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離婚について - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

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  • *離婚宣言 ケイ・デイヴィッド S468
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  • 即決/色川武大「離婚」/文藝春秋
  • 『離婚』色川武大
  • 初版帯有「離婚」色川武大 第79回直木賞作品 装丁=村上豊
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 結婚離婚問題から「家」の権威がとりのぞかれるようになって来ているということは、日本社会歴史にとって、実に大きい意味をもっている。「家」というものを、やかましくいう中国でも、婦人と「家」とのいきさつは、大分日本とはちがっていたように思える。中国でも昔から婦人は、娘、妻、母として「家」に従えて考えられているけれども、「家」につながれる重みの差別日本ほど男と女との間にあって女にばかり過酷ではないらしくも思える。「家」の権威を示す姓の問題でも、日本では良人の姓にすっかりかわってしまう。しかし中国では宋美齢をみてもわかる。宋氏の美齢として蒋氏夫人であり得る。巴金という作家の「家族」という長篇小説をよむと、中国の古風な上流家庭で、大家族生活がどのような矛盾をもって、相剋をふくんで営まれているかということが、まざまざとわかる。長男という立場が「家」のためにどんな犠牲をもとめられているかということも、手にとるようにわかるし、男女召使いたちの、奴隷としての悲惨な位置描き出されている。けれども、こういう重苦しい大家族主義のなかで、妻である女性は、やはり実家の姓を頂いているし、戦乱などのとき、子供をつれてさっさと安全な実家へ避難してゆく自由ももっている。たとえ長兄の妻、弟の妻が子供たちとともに逃げて行くような実家をもたないときでも。
 こういうことは、日本の「家」の義理にしばられる女のやりかたではない。少くとも兄嫁が家にのこっているとき、次弟の妻が自由行動するというようなことは普通にはあり得ない。
 結婚が、本人たちの生涯にかかわる問題でなくて、「家」の問題であることから生れた悲劇は、中国日本文学にみちあふれている。郭沫若自伝に、その切ない物語がある。魯迅でさえも、その人間らしい誠実な一生のうちに、この悲劇の一筋をふんでいた。夏目漱石の「行人」は、日本大正年代の知識人の「家」から蒙っている苦悩こそ、テーマである。
 憲法が改正されて、民主的という本質には遠いけれども、人間として男女平等のものと扱われるようになった積極的な価値はあきらかである。この社会にともに働き、ともに生きる男と女とが、その基本的な人間としての権利において互に等しいものであるというわかりきったことが、現世紀の半ばになって、しかも、こんなに深刻な破局をとおして、やっと成文にかかれたということは、むしろおどろくべきことだと思う。
 憲法が改正されたことは、民法の改正をひきおこした。民法の上でこれまで婦人が全く片手おちに、したがって非現実に扱われていた条項を、生活の実際に近く――男女平等のものに改正しようとされている。
 先ず婚姻問題が、「家」の問題でなくて、当事者である男女問題として扱われるようになった。「家」は、家庭単位として扱われることになり、そこには夫と妻と子供たちとのひとかたまりが、基本として考えられるようになった。「家」の嫁は、はっきりと夫の妻、子の母、としての立場で認められることになって来た。
 離婚において、これまでは妻の側からの離婚の要求は殆んど出来ないのが普通であった。協議離婚として、離婚しようとする対手の夫がその申出を承認し、二人の証人承認し、妻がわかければ、妻の生家の戸主署名までなければ、離婚不可能であった。妻が夫の乱行に耐えず、また冷遇にたえがたくて離婚したくても、夫が承知しなければ、生涯ただ名ばかりの妻で、保姆家政婦の日々を暮さなければならなかった。夫である男と妻となる女とが、互の愛と社会的責任において、家庭を営んでゆくのが結婚の原則であるとすれば、その愛が失われ、相互責任が実行されないとき、離婚がおこるということはさけ難い。離婚は、いつでも、結婚純潔と互の責任を完うするための分離としてしかあり得ない。
「家」を主にして生活運転されていた時代は、妻は嫁であり、その妻が母となっても、お母さんである嫁であった。離婚しても、嫁、または子をもった嫁が、その家を去られたのであって、のこされた子を育てるには、姑だの小姑だのがあった。妻を去らせた男の生活家事的な面はそれらの「家」の女たちによって結構まかなわれた。
 家庭単位を、夫と妻とその子供たちとする新しい民法で、結婚男女二人の意志で行われるという場合、これまでよりもっともっと重大な責任結婚しようとする当人たちが互に自覚しなければならない。お互同士のほかに、苦情訴えどころもなければ、責任転嫁する対手もないのだから。同様に、離婚自由があるということは、従来の「家」での離婚沙汰よりはるかに深い人間的分離を意味することと、わたしたちは真面目理解しなければならない。
 家庭から妻が去り、夫が妻から去るということは、一時的にもせよ根底から家庭崩壊である。子供たちがいるとき、子供は母を失うか父を失うかしなければならず、その痛手は、子供にとって実に痛烈である。結婚自由、そして離婚自由があるとき、すべての人は、女も男も、自分たちの心のなかに一つの声をきくと思う。――みなさまの責任は? みなさまの責任は?――と。

 第一次世界大戦のあとから、世界のすべての国々に離婚がふえた。結婚というものに対するそれまでの国々での考えかた、しきたりが、戦争破壊力によって大変動を与えられたために。この原因は主として戦争によって女子人口が増加したことと、それまで生活安定をもっていた中産階級経済基礎がくずれ、勤労する男女が多くなったことにあった。ジェーンオースティン小説や「嵐ケ丘」でブロンテが書いたような、イギリス中産階級の人たちの「ちゃんとした結婚」の観念もかわった。
 こんどの第二次世界大戦は、ファシズムに対して勝利した国々においてさえ、その社会が蒙った戦傷は深刻で、イギリスでは今年のクリスマス近代歴史はじまって以来、はじめてのきりつめたものだった。アメリカでもさまざまの経済上の問題があって、この事情は家庭生活安定をゆるがし、離婚非常にふえて来た。一九一七年のアメリカでは人口千人について一・二の離婚だったのが、一九三四年からひどく増大して、一九四〇年には二・〇となり、一九四五年には結婚三に対して、離婚一であった。前年からみると、二割五分、戦前に比べれば「倍に近い」有様となっている。この現象アメリカで一つの社会問題となっており、慎重な研究の対象としてとりあげられているばかりでなく、両親離婚とその間におかれる子供の苦しみをテーマとした劇が上演され、多くの人に関心を与えた。
 今日日本でも離婚は急激に殖えている。戦争家庭破壊のために果した役割は、表面にみえるよりもはるかに深くはげしい。戦争中、何年も前線におかれた夫と、故国にのこされた妻との間には、夫が帰還してはじめて問題化するような多種多様悲劇がかもされている。


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