酒徒漂泊 関連リンク

佐藤 垢石 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

酒徒漂泊 - 佐藤 垢石 ( さとう こうせき )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
  • 600円~ 岩波文庫【青年】森鴎外 (プチソフト1)
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・山椒大夫  他四篇」(旺文社文庫)◇◆
  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・うたかたの記  他三篇」(岩波文庫)◇◆
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 8』森鴎外 正岡子規 夏目漱石1円
  • 森鴎外 高瀬舟・高瀬舟縁起・寒山捨得・寒山捨得縁起 CD 未開封
  • 森鴎外 舞姫 雁 井上靖 訳編 明治の古典8 初版
次のページ
     一  昨年の霜月のなかばごろ、私はひさしぶりに碓氷峠を越えて、信濃路の方へ旅したのである。山国の晩秋は、美しかった。
 麻生豊、正木不如丘の二氏と共に、いま戸倉温泉陸軍療養所に、からだの回春を待ちわびている三百人ばかりの傷病兵の慰問を志して、上野駅から朝の準急に乗った。峠のトンネルを抜けて、沓茫(とうぼう)とした軽井沢高原へ出ると、いままで汽車の窓から見た風物とは、衣物の表と裏のように、はっきりと彩を変えていた。二人は、莨(たばこ)を喫いながら何か賑やかに話しているけれど、私は窓硝子へ吸いつくばかりにして、めぐりゆくそとの景趣に眺めいったのである。
 この秋は、陽気が遲れていた。いつもならば十一月のなかばがくると、上信国境の山々は、いくたびかの大霜にうたれ、木々の梢はうらぶれて、枯葉疎々として渓流のみぎわを訪れる、というのであるそうだが、いま見てきた妙義から角落の奇峭を飾る錦繍の色は、燃え立つほどに明るかった。横川宿あたりの桑園の葉も、緑に艶々しい。
 さくらもみじは、熊の平の駅へはいって漸く散りそめていた。霧積川の流れは岸に砕けて、さすがに晩秋らしく冷えびえと白い泡を立てていたけれど、崖から這い下がる葛の蔓が、いまもなお青かったところを見れば、淵の山女魚(やまめ)の肌に浮く紫もまだ鮮やかに冴えていることであろう。
 ところが、碓氷の分水嶺を一足すぎて、この浅間の麓へ眼をやると、なんと寂しい、すべての草木の凋(しぼ)れた姿であろうか。穂に出た芒は、枯れて西風に靡いている。路ゆく人の襟巻は、首に深い。落葉松はもう枯林となって、遠く野の果てに冬の彩を続けている。
 空は蒼(あお)く、真昼の陽(ひ)は輝いている。上州では高い空に白い浮雲をみたのに、信州へはいっては一片の雲もみない。その明るい陽に照らされて、浅間山の中腹から、前掛山の頂かけて茜(あかね)さすのは秋草の霜にうたれた色であるかも知れないと思う。それに連なって裾野の方へ、緑に広く布(し)いてみえるのは、黒松の林ではないであろうか。
 しかし、ひとたび深い雲を催せば、雨がくるのではあるまい。もう雪が降ることであろう。そんな想像をめぐらしているうち、三十年近くも過ぎた昔、私はこの蕭条たる枯野が真っ白に包まれた雪の上を、東から西へ向かって歩いて行ったことが頭へ浮かんできた。
 いや、ほんとうはこうして二人から離れ、私ひとり窓のそとの景色に忽焉(こつえん)としているというのは、そのときのわが姿を、なん年振りかで眼に描いて、なつかしみたかったからである。若き日のわが俤が汽車の窓のそとを歩いている。
 その若き日の旅に、私は歯がたわしのように摺り減った日和下駄をはいていた。物好きの旅ではない。国々をさまよい歩いた末の、よるべなき我が身の上であったのである。

     二

 私は明治の末のある年の十一月下旬、勤め先を出奔したことがある。追っ手を恐れて一足飛びに土佐の国へ飛んだ。土佐の国を選んだというのは特に頼る人があった訳ではない。ただ地図の上で見て海を隔てた遠い国であるから、そこまでは追っ手の手も届くまいと考えたからであった。
 高知市で口入れ屋を尋ね、蕎麦屋出前持ちを志願したけれど、戸籍謄本を持たないというので、ことわられた。そこで、土佐の国には諦めをつけ、神戸に渡ったのである。
 神戸では本町二丁目裏の大きなちゃぶ台のある近所の口入れ屋の二階に、四、五日ごろごろしていたが、そこでも仕事はみつからなかった。それから大阪天王寺に旧友を訪ねて、電車賃を借りて京都まで行った。
 三条駅へ着いたが、京都にも別段たよる人がない。ひねもす岡崎公園石垣の上から疏水流れを眺めていた。夕方になると、水の面(おもて)に冷たい時雨(しぐれ)が、ばらばらと降った。
 伏見の町で古着屋を捜して、トランクを中みぐるみ売った。トランクの中には、死ぬまで手離すまいと大切にしていた母が手織の太織縞の袷(あわせ)も入っていた。そのとき、ふと感傷的になったのを、いまでも記憶している。
 その金で、相州小田原までの汽車切符を買った。そして十二月から翌年の二月まで、小田原友人の家へ居候していた。小田原友人は、家なき私に親切であった。
 ところが、友人私にもてなす酒のことで細君と喧嘩した。それが、二度、三度と重なったのである。
『おれの友達の、面倒がみられないようでは困る』
 と、友人が細君をたしなめると、
『それも程度問題ですわ』
 と、応酬した。
『それはいかん。どんなことでも、不平がましい顔を禁ずる』
『では、うちの経済がもちませんわよ』
経済なんぞ、どうでもいい。破産してもかまわねえ』
『うちには、破産するほど財産なんかないでしょう』
 細君は一つも良人に負けていない。
財産がないのがいやなら、出て行けっ』
『じゃあなたは、自分家内より友達の方が大切なんですか』
『なにい』
『身のほども知らないで、居候なんか抱えこんで』
『うぬっ! 生意気っ!』
 とうとう、悪化してきたようである。


次のページ

佐藤 垢石 (さとう こうせき) 以外のオススメ作品

酒徒漂泊 (しゅとひょうはく) のリンク元

「酒徒漂泊-佐藤 垢石」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN