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雑筆 - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

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  • 「芥川龍之介」 関口安義   岩波新書
  • ◆◇ 芥川龍之介 著「羅生門・鼻」(新潮文庫) ◇◆
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  • 絶版■芥川龍之介【邪宗門・杜子春】新潮文庫帯/昭和42年/葱.秋
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芥川龍之介      竹田(ちくでん)  竹田(ちくでん)は善(よ)き人なり。ロオランなどの評価を学べば、善き画描(ゑか)き以上の人なり。世にあらば知りたき画描き、大雅(たいが)を除けばこの人だと思ふ。友だち同志なれど、山陽(さんやう)の才子ぶりたるは、竹田より遙に品(しな)下(くだ)れり。山陽長崎遊びし時、狭斜(けふしや)の遊(いう)あるを疑はれしとて、「家有縞衣待吾返(いへにかういありわがかへるをまつ)、孤衾如水已三年(こきんみづのごとくすでにさんねん)」など云へる詩を作りしは、聊(いささか)眉に唾すべきものなれど、竹田(ちくでん)が同じく長崎より、「不上酒閣(しゆかくにのぼらず) 不買歌鬟償(かくわんをかはずつぐなふ) 周文画(しうぶんのぐわ) 筆頭水(ひつとうのみづ) 墨余山(ぼくよのやま)」の詞(ことば)を寄せたるは、恐らく真情を吐露(とろ)せしなるべし。竹田は詩書画三絶を称せられしも、和歌などは巧(たくみ)ならず。画道にて悟入(ごにふ)せし所も、三十一文字(みそひともじ)の上には一向(いつかう)利(き)き目がないやうなり。その外(ほか)香や茶にも通ぜし由なれど、その道の事は知らざれば、何(なん)ともわれは定め難し。面白きは竹田が茸(たけ)の画(ゑ)を作りし時、頼みし男|仏頂面(ぶつちやうづら)をなしたるに、竹田「わが苦心を見給へ」とて、水に浸(ひた)せし椎茸(しひたけ)を大籠(おほかご)に一杯見せたれば、その男感歎してやみしと云ふ逸話なり。竹田が刻意励精はさる事ながら、俗人を感心させるには、かう云ふ事にまさるものなし。大家(たいか)の苦心談などと云はるる中(うち)、人の悪き名人が、凡下(ぼんげ)の徒を翻弄(ほんらう)する為に仮作したものも少くあるまい。山陽などはどうもやりさうなり。竹田になるとそんな悪戯気(いたづらぎ)は、嘘にもあつたとは思はれず。返す返すも竹田は善き人なり。「田能村(たのむら)竹田」と云ふ書を見たら、前より此の人が好きになつた。この書は著者大島支郎(おほしましらう)氏、売る所は豊後国(ぶんごのくに)大分(おほいた)の本屋|忠文堂(ちうぶんだう)(七月二十日)

     奇聞

 大阪の或る工場(こうじやう)へ出入(でいり)する辨当屋の小娘あり。職工の一人(ひとり)、その小娘の頬(ほほ)を舐(な)めたるに、忽ち発狂したる由。
 亜米利加(アメリカ)の何処(どこ)かの海岸なり。海水浴の仕度(したく)をしてゐる女、着物泥棒に盗まれ、一日近くも脱衣場から出る事出来ず。その後(のち)泥棒はつかまりしが、罪名は女の羞恥心(しうちしん)を利用したる不法檻禁罪(ふはふかんきんざい)なりし由。
 電車の中で老婦人に足を踏まれし男、忌々(いまいま)しければ向うの足を踏み返したるに、その老婦人忽ち演説を始めて曰(いはく)、「皆さん。この人は唯今私が誤まつて足を踏んだのに、今度はわざと私の足を踏みました。云々(うんぬん)」と。踏み返した男、とうとう閉口(へいこう)してあやまりし由。その老婦人矢島楫子(やじまかぢこ)女史か何か子分ならん。
 世の中には嘘のやうな話、存外(ぞんぐわい)あるものなり。皆|小穴一遊亭(をあないちいうてい)に聞いた。(七月二十三日)

     芭蕉

 又|猿簔(さるみの)を読む芭蕉(ばせを)と去来(きよらい)と凡兆(ぼんてう)との連句の中には、波瀾老成の所多し。就中(なかんづく)こんな所は、何(なん)とも云へぬ心もちにさせる。

 ゆかみて蓋(ふた)のあはぬ半櫃(はんびつ)     兆(てう)
草庵(さうあん)に暫く居ては打(うち)やふり     蕉(せを)
 いのち嬉しき撰集(せんじふ)のさた     来(らい)

 芭蕉が「草庵に暫く居ては打やふり」と付けたる付け方、徳山(とくさん)の棒が空に閃(ひらめ)くやうにして、息もつまるばかりなり。どこからこんな句を拈(ねん)して来るか、恐しと云ふ外(ほか)なし。この鋭さの前には凡兆と雖(いへど)も頭が上(あが)るかどうか。
 凡兆と云へば下(しも)の如き所あり。

昼ねふる青鷺(あをさぎ)の身のたふとさよ   蕉
 しよろしよろ水に藺(ゐ)のそよくらん 兆

 これは凡兆(ぼんてう)の付け方、未(いまだ)しきやうなり。されどこの芭蕉の句は、なかなか世間|並(なみ)の才人が筋斗(きんと)百回した所が、付けられさうもないには違ひなし。
 たつた十七字の活殺なれど、芭蕉(ばせを)の自由自在には恐れ入つてしまふ。西洋詩人の詩などは、日本人故わからぬせゐか、これ程えらいと思つた事なし。まづ「成程(なるほど)」と云ふ位な感心に過ぎず。されば芭蕉のえらさなども、いくら説明してやつた所が、西洋人にはわかるかどうか、疑問の中(うち)の疑問なり。(七月十一日)

     蜻蛉

 蜻蛉(とんぼ)が木の枝にとまつて居(ゐ)るのを見る。羽根(はね)が四(よ)枚|平(たひら)に並んでゐない。前の二枚が三十度位あがつてゐる。風が吹いて来たら、その羽根で調子を取つてゐた。木の枝は動けども、蜻蛉は去らず。その儘悠々と動いて居る。猶(なほ)よく見ると、風の吹く強弱につれて、前の羽根角度が可成(かなり)いろいろ変る。色の薄い赤蜻蛉。木の枝は枯枝。見たのは崖(がけ)の上なり。


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