露肆 - 泉 鏡花 ( いずみ きょうか )
一
寒くなると、山の手大通りの露店(よみせ)に古着屋の数が殖(ふ)える。半纏(はんてん)、股引(ももひき)、腹掛(はらがけ)、溝(どぶ)から引揚げたようなのを、ぐにゃぐにゃと捩(よじ)ッつ、巻いつ、洋燈(ランプ)もやっと三分(さんぶ)心(しん)が黒燻(くろくすぶ)りの影に、よぼよぼした媼(ばあ)さんが、頭からやがて膝(ひざ)の上まで、荒布(あらめ)とも見える襤褸頭巾(ぼろずきん)に包(くる)まって、死んだとも言わず、生きたとも言わず、黙って溝のふちに凍り着く見窄(みすぼ)らしげな可哀(あわれ)なのもあれば、常店(じょうみせ)らしく張出した三方へ、絹二子(きぬふたこ)の赤大名、鼠の子持縞(こもちじま)という男物の袷羽織(あわせばおり)。ここらは甲斐絹裏(かいきうら)を正札附、ずらりと並べて、正面左右の棚には袖裏(そでうら)の細(ほっそ)り赤く見えるのから、浅葱(あさぎ)の附紐(つけひも)の着いたのまで、ぎっしりと積上げて、小さな円髷(まげ)に結った、顔の四角な、肩の肥(ふと)った、きかぬ気らしい上(かみ)さんの、黒天鵝絨(くろびろうど)の襟巻したのが、同じ色の腕までの手袋を嵌(は)めた手に、細い銀煙管(ぎんぎせる)を持ちながら、店(たな)が違いやす、と澄まして講談本を、ト円心(まるじん)に翳(かざ)していて、行交う人の風采(ふうつき)を、時々、水牛縁(すいぎゅうぶち)の眼鏡の上からじろりと視(なが)めるのが、意味ありそうで、この連中には小母御(おばご)に見えて――
湯帰(ゆあが)りに蕎麦(そば)で極(き)めたが、この節|当(あて)もなし、と自分の身体(からだ)を突掛(つっか)けものにして、そそって通る、横町の酒屋の御用聞(ごようきき)らしいのなぞは、相撲の取的(とりてき)が仕切ったという逃尻(にげじり)の、及腰(およびごし)で、件(くだん)の赤大名の襟を恐る恐る引張りながら、
「阿母(おふくろ)。」
などと敬意を表する。
商売|冥利(みょうり)、渡世(くちすぎ)は出来るもの、商(あきない)はするもので、五布(いつの)ばかりの鬱金(うこん)の風呂敷一枚の店に、襦袢(じゅばん)の数々。赤坂だったら奴(やっこ)の肌脱(はなぬぎ)、四谷じゃ六方を蹈(ふ)みそうな、けばけばしい胴、派手な袖。男もので手さえ通せばそこから着て行(ゆ)かれるまでにして、正札が品により、二分から三両|内外(うちそと)まで、膝の周囲(まわり)にばらりと捌(さば)いて、主人(あるじ)はと見れば、上下縞(うえしたしま)に折目あり。独鈷入(とっこいり)の博多(はかた)の帯に銀鎖を捲(ま)いて、きちんと構えた前垂掛(まえだれがけ)。膝で豆算盤(まめそろばん)五寸ぐらいなのを、ぱちぱちと鳴らしながら、結立(ゆいた)ての大円髷(おおまるまげ)、水の垂りそうな、赤い手絡(てがら)の、容色(きりょう)もまんざらでない女房を引附けているのがある。
時節もので、めりやすの襯衣(しゃつ)、めちゃめちゃの大安売、ふらんねる切地(きれじ)の見切物、浜から輸出品の羽二重(はぶたえ)の手巾(ハンケチ)、棄直段(すてねだん)というのもあり、外套(がいとう)、まんと、古洋服、どれも一式の店さえ八九ヶ所。続いて多い、古道具屋は、あり来(きた)りで。近頃古靴を売る事は……長靴は烟突(えんとつ)のごとく、すぽんと突立(つった)ち、半靴は叱られた体(てい)に畏(かしこま)って、ごちゃごちゃと浮世の波に魚(うお)の漾(ただよ)う風情がある。
両側はさて軒を並べた居附(いつき)の商人(あきんど)……大通りの事で、云うまでも無く真中(まんなか)を電車が通る……
夜店は一列片側に並んで出る。……夏の内は、西と東を各晩であるが、秋の中ばからは一月置きになって、大空の星の沈んだ光と、どす赤い灯の影を競いつつ、末は次第に流(ながれ)の淀(よど)むように薄く疎(まばら)にはなるが、やがて町尽(まちはず)れまで断(た)えずに続く……
宵をちと出遅れて、店と店との間へ、脚が極(き)め込みになる卓子(テエブル)や、箱車をそのまま、場所が取れないのに、両方へ、叩頭(おじぎ)をして、
「いかがなものでございましょうか、飛んだお邪魔になりましょうが。」
「何、お前さん、お互様です。」
「では一ツ御不省(ごふしょう)なすって、」
「ええ可(よ)うございますともね。だが何ですよ。成(なり)たけ両方をゆっくり取るようにしておかないと、当節は喧(やかま)しいんだからね。距離をその八尺ずつというお達しでさ、御承知でもございましょうがね。」
「ですからなお恐入りますんで、」
「そこにまたお目こぼしがあろうッてもんですよ、まあ、口明(くちあけ)をなさいまし。」
「難有(ありがと)う存じます。」
などは毎々の事。
二
この次第で、露店の間(あわい)は、どうして八尺が五尺も無い。蒟蒻(こんにゃく)、蒲鉾(かまぼこ)、八ツ頭(がしら)、おでん屋の鍋(なべ)の中、混雑(ごたごた)と込合って、食物店(たべものみせ)は、お馴染(なじみ)のぶっ切飴(きりあめ)、今川焼、江戸前取り立ての魚焼(うおやき)、と名告(なのり)を上げると、目の下八寸の鯛焼(たいやき)と銘を打つ。真似(まね)はせずとも可(い)い事を、鱗焼(うろこやき)は気味が悪い。
引続いては兵隊饅頭(へいたいまんじゅう)、鶏卵入(たまごいり)の滋養麺麭(じようパン)。……かるめら焼のお婆さんは、小さな店に鍋一つ、七つ五つ、孫の数ほど、ちょんぼりと並べて寂(さみ)しい。
茶めし餡掛(あんかけ)、一品料理、一番高い中空の赤行燈(あかあんどう)は、牛鍋の看板で、一山三銭二銭に鬻(ひさ)ぐ。蜜柑(みかん)、林檎(りんご)の水菓子屋が負けじと立てた高張(たかはり)も、人の目に着く手術(てだて)であろう。
古靴屋の手に靴は穿(は)かぬが、外套(がいとう)を売る女の、釦(ぼたん)きらきらと羅紗(らしゃ)の筒袖。小間物店(こまものみせ)の若い娘が、毛糸の手袋|嵌(は)めたのも、寒さを凌(しの)ぐとは見えないで、広告めくのが可憐(いじ)らしい。
気取ったのは、一軒、古道具の主人、山高帽。売っても可(い)いそうな肱掛椅子(ひじかけいす)に反身(そりみ)の頬杖(ほおづえ)。がらくた壇上に張交(はりま)ぜの二枚屏風(にまいびょうぶ)、ずんどの銅(あか)の花瓶に、からびたコスモスを投込んで、新式な家庭を見せると、隣の同じ道具屋の亭主は、炬燵櫓(こたつやぐら)に、ちょんと乗って、胡坐(あぐら)を小さく、風除(かぜよ)けに、葛籠(つづら)を押立(おった)てて、天窓(あたま)から、その尻まですっぽりと安置に及んで、秘仏はどうだ、と達磨(だるま)を極(き)めて、寂寞(じゃくまく)として定(じょう)に入(い)る。
「や、こいつア洒落(しゃれ)てら。」
と往来が讃(ほ)めて行(ゆ)く。
黒い毛氈(もうせん)の上に、明石(あかし)、珊瑚(さんご)、トンボの青玉が、こつこつと寂(さ)びた色で、古い物語を偲(しの)ばすもあれば、青毛布(あおげっと)の上に、指環(ゆびわ)、鎖、襟飾(えりかざり)、燦爛(さんらん)と光を放つ合成金の、新時代を語るもあり。……また合成銀と称(とな)えるのを、大阪で発明して銀煙草(ぎんぎせる)を並べて売る。
「諸君、二円五十銭じゃ言うたんじゃ、可(え)えか、諸君、熊手屋が。露店の売品の値価(ねだん)にしては、いささか高値(こうじき)じゃ思わるるじゃろうが、西洋の話じゃ、で、分るじゃろう。二円五十銭、可えか、諸君。」
と重なり合った人群集(ひとだかり)の中に、足許(あしもと)の溝の縁に、馬乗提灯(うまのりぢょうちん)を動き出しそうに据えたばかり。店も何も無いのが、額を仰向(あおむ)けにして、大口を開(あ)いて喋(しゃべ)る……この学生風な五ツ紋は商人(あきんど)ではなかった。
ここらへ顔出しをせねばならぬ、救世軍とか云える人物。
「そこでじゃ諸君、可(え)えか、その熊手の値を聞いた海軍の水兵君が言わるるには、可(よし)、熊手屋、二円五十銭は分った、しかしながらじゃな、ここに持合わせの銭が五十銭ほか無い。すなわちこの五十銭を置いて行(ゆ)く。直ぐに後金(あときん)の二円を持って来るから受取っておいてくれい。熊手は預けて行(ゆ)くぞ、誰も他(ほか)のものに売らんようになあ、と云われましたが、諸君。
手附(てつけ)を受取って物品を預っておくんじゃからあ、」
と俯向(うつむ)いて、唾を吐いて、
「じゃから諸君、誰にしても異存はあるまい。宜(よろ)しゅうございます。
湯帰(ゆあが)りに蕎麦(そば)で極(き)めたが、この節|当(あて)もなし、と自分の身体(からだ)を突掛(つっか)けものにして、そそって通る、横町の酒屋の御用聞(ごようきき)らしいのなぞは、相撲の取的(とりてき)が仕切ったという逃尻(にげじり)の、及腰(およびごし)で、件(くだん)の赤大名の襟を恐る恐る引張りながら、
「阿母(おふくろ)。」
などと敬意を表する。
商売|冥利(みょうり)、渡世(くちすぎ)は出来るもの、商(あきない)はするもので、五布(いつの)ばかりの鬱金(うこん)の風呂敷一枚の店に、襦袢(じゅばん)の数々。赤坂だったら奴(やっこ)の肌脱(はなぬぎ)、四谷じゃ六方を蹈(ふ)みそうな、けばけばしい胴、派手な袖。男もので手さえ通せばそこから着て行(ゆ)かれるまでにして、正札が品により、二分から三両|内外(うちそと)まで、膝の周囲(まわり)にばらりと捌(さば)いて、主人(あるじ)はと見れば、上下縞(うえしたしま)に折目あり。独鈷入(とっこいり)の博多(はかた)の帯に銀鎖を捲(ま)いて、きちんと構えた前垂掛(まえだれがけ)。膝で豆算盤(まめそろばん)五寸ぐらいなのを、ぱちぱちと鳴らしながら、結立(ゆいた)ての大円髷(おおまるまげ)、水の垂りそうな、赤い手絡(てがら)の、容色(きりょう)もまんざらでない女房を引附けているのがある。
時節もので、めりやすの襯衣(しゃつ)、めちゃめちゃの大安売、ふらんねる切地(きれじ)の見切物、浜から輸出品の羽二重(はぶたえ)の手巾(ハンケチ)、棄直段(すてねだん)というのもあり、外套(がいとう)、まんと、古洋服、どれも一式の店さえ八九ヶ所。続いて多い、古道具屋は、あり来(きた)りで。近頃古靴を売る事は……長靴は烟突(えんとつ)のごとく、すぽんと突立(つった)ち、半靴は叱られた体(てい)に畏(かしこま)って、ごちゃごちゃと浮世の波に魚(うお)の漾(ただよ)う風情がある。
両側はさて軒を並べた居附(いつき)の商人(あきんど)……大通りの事で、云うまでも無く真中(まんなか)を電車が通る……
夜店は一列片側に並んで出る。……夏の内は、西と東を各晩であるが、秋の中ばからは一月置きになって、大空の星の沈んだ光と、どす赤い灯の影を競いつつ、末は次第に流(ながれ)の淀(よど)むように薄く疎(まばら)にはなるが、やがて町尽(まちはず)れまで断(た)えずに続く……
宵をちと出遅れて、店と店との間へ、脚が極(き)め込みになる卓子(テエブル)や、箱車をそのまま、場所が取れないのに、両方へ、叩頭(おじぎ)をして、
「いかがなものでございましょうか、飛んだお邪魔になりましょうが。」
「何、お前さん、お互様です。」
「では一ツ御不省(ごふしょう)なすって、」
「ええ可(よ)うございますともね。だが何ですよ。成(なり)たけ両方をゆっくり取るようにしておかないと、当節は喧(やかま)しいんだからね。距離をその八尺ずつというお達しでさ、御承知でもございましょうがね。」
「ですからなお恐入りますんで、」
「そこにまたお目こぼしがあろうッてもんですよ、まあ、口明(くちあけ)をなさいまし。」
「難有(ありがと)う存じます。」
などは毎々の事。
二
この次第で、露店の間(あわい)は、どうして八尺が五尺も無い。蒟蒻(こんにゃく)、蒲鉾(かまぼこ)、八ツ頭(がしら)、おでん屋の鍋(なべ)の中、混雑(ごたごた)と込合って、食物店(たべものみせ)は、お馴染(なじみ)のぶっ切飴(きりあめ)、今川焼、江戸前取り立ての魚焼(うおやき)、と名告(なのり)を上げると、目の下八寸の鯛焼(たいやき)と銘を打つ。真似(まね)はせずとも可(い)い事を、鱗焼(うろこやき)は気味が悪い。
引続いては兵隊饅頭(へいたいまんじゅう)、鶏卵入(たまごいり)の滋養麺麭(じようパン)。……かるめら焼のお婆さんは、小さな店に鍋一つ、七つ五つ、孫の数ほど、ちょんぼりと並べて寂(さみ)しい。
茶めし餡掛(あんかけ)、一品料理、一番高い中空の赤行燈(あかあんどう)は、牛鍋の看板で、一山三銭二銭に鬻(ひさ)ぐ。蜜柑(みかん)、林檎(りんご)の水菓子屋が負けじと立てた高張(たかはり)も、人の目に着く手術(てだて)であろう。
古靴屋の手に靴は穿(は)かぬが、外套(がいとう)を売る女の、釦(ぼたん)きらきらと羅紗(らしゃ)の筒袖。小間物店(こまものみせ)の若い娘が、毛糸の手袋|嵌(は)めたのも、寒さを凌(しの)ぐとは見えないで、広告めくのが可憐(いじ)らしい。
気取ったのは、一軒、古道具の主人、山高帽。売っても可(い)いそうな肱掛椅子(ひじかけいす)に反身(そりみ)の頬杖(ほおづえ)。がらくた壇上に張交(はりま)ぜの二枚屏風(にまいびょうぶ)、ずんどの銅(あか)の花瓶に、からびたコスモスを投込んで、新式な家庭を見せると、隣の同じ道具屋の亭主は、炬燵櫓(こたつやぐら)に、ちょんと乗って、胡坐(あぐら)を小さく、風除(かぜよ)けに、葛籠(つづら)を押立(おった)てて、天窓(あたま)から、その尻まですっぽりと安置に及んで、秘仏はどうだ、と達磨(だるま)を極(き)めて、寂寞(じゃくまく)として定(じょう)に入(い)る。
「や、こいつア洒落(しゃれ)てら。」
と往来が讃(ほ)めて行(ゆ)く。
黒い毛氈(もうせん)の上に、明石(あかし)、珊瑚(さんご)、トンボの青玉が、こつこつと寂(さ)びた色で、古い物語を偲(しの)ばすもあれば、青毛布(あおげっと)の上に、指環(ゆびわ)、鎖、襟飾(えりかざり)、燦爛(さんらん)と光を放つ合成金の、新時代を語るもあり。……また合成銀と称(とな)えるのを、大阪で発明して銀煙草(ぎんぎせる)を並べて売る。
「諸君、二円五十銭じゃ言うたんじゃ、可(え)えか、諸君、熊手屋が。露店の売品の値価(ねだん)にしては、いささか高値(こうじき)じゃ思わるるじゃろうが、西洋の話じゃ、で、分るじゃろう。二円五十銭、可えか、諸君。」
と重なり合った人群集(ひとだかり)の中に、足許(あしもと)の溝の縁に、馬乗提灯(うまのりぢょうちん)を動き出しそうに据えたばかり。店も何も無いのが、額を仰向(あおむ)けにして、大口を開(あ)いて喋(しゃべ)る……この学生風な五ツ紋は商人(あきんど)ではなかった。
ここらへ顔出しをせねばならぬ、救世軍とか云える人物。
「そこでじゃ諸君、可(え)えか、その熊手の値を聞いた海軍の水兵君が言わるるには、可(よし)、熊手屋、二円五十銭は分った、しかしながらじゃな、ここに持合わせの銭が五十銭ほか無い。すなわちこの五十銭を置いて行(ゆ)く。直ぐに後金(あときん)の二円を持って来るから受取っておいてくれい。熊手は預けて行(ゆ)くぞ、誰も他(ほか)のものに売らんようになあ、と云われましたが、諸君。
手附(てつけ)を受取って物品を預っておくんじゃからあ、」
と俯向(うつむ)いて、唾を吐いて、
「じゃから諸君、誰にしても異存はあるまい。宜(よろ)しゅうございます。
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