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長彦と丸彦 - 豊島 与志雄 ( とよしま よしお )

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  • ★ジャンクリストフ2/ロマンロラン豊島与志雄昭和37年岩波文庫
  • ★ジャンクリストフ1/ロマンロラン豊島与志雄昭和37年岩波文庫
  • ★ジャンクリストフ8/ロマンロラン豊島与志雄昭和38年岩波文庫
  • レ・ミゼラブル全4冊 ユーゴー・豊島与志雄 岩波文庫
  • レ・ミゼラブル 全4巻 ユーゴー作 豊島与志雄 訳 岩波文庫
  • 岩波文庫 レ・ミゼラブル 1巻 豊島与志雄訳 挿絵原画 
  • ロマン・ロラン:豊島与志雄訳:ジャン・クリストフ 全8冊
  • ジャン・クリストフ/ロマン・ロラン 豊島与志雄訳 岩波文庫全4冊
  • ●死刑囚最後の日●ユーゴー豊島与志雄●養徳叢書S24●即決
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      一  むかし、近江(おうみ)の国、琵琶湖(びわこ)の西のほとりの堅田(かただ)に、ものもちの家がありまして、そこに、ふたりの兄弟がいました。兄はたいへん顔が長いので、堅田の顔長(かおなが)の長彦(ながひこ)といわれていましたし、弟はたいへん顔が丸いので、堅田の顔丸(かおまる)の丸彦(まるひこ)といわれていました。
 顔長の長彦は、体がやせて細く、少しも力がありませんでしたが、たいそう知恵がありました。そして、京の都からやって来て、そこに隠れ住んでいる、年とったえらい先生について、いろいろなことを学んでいました。
 顔丸の丸彦は、知恵はあまりありませんでしたが、体がまるまるとふとって、たいそう力があり、むじゃきな乱暴(らんぼう)者で、野原や山を駆け廻ったり、剣や弓のけいこをしたりしていました。
 このふたりの兄弟は、いたって仲がよく、互いに敬(うやま)いあっていました。
 ある年の夏、ひどいひでりがして、琵琶湖の水が一メートル半程もへりました。そのひでりのため、米や芋(いも)がほとんどとれませんでしたから、そのあたりの人々は、たいへん困りました。食ものにもだんだん不自由するようになりました。
 堅田(かただ)の顔長の長彦は、一日一晩、考えつづけました。そしてそのあたりのおもだった人たちに相談しました。
「米や芋(いも)は、一年一度きりできません。このままでは、貧しい人達は、ほんとに食べものがなくなるでしょう。聞くところでは、この湖水(こすい)のずっと北の方、海に近いあたりは、米や芋がたくさんできたそうです。だから、みんなで金を出しあって、買って来ようではありませんか」
 それはよい考えだと、みんな賛成しました。そしてお金を出しあったので、たくさん集まりました。
 ところが、遠い北の国まで、米や芋を買いにいくのは、たやすいことではありません。まだぶっそうな世の中で、途中でどんな悪者にあうかわかりません。これはぜひとも、力のつよい顔丸の丸彦に、行ってもらおうということになりました。
 そこで、顔丸の丸彦は、湖水の岸に多くの船をしたて、おおぜいの水夫たちをひきつれ、刀をさし、鉄づくりの鞭(むち)をにぎりしめた、いさましい姿で、まっ先の船にのりこみ、追い風をまって出発しました。
 この一隊は、琵琶湖(びわこ)をつききり、竹生島(ちくぶじま)からずっと先の方の岸に船をつけ、それから北の国へ行って、米や芋をたくさん買いいれ、人夫をやとって、それを船にいっぱい積みこみました。悪者にもであわず、なにもかもうまくいきましたので、みんなは喜びいさんで、帰りをいそぎました。
 すると、思いがけなく、湖水の上暴風雨(あらし)にであいました。見る間に空はまっ黒な雲におおわれ、大粒の雨が降りだし、はげしい風が吹いてきて、湖水には大波が立ちました。顔丸の丸彦は水夫たちをさしずして、多くの船がはなればなれにならぬよう、ふとい綱でつなぎあわせ、岸の方へ進ませようとしましたが、あたりは夜のように暗く、ただ風と波にながされるばかりでした。そのうちに、岩ばかりの岬(みさき)に吹きつけられ、船は二つにわれたり、ひっくりかえったりして、沈んでしまいました。みんなは船をすてて、岬に泳ぎつきましたが、けがした者も多くありました。
 顔丸の丸彦は、さすがに、刀と鉄の鞭(むち)とを手からはなさず、水夫たちをよび集め、がたがたふるえてるのを励(はげ)ましました。そして道をたずねあて、湖水(こすい)のふちにそって、夜も昼も歩きとおして、家へ帰りつきました。
 そして丸彦は、兄に今までの出来事をくわしく話してから、いいました。
「申しわけのために、私は死んでおわびをします、あとのことは、よろしくお願いします
 顔長の長彦は、だまって聞いていましたが、しずかに答えました。
生きる死ぬるも、まあ私にまかせておきなさい。そしてまず、水夫たちにてあてをしてやって、待たせておきなさい」
 それから顔長の長彦は、二日二晩考えつづけました。そして弟にいいました。
「こんどのことは、もうどうにもしかたがない。けれど、私たちには責任があるし、死んだからとて、その責任をはたせるわけのものではない。このうえは私たちだけで、できるだけのことをしてみよう。元気を出しなさい」
 そこで、長彦と丸彦はいろいろ相談して、失敗のとりかえしをすることになりました。
 まず大津(おおつ)の町までいって、できるだけたくさんお金を借りあつめ、あちこちで船をやといました。それから水夫たちをあつめ、丸彦が隊長となって、また北の国へ、米や芋(いも)を買いにいきました。そしてこんどは丸彦も、用心に用心をかさねましたので、ぶじに荷物を運んで来ました。
 そうした旅を三度くりかえしました。そして米や芋(いも)が、山のようにたくさん集まりました。
 それを見て、心配していた人たちは、ようやく安心して、喜びあいました。

      二

 みんなが喜んでるうちに、ひとり、堅田(かただ)の顔長の長彦は、だんだん考えこんできました。しだいにお金に困ってきたのです。
 大津の町で借りあつめたお金は、はじめ相談した人たちが出しあったお金よりも多かったほどですが、湖水(こすい)に沈んだいくつもの船の持ち主に、その船の代をはらったり、それから三度も、米や芋の買い入れのために、たいへんなお金を使ったので、すぐに足りなくなりました。おもだった人たちのうちには、きのどくがって、お金をいくらかでも出そうという者もありましたが、多くは、はじめの失敗にこりて、だまっていました。
 そこで、顔長の長彦は、三日三晩、考えつづけて、弟にいいました。
たくさんの貧しい人たちのためになることだから、私は決心をした。


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