雪の島 熊本利平氏に寄す - 折口 信夫 ( おりくち しのぶ )
雪の島
熊本利平氏に寄す
一
志賀の鼻を出離れても、内海とかはらぬ静かな凪ぎであつた。舳の向き加減で時たまさし替る光りを、蝙蝠傘に調節してよけながら、玄海の空にまつ直に昇る船の煙に、目を凝してゐた。艫のふなべり枕に寝てゐて、しぶき一雫うけぬ位である。時々、首を擡げて見やると、壱州(イシユウ)らしい海神(ワタツミ)の頭飾(カザシ)の島が、段々|寄生貝(ガウナ)になり、鵜の鳥になりして、やつと其国らしい姿に整うて来た。あの波止場(ハトバ)を、此発動機の姉(アネ)さんの様な、巡航汽船が出てから、もう三時間も経つてゐる。大海(オホウミ)の中にぽつんと産み棄てられた様な様子が「天一柱(アメノヒトツバシラ)」と言ふ島の古名に、如何にもふさはしいといふ聯想と、幽かな感傷とを導いた。
土用過ぎの日の、傾き加減になつてから、波ばかりぎら/\光る、蘆辺浦(アシベウラ)に這入つた。目の醍めた瞬間、ほかにも荷役に寄つた蒸汽があるのかと思うた。それ程、がらにない太い汽笛を響して、前岸の瀬戸の浜へかけて、はしけの客を促して居る。博多から油照りの船路に、乗り倦(アグ)ねた人々は、まだ郷野浦(ガウノウラ)行きの自動車の間には合ふだらうかなどゝ案じながらも、やつぱりおりて行つた。
島にもかうした閑雅が見出されるかと、行かぬ先から壱岐びとに親しみと、豊かな期待を持たせられたのは、先の程まで、私の近くに小半日むっつりと波ばかり眺めて居た少年であつた。福岡大学病院の札のついた薬瓶を持つて居る様だから、多分、投げ出して居た、その繃帯した脚の手術を受けに行つて居たのであらう。膝きりの白飛白(シロガスリ)の筒袖に、ぱんつの様な物をつけて、腰を瓢箪くびりに皮帯で締めてゐた。十六七だらう。日にも焦けて居ない。頬は落ちて居るが、薄い感じの皮膚に、少年期の末を印象する億劫さうな瞳が、でも、真黒に瞬いてゐた。船室へ乗りあひの衆がおりて行つて後も、前後四時間かうして無言に青空ばかり仰いでゐる私の側(ソバ)に、海の面きり眺めてゐた。
時々頭を擡(モタ)げると、いつも此少年の目に触れた。大学病院へ通つてゐましたか、ぐらゐの話を、人みしりする私でもしかけて見たくなつた程、好感に充ちた無言(ムゴン)の行(ギヤウ)であつた。島の村々を、※・干し鰒買ひ集めに、自転車で廻る小さい海産物屋の息子で、丁稚替りをさせられてゐる、と言つた風の姿である。其でゐて、沖縄に四十日ゐて、渋紙から目だけ出してゐる様な、頬骨の出張つた、人を嘲る様に歯並みの白く揃うた男女の顔ばかり見て暮した目のせゐか、東京の教養ある若者にも、ちよつとない静けさだと思つた。なる程、壱岐には京・大阪の好い血の流れが通うてゐる。早合点に、私は予定の二十日(ハツカ)は、気持ちよく、島人と物を言ひ合ふ事の出来さうな気を起してゐた。
此島では、つひ七十年前まで、上方の都への消息に「もしほたれつゝ」わびしい光陰の過し難さを訴へてやつた人たちが住んでゐた。「愍然想(リンギヨギヤ)つてくれ召(メ)せや」と磯藻の様になづさひ寄る濃い情(ナサケ)に、欠伸を忘れる暇もあつた。幾代の、さうした教養ある流され人の、潮風あたる石塔には、今も香花を絶さぬ血筋が残つてゐる。此静かな目は、海部(アマ)や、寄百姓(ヨリビヤクシヤウ)の心理をつきとめても、出て来るものではないだらう。「島の人生」に人道の憂ひを齎した流人(ルニン)たちは、所在なさと人懐しみと後悔のせつなさとを、まづ深く感じ、此を無為の島人に伝へたであらう。
此島人が信じてゐる最初のやらはれ人|百合若(ユリワカ)大臣以来、島の南に向いた崎々には、どの岩も此岩も、思ひ入つた目ににじむ雫で、濡れなかつたのはなからう。都びとには概念であつた「ものゝあはれ」は、沖の小島の人の頭には、実感として生きてゐた。少年の思ひ深げな潤んだ瞳は、物成(モノナリ)のとり立てにせつかれたゞけでは、島の世間に現れようがなかつた。其は憧れに於て恋の如く、うち出したい事に於ては文学を生む心に近づいたものである。
だが、其が民謡の形となるには、別の事情が入り用であつた。島には其要件が調うてゐなかつた。島の開発は、わりあひに遅れてゐた。唄も楽器も踊りも、地方(ヂカタ)で十分|芸道(ゲイタウ)化した時代であつた。特殊な伝統もない島の芸術は、皆、百姓と共に寄つて来た。祭礼も宴会も儀式も、必しも歌謡を要せなくなつた時代に始まつた文明は、後々までも、固有の歌を生まないものである。動機もあり、欲求もあつて、其様式がなかつたのである。地方(ヂカタ)から伝はる唄を謳ふ位では、其が新しい音楽を孕み、文学を生み落す懸け声にはならなかつた。悲しんでも、其を発散させる歌もない心は、愈、瞳を黒くした。夏霞の底に動かぬ島山の木立の色の様に、静かに沈んで、凝つて行つた。
八木節のはやつた年であつた。又、私も「かれすゝき」のはやり唄を、二三日前、長崎の町で聞いた時分であつた。心の底に湧き立つ雲の様な調子を、小唄の拍子にでも表さねば、やり場のない様な気分の年配である。まだ病後のをつくうさが残つてゐるのかと思ふと、尠くとも目をあげた顔には、一面、若い快さを湛へてゐるではないか。舷(ふなべり)にかけた腕も、投げる脚、折り立てた膝も、すべて白飛白が身に叶ふ如くさつぱりと、皮帯のきりゝとした如く凜として居る。よい家・よい村・よい社会を思はせる純良な、少年の身のこなし、潤んだ目に、まづ島人の感情と礼譲とを測定した事であつた。
私の空想が、とんでもない方へ行つてゐる間に、此若者の姿が見えなくなつた。艙※(ふなまど)の下から、両方へ漕ぎ別れて行つた二艘の一つに、黒瞳の子は薬瓶のはんけちの包みをさげて、立つてゐる。
土用過ぎの日の、傾き加減になつてから、波ばかりぎら/\光る、蘆辺浦(アシベウラ)に這入つた。目の醍めた瞬間、ほかにも荷役に寄つた蒸汽があるのかと思うた。それ程、がらにない太い汽笛を響して、前岸の瀬戸の浜へかけて、はしけの客を促して居る。博多から油照りの船路に、乗り倦(アグ)ねた人々は、まだ郷野浦(ガウノウラ)行きの自動車の間には合ふだらうかなどゝ案じながらも、やつぱりおりて行つた。
島にもかうした閑雅が見出されるかと、行かぬ先から壱岐びとに親しみと、豊かな期待を持たせられたのは、先の程まで、私の近くに小半日むっつりと波ばかり眺めて居た少年であつた。福岡大学病院の札のついた薬瓶を持つて居る様だから、多分、投げ出して居た、その繃帯した脚の手術を受けに行つて居たのであらう。膝きりの白飛白(シロガスリ)の筒袖に、ぱんつの様な物をつけて、腰を瓢箪くびりに皮帯で締めてゐた。十六七だらう。日にも焦けて居ない。頬は落ちて居るが、薄い感じの皮膚に、少年期の末を印象する億劫さうな瞳が、でも、真黒に瞬いてゐた。船室へ乗りあひの衆がおりて行つて後も、前後四時間かうして無言に青空ばかり仰いでゐる私の側(ソバ)に、海の面きり眺めてゐた。
時々頭を擡(モタ)げると、いつも此少年の目に触れた。大学病院へ通つてゐましたか、ぐらゐの話を、人みしりする私でもしかけて見たくなつた程、好感に充ちた無言(ムゴン)の行(ギヤウ)であつた。島の村々を、※・干し鰒買ひ集めに、自転車で廻る小さい海産物屋の息子で、丁稚替りをさせられてゐる、と言つた風の姿である。其でゐて、沖縄に四十日ゐて、渋紙から目だけ出してゐる様な、頬骨の出張つた、人を嘲る様に歯並みの白く揃うた男女の顔ばかり見て暮した目のせゐか、東京の教養ある若者にも、ちよつとない静けさだと思つた。なる程、壱岐には京・大阪の好い血の流れが通うてゐる。早合点に、私は予定の二十日(ハツカ)は、気持ちよく、島人と物を言ひ合ふ事の出来さうな気を起してゐた。
此島では、つひ七十年前まで、上方の都への消息に「もしほたれつゝ」わびしい光陰の過し難さを訴へてやつた人たちが住んでゐた。「愍然想(リンギヨギヤ)つてくれ召(メ)せや」と磯藻の様になづさひ寄る濃い情(ナサケ)に、欠伸を忘れる暇もあつた。幾代の、さうした教養ある流され人の、潮風あたる石塔には、今も香花を絶さぬ血筋が残つてゐる。此静かな目は、海部(アマ)や、寄百姓(ヨリビヤクシヤウ)の心理をつきとめても、出て来るものではないだらう。「島の人生」に人道の憂ひを齎した流人(ルニン)たちは、所在なさと人懐しみと後悔のせつなさとを、まづ深く感じ、此を無為の島人に伝へたであらう。
此島人が信じてゐる最初のやらはれ人|百合若(ユリワカ)大臣以来、島の南に向いた崎々には、どの岩も此岩も、思ひ入つた目ににじむ雫で、濡れなかつたのはなからう。都びとには概念であつた「ものゝあはれ」は、沖の小島の人の頭には、実感として生きてゐた。少年の思ひ深げな潤んだ瞳は、物成(モノナリ)のとり立てにせつかれたゞけでは、島の世間に現れようがなかつた。其は憧れに於て恋の如く、うち出したい事に於ては文学を生む心に近づいたものである。
だが、其が民謡の形となるには、別の事情が入り用であつた。島には其要件が調うてゐなかつた。島の開発は、わりあひに遅れてゐた。唄も楽器も踊りも、地方(ヂカタ)で十分|芸道(ゲイタウ)化した時代であつた。特殊な伝統もない島の芸術は、皆、百姓と共に寄つて来た。祭礼も宴会も儀式も、必しも歌謡を要せなくなつた時代に始まつた文明は、後々までも、固有の歌を生まないものである。動機もあり、欲求もあつて、其様式がなかつたのである。地方(ヂカタ)から伝はる唄を謳ふ位では、其が新しい音楽を孕み、文学を生み落す懸け声にはならなかつた。悲しんでも、其を発散させる歌もない心は、愈、瞳を黒くした。夏霞の底に動かぬ島山の木立の色の様に、静かに沈んで、凝つて行つた。
八木節のはやつた年であつた。又、私も「かれすゝき」のはやり唄を、二三日前、長崎の町で聞いた時分であつた。心の底に湧き立つ雲の様な調子を、小唄の拍子にでも表さねば、やり場のない様な気分の年配である。まだ病後のをつくうさが残つてゐるのかと思ふと、尠くとも目をあげた顔には、一面、若い快さを湛へてゐるではないか。舷(ふなべり)にかけた腕も、投げる脚、折り立てた膝も、すべて白飛白が身に叶ふ如くさつぱりと、皮帯のきりゝとした如く凜として居る。よい家・よい村・よい社会を思はせる純良な、少年の身のこなし、潤んだ目に、まづ島人の感情と礼譲とを測定した事であつた。
私の空想が、とんでもない方へ行つてゐる間に、此若者の姿が見えなくなつた。艙※(ふなまど)の下から、両方へ漕ぎ別れて行つた二艘の一つに、黒瞳の子は薬瓶のはんけちの包みをさげて、立つてゐる。
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