音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」 関連リンク

寺田 寅彦 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

  • (定価\2,625) 音楽の基礎 音楽理解はじめの一歩 音楽之友社
  • 909 エスニック音楽入門―民族音楽から見た音楽と教育 柿木吾郎
  • 『民族音楽・出会いの旅』江波戸昭著 音楽之友社 音楽選書
  • ☆著作権フリー音楽集020【祭囃子の現代音楽】
  • チェンバロ ムード音楽 モンド 電子音楽 10インチLP 美女ジャケ
  • カワイ 音楽学習ソフト 音楽帳3.0 ピアノ練習 Win 定価27000円
  • LD(レーザー)●音楽グルメのためのMPB*ブラジル音楽●
  • カワイ 音楽学習ソフト 音楽帳3.0 ピアノ練習 Win 定価27000円
  • ★月刊映画音楽 西部劇音楽特集号 ソノシート4枚 S.37/10号
  • 【 教育音楽 中学版 音楽資料室 】 昭和34年 9月号 切抜
次のページ
 この音楽映画序曲は「パリのめざめ」の表題楽で始まる。まず夜明けのセーヌの川岸が現われる。人通りはなくて朝霧にぬれたベンチが横たわり、遠くにノートルダームの双生塔がぼんやり見える。眠りのまださめぬ裏町へだれか一人自転車を乗り込んで来て、舗道の上になんだか棒のようなものを投げ出す。その音で長い一夜の沈黙が破られる。この音からつるはしのようなもので薪(まき)を割る男が呼び出される。軒下に眠るルンペンのいびきの音が伴奏を始める。家の裏戸が明いて早起きおかみさん掃除(そうじ)を始める、その箒(ほうき)の音がこれに和する。この三つの音が次第に調子を早める。高角度に写された煙突から朝餉(あさげ)の煙がもくもくと上がり始めると、あちらこちらの窓が明いて、晴れやかな娘の顔なども見える。屋上ではせんたく物を朝風に翻すおかみさんたちの群れもある。これらの画像連続の間に、町の雑音音楽はアクセレランドー、クレッセンドーで進行して行って、かくして一人巨人としての「パリ」が目をさましてあくびをする。これだけの序曲が終わると同時に第一モーリス住み家の場が映し出されるのである。この序曲はかなりおもしろく見られ聞かれる。試みに俳諧連句(はいかいれんく)にしてみると


朝霧やパリは眠りのまださめず
 河岸(かし)のベンチのぬれてやや寒
有明(ありあけ)の月に薪(たきぎ)を取り込んで
 あちらこちらに窓あける音


とでもいったような趣がある。
「イズンティット・ロマンティク」の歌の連続が次のような順序に現われる。始めはモーリスが店の三枚鏡の一枚一枚に映りながらこれを歌う。この歌が街頭へ飛び出して自動車のおやじから乗客の作曲家伝染し、この男が汽車へ乗ったおかげで同乗の兵隊に乗り移る。兵隊が行軍している途中からこの歌の魂がピーターパン幽霊のような姿に移って横にけし飛んだと思うと、やがて流浪の民の夜営のたき火のかたわらにかなでられるヴァイオリンの弦のしらべに変わる。この音の流れて行く末にシャトーバルコニーが現われて夢見るような姫君のやるせない歌の中にこの同じ主題が繰り返さるる。そうして最後のリフレーンで「イズンティット・ロマーン」まで歌った最後の「ティック」の代わりに、バルコンの下から忍びよるド・サヴィニャク伯爵梯子(はしご)が石欄に触れる「ティック」の音を置き換えてある。ばかげているようであるが、この音で夢の世界から現実世界観客を呼び返す役目をつとめさせているのである。
 公爵シャトーの中のかび臭い陰気な雰囲気(ふんいき)を描くためにいろいろな道具が使われているうちに、姫君の伯母(おば)三人のオールドミスが姫君の病気|平癒(へいゆ)を祈る場面がある。それが巫女(みこ)の魔法を修する光景に形どって映写されているようであるが、ここの伴奏がこれにふさわしい凄惨(せいさん)の気を帯びているように思う。哀れな姫君の寝姿がピアニシモで消えると同時に、グヮーッとスフォルザンドーで朗らかなパリの騒音を暗示する音楽が大波のようにわき上がりスクリーンにはパリの町の全景が映出される。ここの気分の急角度転換もよくできている。
 モーリスシャトー玄関をはいってから、人けのない広間をうろつきまた駆け回る場面伴奏抑揚変化割合によくできていて人を飽きさせない。
 医者が姫君を診察するとき、心臓鼓動をかたどるチンパニの音、脈搏(みゃくはく)を擬する弦楽器のピッチカットもそんなにわざとらしくない。
 モーリスの出現によって陰気なシャトー空気の中に急に一道の明るい光のさし込むのを象徴するように、「ミミーの歌」の一連の連続が插入(そうにゅう)されてインターリュードの形をなしている。むつかしやの苦虫(にがむし)の公爵寝床の中でこの歌を始める。これがヴァレンティーヌ夫人、ド・ヴァレーズ伯爵、ド・サヴィニャク伯爵へと伝播(でんぱ)する。最後伯爵のガス排出の音からふざけ半分のホルンの一声が呼び出され、このラッパが鹿狩(しかが)りのラッパに転換して爽快(そうかい)な狩り場のシーンに推移するのである。あばれ馬のあばれ方は愉快であるが、鹿の走り方は少しおかしい。あれは追わるる鹿ではない。モーリスが馬と「話し合いで別れて」鹿と友だちになっているところは傑作である。「静かにお帰りください」で引き上げ狩人(かりうど)たちのスローモーションは少し薬がきき過ぎた形である。
 舞踊会の「アパッシュの歌」とその画面自分にはあまりおもしろくなかった。何かが一つ足りないような気がする。どこかに無理があるであろう。
 仕立て屋だということがわかってからの「ナッシンバッタテーラ」の繰り返しもわりにおもしろくできている。家扶家従、部屋付(へやづ)き女中料理人、せんたく女と順々にこれが伝わって行って、最後にはいよいよ引き上げて行くモーリスに、執念(しゅうね)く追い迫るスキャンダル悪魔のささやきのようなささやき声の「ナッシンバッタテーラ」が繰り返される。これはかなり印象的である。これを聞いて帰宅して晩に寝ようとすると、枕(まくら)もとの時計の音が「カッチン、コッチン、カッチン、コッチン、ナッシン・バッタテーラ」というふうに聞こえたくらいである。
 最後汽車騎馬との追っ駆けは、無音映画としてはあまりに陳套(ちんとう)な趣向であるが、しかしあの機関車の音と画像と、馬のひづめの音と足掻(あが)きの絵との加速度的なフラッシュ・バックにはやはりちょっとすぐにはまねのできない呼吸のうまみがあるようである。
 この映画は一面にはこうした音楽的な構成においていろいろな試みをしている。この点においてこの映画創作者ルーバン・マムーリアンは一つの道楽をしてひとりで悦に入っている感がある。しかしまた一面においては常設館の常顧客であるところの大衆の期待に応ずるような手ごろの材料をかなりに盛りだくさんにあんばいすることに骨を折ったようである。たとえばド・ヴァレーズ伯爵がけしからぬ犯行の現場から下着のままで街頭に飛び出し、おりから通りかかったマラソン競走の中に紛れ込み、店先の値段札を胸におっつけ選手の番号に擬するような、卑猥(ひわい)であくどい茶番ヤンキー王国顧客にはぜひとも必要なものであろう。また後庭林中の夜のラヴシーンはシュヴァリエマクドナルドの賛美者たる若きファンのための独参湯(どくじんとう)としてやはり欠くべからざる一要件であろう。それからまた鹿狩(しかが)りの場に現われた貴族的なスポーツ風景国粋主義紳士淑女を喜ばすものであり、シャトーにおける生活空虚痴愚を露骨に風刺する多数の画面は卑近な民衆イデオロギーに迎合するものであろう。


次のページ

寺田 寅彦 (てらだ とらひこ) 以外のオススメ作品

音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」 (おんがくてきえいがとしてのラヴ・ミ・トゥナイト」) のリンク元

「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」-寺田 寅彦」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN