男らしい、神将のような俤(おもかげ)とは、似もつかない御優しさでございます。これはあの御美しい北の方(かた)に、瓜二(うりふた)つとでも申しましょうか。眉の迫った、眼の涼しい、心もち口もとに癖のある、女のような御顔立ちでございましたが、どこかそこにうす暗い、沈んだ影がひそんでいて、殊に御装束でも召しますと、御立派と申しますより、ほとんど神寂(かみさび)ているとでも申し上げたいくらい、いかにももの静な御威光がございました。
が、大殿様と若殿様とが、取り分け違っていらしったのは、どちらかと云えば、御気象の方で、大殿様のなさる事は、すべてが豪放(ごうほう)で、雄大で、何でも人目(ひとめ)を驚かさなければ止まないと云う御勢いでございましたが、若殿様の御好みは、どこまでも繊細で、またどこまでも優雅な趣がございましたように存じて居ります。たとえば大殿様の御心もちが、あの堀川の御所(ごしょ)に窺(うかが)われます通り、若殿様が若王子(にゃくおうじ)に御造りになった竜田(たつた)の院は、御規模こそ小そうございますが、菅相丞(かんしょうじょう)の御歌をそのままな、紅葉(もみじ)ばかりの御庭と申し、その御庭を縫っている、清らかな一すじの流れと申し、あるいはまたその流れへ御放しになった、何羽とも知れない白鷺(しらさぎ)と申し、一つとして若殿様の奥床しい御思召(おおぼしめ)しのほどが、現れていないものはございません。
そう云う次第でございますから、大殿様は何かにつけて、武張(ぶば)った事を御好みになりましたが、若殿様はまた詩歌管絃(しいかかんげん)を何よりも御喜びなさいまして、その道々の名人上手とは、御身分の上下も御忘れになったような、隔てない御つき合いがございました。いや、それもただ、そう云うものが御好きだったと申すばかりでなく、御自分も永年御心を諸芸の奥秘(おうひ)に御潜めになったので、笙(しょう)こそ御吹きになりませんでしたが、あの名高い帥民部卿(そちのみんぶきょう)以来、三舟(さんしゅう)に乗るものは、若殿様|御一人(おひとり)であろうなどと、噂のあったほどでございます。でございますから、御家の集(しゅう)にも、若殿様の秀句や名歌が、今に沢山残って居りますが、中でも世上に評判が高かったのは、あの良秀(よしひで)が五趣生死(ごしゅしょうじ)の図を描(か)いた竜蓋寺(りゅうがいじ)の仏事の節、二人の唐人(からびと)の問答を御聞きになって、御詠(およ)みになった歌でございましょう。これはその時|磬(うちならし)の模様に、八葉(はちよう)の蓮華(れんげ)を挟(はさ)んで二羽の孔雀(くじゃく)が鋳(い)つけてあったのを、その唐人たちが眺めながら、「捨身惜花思(しゃしんしゃっかし)」と云う一人の声の下から、もう一人が「打不立有鳥(だふりゅううちょう)」と答えました――その意味合いが解(げ)せないので、そこに居合わせた人々が、とかくの詮議立てをして居りますと、それを御聞きになった若殿様が、御持ちになった扇の裏へさらさらと美しく書き流して、その人々のいる中へ御遣(おつかわ)しになった歌でございます。
身をすてて花を惜しやと思ふらむ打てども
立たぬ鳥もありけり
三
大殿様と若殿様とは、かように万事がかけ離れていらっしゃいましたから、それだけまた御二方(おふたかた)の御仲(おんなか)にも、そぐわない所があったようでございます。これにも世間にはとかくの噂がございまして、中には御親子(ごしんし)で、同じ宮腹(みやばら)の女房を御争いになったからだなどと、申すものもございますが、元よりそのような莫迦(ばか)げた事があろう筈はございません。何でも私(わたくし)の覚えて居ります限りでは、若殿様が十五六の御年に、もう御二方の間には、御不和の芽がふいていたように御見受け申しました。これが前にもちょいと申し上げて置きました、若殿様が笙(しょう)だけを御吹きにならないと云う、その謂(い)われに縁のある事なのでございます。
その頃、若殿様は大そう笙を御好みで、遠縁の従兄(いとこ)に御当りなさる中御門(なかみかど)の少納言(しょうなごん)に、御弟子入(おでしいり)をなすっていらっしゃいました。この少納言は、伽陵(がりょう)と云う名高い笙と、大食調入食調(だいじきちょうにゅうじきちょう)の譜とを、代々御家に御伝えになっていらっしゃる、その道でも稀代(きだい)の名人だったのでございます。
若殿様はこの少納言の御手許で、長らく切磋琢磨(せっさたくま)の功を御積みになりましたが、さてその大食調入食調(だいじきちょうにゅうじきちょう)の伝授を御望みになりますと、少納言はどう思召したのか、この仰せばかりは御聞き入れになりません。それが再三押して御頼みになっても、やはり御満足の行くような御返事がなかったので、御年若な若殿様は、一方ならず残念に思召したのでございましょう。ある日大殿様の双六(すごろく)の御相手をなすっていらっしゃる時に、ふとその御不満を御洩しになりました。すると大殿様はいつものように鷹揚(おうよう)に御笑いになりながら、「そう不平は云わぬものじゃ。やがてはその譜も手にはいる時節があるであろう。」と、やさしく御慰めになったそうでございます。ところがそれから半月とたたないある日の事、中御門の少納言は、堀川の御屋形(おやかた)の饗(さかもり)へ御出になった帰りに、俄(にわか)に血を吐いて御歿(おなくな)りになってしまいました。が、それは先ず、よろしいと致しましても、その明くる日、若殿様が何気なく御居間へ御出でになると、螺鈿(らでん)を鏤(ちりば)めた御机の上に、あの伽陵(がりょう)の笙と大食調入食調の譜とが、誰が持って来たともなく、ちゃんと載っていたと申すではございませんか。
その後(のち)また大殿様が若殿様を御相手に双六(すごろく)を御打ちになった時、
「この頃は笙も一段と上達致したであろうな。」と、念を押すように仰有(おっしゃ)ると、若殿様は静に盤面(ばんめん)を御眺めになったまま、
「いや笙はもう一生、吹かない事に致しました。」と、冷かに御答えになりました。
「何としてまた、吹かぬ事に致したな。」
「聊(いささ)かながら、少納言の菩提(ぼだい)を弔(とむら)おうと存じますから。」
こう仰有(おっしゃ)って若殿様は、じっと父上の御顔を御見つめになりました。が、大殿様はまるでその御声が聞えないように勢いよく筒(とう)を振りながら、
「今度もこの方が無地勝(むじがち)らしいぞ。」とさりげない容子(ようす)で勝負を御続けになりました。でございますからこの御問答は、それぎり立ち消えになってしまいましたが、御親子の御仲には、この時からある面白くない心もちが、挟まるようになったかと存ぜられます。
四
それから大殿様の御隠れになる時まで、御親子(ごしんし)の間には、まるで二羽の蒼鷹(あおたか)が、互に相手を窺いながら、空を飛びめぐっているような、ちっとの隙(すき)もない睨(にら)み合いがずっと続いて居りました。が、前にも申し上げました通り若殿様は、すべて喧嘩口論の類(たぐい)が、大御嫌(だいおきら)いでございましたから、大殿様の御所業(ごしょぎょう)に向っても、楯(たて)を御つきになどなった事は、ほとんど一度もございません。ただ、その度に皮肉な御微笑を、あの癖のある御口元にちらりと御浮べになりながら、一言二言(ひとことふたこと)鋭い御批判を御漏(おも)らしになるばかりでございます。
あれは確か、若殿様の十九の御年だったかと存じます。思いもよらない急な御病気とは云うものの、実はかれこれその半年ばかり前から、御屋形(おやかた)の空へ星が流れますやら、御庭の紅梅が時ならず一度に花を開きますやら、御厩(おうまや)の白馬(しろうま)が一夜(いちや)の内に黒くなりますやら、御池の水が見る間に干上(ひあが)って、鯉(こい)や鮒(ふな)が泥の中で喘(あえ)ぎますやら、いろいろ凶(わる)い兆(しらせ)がございました。中でも殊に空恐ろしく思われたのは、ある女房の夢枕に、良秀(よしひで)の娘の乗ったような、炎々と火の燃えしきる車が一輛、人面(じんめん)の獣(けもの)に曳かれながら、天から下(お)りて来たと思いますと、その車の中からやさしい声がして、「大殿様をこれへ御迎え申せ。」と、呼(よば)わったそうでございます。その時、その人面の獣が怪しく唸(うな)って、頭(かしら)を上げたのを眺めますと、夢現(ゆめうつつ)の暗(やみ)の中にも、唇ばかりが生々(なまなま)しく赤かったので、思わず金切声をあげながら、その声でやっと我に返りましたが、総身はびっしょり冷汗(ひやあせ)で、胸さえまるで早鐘をつくように躍っていたとか申しました。でございますから、北の方(かた)を始め、私(わたくし)どもまで心を痛めて、御屋形の門々(かどかど)に陰陽師(おんみょうじ)の護符(ごふ)を貼りましたし、有験(うげん)の法師(ほうし)たちを御召しになって、種々の御祈祷を御上げになりましたが、これも誠に遁れ難い定業(じょうごう)ででもございましたろう。
ある日――それも雪もよいの、底冷がする日の事でございましたが、今出川(いまでがわ)の大納言(だいなごん)様の御屋形から、御帰りになる御車(みくるま)の中で、急に大熱が御発しになり、御帰館遊ばした時分には、もうただ「あた、あた」と仰有(おっしゃ)るばかり、あまつさえ御身(おみ)のうちは、一面に気味悪く紫立って、御褥(おしとね)の白綾(しろあや)も焦げるかと思う御気色(みけしき)になりました。元よりその時も御枕もとには、法師、医師、陰陽師(おんみょうじ)などが、皆それぞれに肝胆(かんたん)を砕いて、必死の力を尽しましたが、御熱は益(ますます)烈しくなって、やがて御床(おんゆか)の上まで転(ころ)び出ていらっしゃると、たちまち別人のような嗄(しわが)れた御声で、「あおう、身のうちに火がついたわ。この煙(けぶ)りは如何(いかが)致した。」と、狂おしく御吼(おたけ)りになったまま、僅三時(わずかみとき)ばかりの間に、何とも申し上げる語(ことば)もない、無残な御最期(ごさいご)でございます。その時の悲しさ、恐ろしさ、勿体(もったい)なさ――今になって考えましても、蔀(しとみ)に迷っている、護摩(ごま)の煙(けぶり)と、右往左往に泣き惑っている女房たちの袴の紅(あけ)とが、あの茫然とした験者(げんざ)や術師たちの姿と一しょに、ありありと眼に浮かんで、かいつまんだ御話を致すのさえ、涙が先に立って仕方がございません。が、そう云う思い出の内でも、あの御年若な若殿様が、少しも取乱した御容子(ごようす)を御見せにならず、ただ、青ざめた御顔を曇らせながら、じっと大殿様の御枕元へ坐っていらしった事を考えると、なぜかまるで磨(と)ぎすました焼刃(やきば)の※(にお)いでも嗅(か)ぐような、身にしみて、ひやりとする、それでいてやはり頼もしい、妙な心もちが致すのでございます。
二
御親子(ごしんし)の間がらでありながら、大殿様と若殿様との間くらい、御容子(ごようす)から御性質まで、うらうえなのも稀(まれ)でございましょう。大殿様は御承知の通り、大兵肥満(だいひょうひまん)でいらっしゃいますが、若殿様は中背(ちゅうぜい)の、どちらかと申せば痩ぎすな御生れ立ちで、御容貌(ごきりょう)も大殿様のどこまでも男らしい、神将のような俤(おもかげ)とは、似もつかない御優しさでございます。これはあの御美しい北の方(かた)に、瓜二(うりふた)つとでも申しましょうか。眉の迫った、眼の涼しい、心もち口もとに癖のある、女のような御顔立ちでございましたが、どこかそこにうす暗い、沈んだ影がひそんでいて、殊に御装束でも召しますと、御立派と申しますより、ほとんど神寂(かみさび)ているとでも申し上げたいくらい、いかにももの静な御威光がございました。
が、大殿様と若殿様とが、取り分け違っていらしったのは、どちらかと云えば、御気象の方で、大殿様のなさる事は、すべてが豪放(ごうほう)で、雄大で、何でも人目(ひとめ)を驚かさなければ止まないと云う御勢いでございましたが、若殿様の御好みは、どこまでも繊細で、またどこまでも優雅な趣がございましたように存じて居ります。たとえば大殿様の御心もちが、あの堀川の御所(ごしょ)に窺(うかが)われます通り、若殿様が若王子(にゃくおうじ)に御造りになった竜田(たつた)の院は、御規模こそ小そうございますが、菅相丞(かんしょうじょう)の御歌をそのままな、紅葉(もみじ)ばかりの御庭と申し、その御庭を縫っている、清らかな一すじの流れと申し、あるいはまたその流れへ御放しになった、何羽とも知れない白鷺(しらさぎ)と申し、一つとして若殿様の奥床しい御思召(おおぼしめ)しのほどが、現れていないものはございません。
そう云う次第でございますから、大殿様は何かにつけて、武張(ぶば)った事を御好みになりましたが、若殿様はまた詩歌管絃(しいかかんげん)を何よりも御喜びなさいまして、その道々の名人上手とは、御身分の上下も御忘れになったような、隔てない御つき合いがございました。いや、それもただ、そう云うものが御好きだったと申すばかりでなく、御自分も永年御心を諸芸の奥秘(おうひ)に御潜めになったので、笙(しょう)こそ御吹きになりませんでしたが、あの名高い帥民部卿(そちのみんぶきょう)以来、三舟(さんしゅう)に乗るものは、若殿様|御一人(おひとり)であろうなどと、噂のあったほどでございます。でございますから、御家の集(しゅう)にも、若殿様の秀句や名歌が、今に沢山残って居りますが、中でも世上に評判が高かったのは、あの良秀(よしひで)が五趣生死(ごしゅしょうじ)の図を描(か)いた竜蓋寺(りゅうがいじ)の仏事の節、二人の唐人(からびと)の問答を御聞きになって、御詠(およ)みになった歌でございましょう。これはその時|磬(うちならし)の模様に、八葉(はちよう)の蓮華(れんげ)を挟(はさ)んで二羽の孔雀(くじゃく)が鋳(い)つけてあったのを、その唐人たちが眺めながら、「捨身惜花思(しゃしんしゃっかし)」と云う一人の声の下から、もう一人が「打不立有鳥(だふりゅううちょう)」と答えました――その意味合いが解(げ)せないので、そこに居合わせた人々が、とかくの詮議立てをして居りますと、それを御聞きになった若殿様が、御持ちになった扇の裏へさらさらと美しく書き流して、その人々のいる中へ御遣(おつかわ)しになった歌でございます。
身をすてて花を惜しやと思ふらむ打てども
立たぬ鳥もありけり
三
大殿様と若殿様とは、かように万事がかけ離れていらっしゃいましたから、それだけまた御二方(おふたかた)の御仲(おんなか)にも、そぐわない所があったようでございます。これにも世間にはとかくの噂がございまして、中には御親子(ごしんし)で、同じ宮腹(みやばら)の女房を御争いになったからだなどと、申すものもございますが、元よりそのような莫迦(ばか)げた事があろう筈はございません。何でも私(わたくし)の覚えて居ります限りでは、若殿様が十五六の御年に、もう御二方の間には、御不和の芽がふいていたように御見受け申しました。これが前にもちょいと申し上げて置きました、若殿様が笙(しょう)だけを御吹きにならないと云う、その謂(い)われに縁のある事なのでございます。
その頃、若殿様は大そう笙を御好みで、遠縁の従兄(いとこ)に御当りなさる中御門(なかみかど)の少納言(しょうなごん)に、御弟子入(おでしいり)をなすっていらっしゃいました。この少納言は、伽陵(がりょう)と云う名高い笙と、大食調入食調(だいじきちょうにゅうじきちょう)の譜とを、代々御家に御伝えになっていらっしゃる、その道でも稀代(きだい)の名人だったのでございます。
若殿様はこの少納言の御手許で、長らく切磋琢磨(せっさたくま)の功を御積みになりましたが、さてその大食調入食調(だいじきちょうにゅうじきちょう)の伝授を御望みになりますと、少納言はどう思召したのか、この仰せばかりは御聞き入れになりません。それが再三押して御頼みになっても、やはり御満足の行くような御返事がなかったので、御年若な若殿様は、一方ならず残念に思召したのでございましょう。ある日大殿様の双六(すごろく)の御相手をなすっていらっしゃる時に、ふとその御不満を御洩しになりました。すると大殿様はいつものように鷹揚(おうよう)に御笑いになりながら、「そう不平は云わぬものじゃ。やがてはその譜も手にはいる時節があるであろう。」と、やさしく御慰めになったそうでございます。ところがそれから半月とたたないある日の事、中御門の少納言は、堀川の御屋形(おやかた)の饗(さかもり)へ御出になった帰りに、俄(にわか)に血を吐いて御歿(おなくな)りになってしまいました。が、それは先ず、よろしいと致しましても、その明くる日、若殿様が何気なく御居間へ御出でになると、螺鈿(らでん)を鏤(ちりば)めた御机の上に、あの伽陵(がりょう)の笙と大食調入食調の譜とが、誰が持って来たともなく、ちゃんと載っていたと申すではございませんか。
その後(のち)また大殿様が若殿様を御相手に双六(すごろく)を御打ちになった時、
「この頃は笙も一段と上達致したであろうな。」と、念を押すように仰有(おっしゃ)ると、若殿様は静に盤面(ばんめん)を御眺めになったまま、
「いや笙はもう一生、吹かない事に致しました。」と、冷かに御答えになりました。
「何としてまた、吹かぬ事に致したな。」
「聊(いささ)かながら、少納言の菩提(ぼだい)を弔(とむら)おうと存じますから。」
こう仰有(おっしゃ)って若殿様は、じっと父上の御顔を御見つめになりました。が、大殿様はまるでその御声が聞えないように勢いよく筒(とう)を振りながら、
「今度もこの方が無地勝(むじがち)らしいぞ。」とさりげない容子(ようす)で勝負を御続けになりました。でございますからこの御問答は、それぎり立ち消えになってしまいましたが、御親子の御仲には、この時からある面白くない心もちが、挟まるようになったかと存ぜられます。
四
それから大殿様の御隠れになる時まで、御親子(ごしんし)の間には、まるで二羽の蒼鷹(あおたか)が、互に相手を窺いながら、空を飛びめぐっているような、ちっとの隙(すき)もない睨(にら)み合いがずっと続いて居りました。が、前にも申し上げました通り若殿様は、すべて喧嘩口論の類(たぐい)が、大御嫌(だいおきら)いでございましたから、大殿様の御所業(ごしょぎょう)に向っても、楯(たて)を御つきになどなった事は、ほとんど一度もございません。ただ、その度に皮肉な御微笑を、あの癖のある御口元にちらりと御浮べになりながら、一言二言(ひとことふたこと)鋭い御批判を御漏(おも)らしになるばかりでございます。
芥川 竜之介 (あくたがわ りゅうのすけ) 以外のオススメ作品
邪宗門 (じゃしゅうもん) のリンク元
- [[apple]] あくたがわりゅうのすけ
- http://atpedia.jp/word/%E3%81%A7%E3%81%8C%E3%82%8F
- http://atpedia.jp/word/%e4%b8%8a%e6%89%8b
- http://atpedia.jp/word/%E4%BB%8F%E4%BA%8B
- http://atpedia.jp/word/%E4%BD%99%E8%AB%87
- http://atpedia.jp/word/%E5%8C%BB%E5%B8%AB
- http://atpedia.jp/word/%E5%A4%A7%E6%A9%8B
- http://atpedia.jp/word/%E6%80%92%E3%82%8A
- http://atpedia.jp/word/%E6%A5%BD%E5%A4%A9
- http://atpedia.jp/word/%E6%AE%BA%E5%AE%B3
「邪宗門-芥川 竜之介」の関連ページ
-
藤波竜之介 - 少年サンデー&少年マガジン WHITECOMIC 攻略wiki - 少年サンデー&少年マガジン WHITECOMIC 攻略wiki
名前 藤波竜之介 題名 うる星やつらフレンド フレンドキャラ 詳細 諸星あたる 自分の技の効果が%上がる相手の技の効果が%下がる -
うる星やつら - サンデーvsマガジン wiki - サンデーvsマガジン wiki
っ子 0068 C レイ/牛鬼 0069 C 藤波 竜之介/さらし 0070 C 竜之介の父/海が好き 0293 C 温泉マーク/生活指導 0294 C メガネ/サトシ -
《父》 - サンマガとVスパークのまとめページ - サンマガとVスパークのまとめページ
カード名称 T023 本田 茂治/おとさん T034 星 一徹/野球の鬼 T052 バカボンのパパ/ノールス 0070 竜之介の父/海が好き 0172 目玉おやじ/茶碗 -
うる星やつら - 少年サンデー&少年マガジン WHITECOMIC 攻略wiki - 少年サンデー&少年マガジン WHITECOMIC 攻略wiki
掲載紙 週間少年サンデー 掲載期間 1978年39号~1987年43号 題名 うる星やつら 作 高橋留美子 画 高橋留美子参戦キャラ諸星あたるラム面堂終太郎三宅しのぶ藤波竜之介テン錯乱坊 -
日野聡 - 乙女ゲームまとめ @ ウィキ - 乙女ゲームまとめ @ ウィキ
桐也 パートボイス ソラ*ユメ PS2、PSP 餘部透 フルボイス アルコバレーノ! PS2 小松竜之介 ? -
北原白秋 - いまさらP3考察 @ Wiki - いまさらP3考察 @ Wiki
きたはらはくしゅう公式詩人、童謡作家。詩集邪宗門 思ひ出 海雀 歌集桐の花 雲母集 黒檜 牡丹の木 童謡集からたちの花 トンボの眼玉 童謡・歌詞ゆりかごのうた 砂山 からたちの花 この道 ペチ -
岡本竜之介 - Futbol DB - Futbol DB
岡本竜之介はカマタマーレ讃岐所属のMF。FC大阪?へレンタル移籍中基本情報 国籍 日本 名前 オカモト リュウノスケ 生年月日 1984年10月9日 出身地 岡山県津山市 身長 -
諸星あたる - 少年サンデー&少年マガジン WHITECOMIC 攻略wiki - 少年サンデー&少年マガジン WHITECOMIC 攻略wiki
る 三宅しのぶ 自分の技の効果が%上がる相手の技の効果が%下がる 藤波竜之介 自分の技の効果が%上がる相手の技の効果が%下がる テン 自分の技の効果が%上がる相手の技の効果が%下がる 錯乱 -
質問掲示板 - 任侠伝 渡世人一代記 攻略@wiki - 任侠伝 渡世人一代記 攻略@wiki
いうやつの取り方を教えてください。 -- 弥六郎 (2008-10-31 205838) 天童竜之介のルートの件なんですが、イベント以外で竜之介をまったく使わなかったら、すねてしまい天童ルートに勝手になりました。 -- ばばや (2008 -
アニメ三銃士 (1987) - まったりアニソンまとめ(仮題)@ ウィキ - まったりアニソンまとめ(仮題)@ ウィキ
Chance」 (第22~28話)作詞:竜之介 作曲:丸山正剛 編曲:HOPPY神山 歌:BEE PUBLIC5.「見つめてほしい』 (第29~35話)作詞:高田司 作曲:山口明生 歌:EDEN6.「魔法
