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郷土的味覚 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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  • 郷土人形郷土玩具「戦前・朝鮮半島の土人形・虎・ホドリ」
  • 《郷土玩具参考図書》《日本の郷土人形》
  • 《郷土玩具参考図書》《佐渡の郷土玩具》
  • ●郷土史 東京●戦前●『東京府地誌』堀江賢二●昭和15年
  • ★壱岐島郷土料理 うにめしの素2合用2個セット 
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  • 【道】 首人形20個 ぶら下げると迫力満点 郷土玩具 土人形
  • 鳥取県史 中世 歴史 古美術 郷土資料 昭和48年発行 ※26z4※
  • ayx☆太宰治/津軽三十三霊場/愛すれど愛は悲し/郷土の先人を語る
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 日常環境の中であまりにわれわれに近く親しいために、かえってその存在価値意識しなかったようなものが、ひとたびその環境を離れ見失った時になって、最も強くわれわれの追憶を刺戟することがしばしばある。それで郷里に居た時には少しも珍しくもなんともなかったものが、郷里を離れて他国に移り住んでからはかえって最も珍しくなつかしいものになる。そういう例は色々ある中にも最も手近なところで若干食物数えられる。その一つは寒竹(かんちく)の筍(たけのこ)である。
 高知近傍には寒竹垣根が多い。隙間なく密生しても活力を失わないという特徴があるために垣根適当素材として選ばれたのであろう。あれは何月頃であろうか。とにかくうすら寒い時候に可愛らしい筍をにょきにょき簇生(そうせい)させる。引抜くと、きゅうっきゅうっと小気味の好い音を出す。軟らかい緑の茎に紫色隈取(くまど)りがあって美しい。なまで噛むと特徴ある青臭い香がする。
 年取った祖母と幼い自分とで宅の垣根をせせり歩いてそうけ(笊(ざる))に一杯の寒竹を採るのは容易であった。そうして黒光りのする台所の板間で、薄暗い石油ランプの燈下で一つ一つ皮を剥(は)いでいる。そういう光景が一つの古い煤けた油画の画面のような形をとって四十余年後の記憶の中に浮上がって来るのである。自分の五歳の頃から五年ほどの間熊本鎮台(ちんだい)に赴任したきり一度も帰らなかった父の留守の淋しさ、おそらくその当時は自覚しなかった淋しさが、不思議にもこの燈下の寒竹記憶と共に、はっきりした意識となって甦って来るのである。
 虎杖(いたどり)もなつかしいものの一つである。日曜日本町(ほんまち)の市で、手製の牡丹餅(ぼたもち)などと一緒にこのいたどりを売っている近郷の婆さんなどがあった。そのせいか、自分虎杖記憶には、幼時の本町|市(いち)の光景が密接につながっている。そうして、肉桂酒(にっけいしゅ)、甘蔗(さとうきび)、竹羊羹(たけようかん)、そう云ったようなアットラクションと共に南国の白日に照らし出された本町市の人いきれを思い浮べることが出来る。そうしてさらにのぞきや大蛇見世物思い出すことが出来る
 三谷(みたに)の渓間へ虎杖取りに行ったこともあった。薄暗い湿っぽい朽葉の匂のする茂みの奥に大きな虎杖見付けて折取るときの喜び都会の児等の夢にも知らない、田園自然児にのみ許された幸福であろう。これは決して単なる食慾の問題ではない。純な子供の心はこの時に完全に大自然の懐に抱かれてその乳房をしゃぶるのである。
 楊梅(やまもも)も国を離れてからは珍しいものの一つになった。高等学校時代夏期休暇帰省する頃にはもういつも盛りを過ぎていた。「二、三日前までは好いのがあったのに」という場合がしばしばあった。「お銀がつくった大ももは」という売声には色々郷土伝説的の追憶結び付いている。それから十市(とうち)の作さんという楊梅売りのとぼけたようで如才(じょさい)のない人物が昔のわが家の台所背景として追憶舞台に活躍するのである。
 大正四、五年頃、今は故人となった佐野静雄博士から伊豆伊東別荘に試植するからと云って土佐楊梅の苗を取寄せることを依頼された。郷里の父に頼んで良種を選定し、数本の苗を東京へ送ってもらった。これがさらに佐野博士の手で伊東に送られ移植された。そしてこの苗の生長を楽しみにしておられた博士は不幸にして夭折(ようせつ)されたのである。亡くなられる少し前に、たしかこれらの楊梅が始めて四つとか五つとかの実を着けたという消息を聞いたことがあったように思う。その後さらに数年を経過した現在のこの楊梅の苗の運命がどうなっているか。伊東へ行く機会があったら必ず訪ねてみようと思うものの一つにはこの楊梅コロニーがあるのである。
 色々木の実を食ったことを想い出す。昔の高坂橋(たかさかばし)の南詰に大きな榎樹(えのき)があった。橙紅色の丸薬のような実の落ち散ったのを拾って噛み砕くと堅い核の中に白い仁(にん)があってそれが特殊な甘味をもっているのであった。この榎樹から東の方に並んで数本の大きな椋(むく)の樹があった。椋の実はちょっと葡萄のような色と味をもっている。これが馬糞などと一緒に散らばっているのを平気で拾って喰うのであった。われわれ当時の自然児にはそれが汚いともなんとも思われなかった。これらの樹の実を尋ねて飛んで来る木椋鳥(こむくどり)の大群も愉快な見物であった。「千羽に一羽の毒がある」と云ってこの鳥の捕獲を誡(いまし)めた野中兼山(のなかけんざん)の機智の話を想い出す。
 公園の御桜山(おさくらやま)に大きな槙(まき)の樹があってその実を拾いに行ったこともあった。緑色楕円形をした食えない部分があってその頭にこれと同じくらいの大きさで美しい紅色をした甘い団塊が附着している。噛み破ると透明粘液の糸を引く。これも国を離れて以来再びめぐり逢わないものの一つである。
 旧城のお濠(ほり)の菱(ひし)の実(み)も今の自分には珍しいものになってしまった。


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